恋多き人たらし~坂本龍馬と妻・お龍
明治三十九年(1906年)11月15日、坂本龍馬の妻として知られるお龍=楢崎龍(ならさきりょう)が66歳で亡くなりました。
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奇しくも、最愛の夫・坂本龍馬さんのご命日(2006年11月11日参照>>)と同じ11月15日なんですね~
まぁ、龍馬さんは、旧暦の慶応三年(1867年)なので、厳密には同じ日ではないのかも知れませんが・・・
お龍(りょう)は、医師・楢崎将作(ならさきしょうさく)の長女として天保十二年(1841年)に生まれましたが、父・将作が、尊王攘夷派の頼三樹三郎(らいみきさぶろう)らと親しかった事から、安政の大獄(10月7日参照>>)に連座して捕らえられ、その後、獄中で死んだとも、釈放後に病死したとも・・・
とにかく、働き手の父が亡くなった事で、長女のお龍は、幼い弟・妹たちを養うために旅館に奉公したりなんかしますが、大した稼ぎにもならず一家はかなりの貧乏・・・そんな時に、龍馬と知り合います。
龍馬から、彼が定宿にしている京都・伏見の寺田屋を紹介され、今度は、そこで働きます。
そんな中の慶応二年(1866年)1月・・・龍馬が、薩長同盟を成立(1月21日参照>>)させた2日後に寺田屋で襲撃された時、彼女の機転によって、なんとか危険を回避したお話は、何度もドラマ化された名シーンですよね(1月23日参照>>)。
その時に負傷して、しばらく西郷隆盛の宿所で療養した龍馬は、3月になってから、身の安全と療養を兼ね、お龍を連れて、薩摩・霧島の旅に出ます。
この時に、薩摩藩の小松帯刀(たてわき)に、お龍を「妻」と紹介した事から、二人は、寺田屋事件きっかけで結婚して、この鹿児島旅行は、日本初の新婚旅行・・・なんて事も言われますが、ご存知のように、その翌年の11月に龍馬は暗殺されますので、二人の密月は、わずかに2年もなかった事になります。
ところで、龍馬と言えば、来年の大河も楽しみではありますが、今、現在放送中の「JIN-仁-」にも、内野さん演じる龍馬が出てますね。
あの軽快な演技に、
「龍馬はあんなに軽くない」
「もっと、どっしりと構えていてもらわないと・・・」
てな、意見もあるようですが、ワタクシ個人的には、あーいう龍馬さん、好きです。
・・・ていうか、実際にはもっと軽いと思ってます。
今風に言うなら「チャラ男」?
昔ながらの年季の入った龍馬ファンの方には怒られるかも知れませんが、もともと少ない史料の上に、ほぼ小説でつけられた現在の龍馬のイメージですから、想像するのは自由・・・って事で、今回は、言わせていただきますと、大事を成した人というのは、その成した事柄から、どうしても大器をイメージしてしまいますが、必ずしも、そうとは限らないと思います。
私のイメージする龍馬は、公と私、職務と休暇、仕事と遊び・・・このONとOFFを、きっちり分ける人ではなかったかと・・・めちゃめちゃヤンキーなのに、成績は学年トップみたいな?
しかも、交友関係を見るにつけ、かなりの「人たらし」であった事は確実だし・・・。
もちろん、この「人たらし」は「人を騙す」という意味ではなく、いつの間にか、相手を自分のペースに引き入れて「なんで、こんな事までしたらなアカンねん!」と思うような事まで、ついつい龍馬さんのためならしてしまう・・・という感じ。
さらに、彼は幼い頃から姉たちに可愛がられて育った経験から、女性に対しても、そのテクニックが見事に発揮される・・・
あの寺田屋の事件がドラマチックな事と、その後の新婚旅行などから、時代劇では、お龍さんしか登場しない事が多々ありますが、現実には、彼女以外にも、龍馬さんにはカノジョがいたわけで、それらのおネーサン方が、皆「自分が妻だ」と思ってるてな状態を保ち続ける事ができるほど、モテたと思いますし、自分でもモテようとしてたと思いますね。
実際、あの暗殺された日も、お龍さんではない、別のカノジョを部屋に呼んでますからね~(断られてますが・・・)
10代の少年時代から、姉の嫁ぎ先に泊まっては女中部屋に夜這いをかけ、、江戸に出れば道場の千葉佐那子(さなこ)と婚約までしておきながらほったらかして、そのまま土佐に戻れば、漢方医の娘・お徳と恋仲になり、脱藩の際には、おさななじみの平井加尾(かお)に無理難題を頼み、長崎では、毎日、遊郭遊び・・・この長崎で親しくしていた中江兆民(ちょうみん)が、龍馬の頭髪について、「あの薄毛は、梅毒のせい」と言ってる事からも、その遊びっぷりがわかります。
しかし、その誰もが、「龍馬が憎い」とは思わない・・・
もちろん、当時は、一夫一婦でなくてはないらない事はないのですから、ご両人さえ良ければ、何人妻がおりやしょうと結構なんでござんすが、それがわかっていても、許してしまう魅力が、龍馬にはあったという事でしょうね。
そして、もう一つ、私がチャラ男だと思うところは、例の薩摩旅行・・・知ってる人は知ってる有名な話ですが、この時、お龍とともに高千穂の峰に登った龍馬が、その頂上に突き刺さっていた「天ノ逆鉾(あめのさかほこ)」を抜いちゃうくだりです。
この「天ノ逆鉾」というのは、天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が地上に降りた天孫降臨の時に、目印として投げた物が頂上に刺さったとされる、由緒のある、言わば遺跡or旧跡です。
それを、お龍と二人で抜いて「わずか4~5尺しかなかった」とか、「大いに笑った」とか・・・普通、抜きますか?
抜きませんよね?
龍馬の逸話だから、「やっぱ、器が違う」となりますが、普通はその名に傷がつきます。
(世界遺産に落書無用)
そんなチャラ男的要素を、見事に魅力に変えるのが、龍馬の龍馬たる所以・・・と、話が龍馬さんに傾きすぎましたので、お龍さんに戻しますが・・・
龍馬を亡くしたお龍は、彼の友人であった三吉慎造(みよししんぞう)のもとに身を寄せます。
これは、龍馬が常々「自分に万が一の事があったら・・・」と頼んでいたもので、「気の強いお龍を実家に預ければ、おそらく、気の強い姉・乙女(8月31日参照>>)とは、うまくいかないだろう」という事を考えて三吉に預けたなんて事が言われますが、案の定、その後、龍馬の実家に身を寄せたお龍は、家族とは折り合いが悪く、「非行がある」として、追い出されるような形で、高知をあとにします。
それから、親戚の家を点々とした後、明治二年(1869年)に京都に戻り、やがて明治十八年(1885年)、横須賀に住む妹の家に身を寄せていた45歳の時、隣家に住む西村松兵衛という商人と知り合い、結婚します。
しかし、再婚しても、龍馬の妻だったというプライドが捨てきれず、晩年は、お酒に溺れ、酒場で飲んだくれては「あたしは龍馬の妻よ!」と、周囲に絡んでいたのだとか・・・。
よく、ドラマでは賢女のカガミのように描かれるお龍さんですが、土佐藩士・佐々木高行が言うように、「美人だし悪い人間ではないが、賢婦とは言い難い」人だったと、私も思います。
・・・が、これはお龍さんの悪口ではないですよ!
むしろ、彼女は、龍馬にとって賢い女でなくてもよかったんだと思っています。
龍馬が何をやってる人なのかも知らなくていいし、日本の未来なんてどうでもいい・・・むしろ、それこそが、緊迫した日々の続く、京都での龍馬が求めていたカノジョだったのではないかと思います。
国の大事に奔走する時だからこそ、スイッチがOFFの時は、大いに遊んで、大いに笑って、大いにバカができるお龍が好きだったんでしょうね。
やがて明治三十九年(1906年)11月15日、晩年は、アルコール依存症状態になっていたお龍は、66歳の生涯を閉じます。
その墓石には、「阪本龍馬之妻龍子」と刻まれているのだとか・・・
そう、再婚した松兵衛さん・・・自らが建立する妻のお墓に、「西村松兵衛之妻」とせずに、「龍馬の妻」と・・・なんともいい人にお龍さんは巡り会えたものです。
ちなみに、婚約したままほったらかしにした佐那子さんのお墓にも「坂本龍馬室」と刻まれているそうですが、それこそ「憎めないアイツ」の人たらしのなせるワザ・・・と言ったところでしょうか。
★追記:2001年に見つかったお龍さんとおぼしき写真は、昨年、ほぼ本人である事が断定されました・・・今後は、ドラマでもあのイメージで登場するのでしょう。
楽しみです。
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