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2006年4月28日 (金)

象の日

 

享保十四年(1729年)4月28日、第114代・中御門天皇が、日本にやってきた象と面会された事を記念して、今日、4月28日は、『象の日』という記念日だそうです。

・・・・・・・

とは言え、最初に、生きた象が日本にやって来たのは、応永十五年(1408年)の事・・・。

若狭(福井県)小浜にやって来た南蛮船で、オウムや孔雀とともに、南蛮国から足利将軍家に献上された事が記録されています。

この南蛮国というのは、当時、スマトラ島・東南部にあったバレンバン(旧港)という国ではなかったか?と言われていますが、はっきりとした事はわかっていないようです。

この時の象は、約3年間、幕府で飼われていたそうですが、その後、室町幕府4代将軍・足利義持から、今度は、朝鮮国王への献上品として、再び海を渡りました。
(厄介払いしてる気がする・・・)

その次に象がやって来たのは、天正三年(1575年)。

豊後(大分県)大友宗麟(そうりん)のもとにカンボジア国王から、トラや孔雀とともに献上されたそうですが、これらの動物は、ほどなく亡くなってしまい、ほとんど人目に触れる事はなかったようです。

その次は、慶長二年(1597年)・・・フィリピンはマニラから来たスペイン総督使節が、豊臣秀吉に献上した象・・・この時は、かなりの見物人が大坂城近くへ押し寄せ、死人も出たという事なので、パンダ&コアラ以上の人気ぶりだったんでしょうね。

・・・で、今回の、『象の日』の由来となる記念の象は、広南=ベトナムから徳川将軍家に献上された物だそうです。

上記のように、確かに、生きた象が日本にやって来るのは初めてではありませんでしたが、写真やフィルムで記録を残す事が不可能な時代・・・皆、見るのは初めてですし、それはそれは、大変な騒ぎだったようです。

前年の6月に長崎に到着した、オス・メスの2頭の象でしたが、残念ながらメスが秋に死んでしまい、しかたなく、オス1頭のみを、時の将軍・第8代・徳川吉宗に献上するため、享保十四年(1729年)の3月に、長崎を出発し、大名行列のように、ノッシノッシと街道を歩いて、東へ東へと進みます。

記録によれば、一日3~5里・・・つまり、12km~20kmの移動だったという事で、こりゃ、大変ですな。

・・・と、素人考えながら、気になる事が・・・

関門海峡はどうやって渡ったんだろう?・・・トンネル無いし・・・

ひょっとしたら、奈良時代の遣唐使や防人のように、大坂の難波津あたりまでは船だったのかも知れませんね。

さらに、海峡以外にも、途中にがいくつも川がありますが、この時代は、橋が架かってるほうが少ないでしょうから、それはもう大仕事でしょうね。

いくつか残る記録によれば・・・
大きな川の場合は、船の上に象専用の小屋をしつらえて、船にて輸送(やっぱり…)・・・小さな川の場合は、渡し舟をいくつも用意して、その上に板を固定し、さらに、舟同士も固定して、その上を歩いて渡らせたんだそうです。

訓練をさせて、泳がせたという説もあるようですが、いずれにしても、それらの準備をするほうは、大変ですな~。

さらに、行く先々には・・・

  • 道をキレイに掃除しておく事 
  • 象の飲み水を準備しておく事 
  • 寺の鐘を突いてはいけない 
  • 馬や牛は街道に近づけない 
  • 見物人は騒がない 
  • 張ってあるロープの内側に入らない 
  • 犬、猫はつないでおく事 
  • 火の始末に気をつける事

などのおふれ書きが配られ、もう、毎日が国際マラソン大会のような規制・・・

そんなこんなの大騒ぎの中、4月16日には大坂に到着・・・そして、4月26日には、京都へ到着しました。

・・・と、ここで、大きな問題が・・・

なんと、この象のフィーバーぶりを耳にした時の天皇・中御門天皇が、「象を見たい!」とご希望なされたのです。

「京都に、滞在中なら、見せたらいいじゃん!」
・・・と、思ってしまいますが、これが、この時代は大問題なのです。

以前、後水尾天皇の即位のページ(4月12日参照>>)で、あの春日局が、無位無官のまま天皇に拝謁するという大失態を犯した・・・と書かせていただいたように、官位を持たない一般人が天皇に直接会う事は禁じられていたのです。

あの、幕末の動乱でも、新政府の中心人物だった大久保利通が、無位無官であったために、明治天皇直接会う事ができず、打ち合わせに大いに手間取った・・・なんて事もあったようで、この国では永きに渡って、常識とされていた事でした。

それは、象とて同じです。

・・・で、結局、この象に『広南従四位白象』なる官位が与えられ、めでたく、享保十四年(1729年)4月28日に、ご拝謁とあいなるわけです。

その後の旅路は、文字通りの大名行列・・・なんせ官位持ってますから、お象様のお通りに道を開けるのは当然の事、前を横切りなんかしたら、エライこってす。

やがてお象様は、5月25日に江戸にご到着。

その後、無事、暴れん坊な将軍・吉宗さんとお会いあそばされたという事です。

もちろん、江戸でも、「お象様ブロマイド(絵ですが・・・)に始まり、「お象様物語」「お象様双六」など関連グッズが飛ぶように売れて大人気!

それこそ、江戸珍獣ブーム(2月20日参照>>)の火付け役となったのですから・・・。

そんなお象様は、しばらくは浜離宮で飼われていたそうですが、飼育係にケガを負わせたりするなど、いくつかのトラブルがあったため、二年後には払い下げられ、あの徳川綱吉『生類憐みの令』(1月10日参照>>)の時の、デッカイ犬小屋の跡地に象小屋をしつらえてもらって、20年近く生きたという事です。

遠い異国で奥さんを亡くして、ひとりぼっちの20年・・・そのお象様の気持ちを思うと、胸が痛みますが、そうなると、現在の動物園はどうなんだ?」って事にもなりますし・・・ここは、江戸時代の日本人を大いに楽しませてくれた事に感謝をして、その安らかなる眠りに手を合わせる事にいたしましょう。
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2006年4月21日 (金)

日本書紀を奏上

 

養老四年(720年)4月21日、天武天皇の皇子・舎人親王らによって日本書紀ができあがりました。

・‥…━━━☆

『日本書紀』は、30巻から成る神代から持統天皇までを漢文で記した官撰正史の史書です。

よく比較される『古事記』とは、ともに『帝紀』『旧辞』を主たる参考にしているので、内容はほぼ同じなのですが、おもな違いとしては、『古事記』が万葉仮名で書かれ、神話に重点を置いているのに対し、『日本書紀』は、漢文で新しい時代をくわしく書いています。

【あと、『記』と『紀』の字が違いますが・・・(笑)】

それは、
『古事記』のほうは、ごちゃごちゃになって、つじつまの合わない神話を、とりあえず1つにまとめよう的な発想から編さんしたのに対し、

『日本書紀』は、神の子孫としての大和朝廷の正統性を、国の内外に示す目的が強いからではないかと言われています。

ちょうど、計画が持ち上がった時代が、持統天皇が皇位を継がせたかった息子・草壁皇子が死んでしまい、孫の文武天皇に継がせようと考えていた時代だったという事も、その内容に深く関わっているのでは・・・という気がします。

天孫降臨のニニギのみことは、アマテラスの孫ですからね。

Dscn1440 大阪にある生國魂神社は、神武天皇国つ神を祀るために建てた神社です。

実は、大阪は、奈良よりも、京都よりも、古都なんですよ。

 

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2006年4月16日 (日)

金閣寺建立

 

応永四年(1397年)4月16日、金閣の立柱棟上式が行われました。

・‥…━━━☆

もと西園寺公経の別荘だったものを、当時41歳だった室町幕府第3代将軍の足利義満が譲り受けて、北山殿と呼ばれる別荘にしました。

どうやら、守護や僧侶に造営を強要したために、かなりの反発をかったようですがね。

義満が亡くなったあとは、その遺言によって、夢窓疎石(むそうそせき・夢窗疎石)(9月30日参照>>)を招いて禅寺として開山しました。

それが、京都にある有名な、現在の鹿苑寺(ろくおんじ)です。

当時は、境内も広く、堂もたくさんあったのですが、応仁の乱でほとんどが焼失して、江戸時代に再建されました。

現在の金閣は、昭和二十五年(1950年)に寺の僧の放火により焼失し、同じく三十年(1956年)に再建された物で、3層の楼閣で高さは、約12.5メートル。

1層目の法水院寝殿造り
2層目の潮音洞鎌倉時代の武家造り
3層目は禅宗仏殿風の造りです。

ただ、再建はされていたものの金箔が少し残念な感じになってましたが、昭和六十一年(1986年)の修理で、金箔約20キログラム、約7億4千万円が使われ、現在は、ほんとうに美しくなりましたね。

86年の修理に携わった方々の匠の技がまぶしく光ってます。

Dscn1990a800 鹿苑寺・金閣

銀閣寺との違いについては、6月27日の【銀閣寺が銀箔じゃないワケは?】へどうぞ>>
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2006年4月14日 (金)

今日からポスト愛護週間です

 

今日、4月14日から始まる『ポスト愛護週間』は、日頃お世話になっている郵便ポストに感謝の気持ちで接し、より親しまれるポストにしようということで、『ポスト清掃』『ポスト祭』などを行って、愛護の精神をアピールする週間なのだそうです。

・‥…━━━☆

ポストの正式名称は。『郵便差出箱』

江戸時代、手紙は、飛脚が届けていましたが、届く時間がまちまちで、しかも値段が高く、とても庶民が利用できるものではなかったようです。

しかし通信手段は、近代社会においてなくてはならない物・・・

そこで、西洋の郵便事情を学んだ前島密(ひそか)(4月27日参照>>)らの尽力により、明治四年(1871年)、全国津々浦々に同一料金で手紙が届く郵便システムを、国が運営することになったわけです。

もちろん、当時は『ポスト』とは呼んでおらず、街角に『郵便』と書かれた木箱が置かれていましたが、その意味がわからず、その箱に向けてオシッコをする人が続出・・・

『郵便』という文字を『垂便』と見間違え、トイレと勘違いした人がたくさんいたらしいです。

ところで、これは個人的な思い出なのですが・・・
何十年も前に亡くなった私の曽祖父が、「明治の始め頃にはやった歌なんやで」と言ってよく歌ってくれた歌があります。

♪ 日本で~早いの~は 汽車、馬車、蒸気に帆まい船
  なおも~早いの~は 郵便配達、電信機
  コンコン ヤッチキドッコイ マメチ●コ ホイ
  でもまぁ、東京はひらけたネ、そうだネ、なんだヨ ♪

郵便配達が早い物の中に入っているのを、子供心に驚きました。

やっぱり江戸の頃の、飛脚制度と違った、新しい郵便システムに、庶民の人々が驚いたのでしょうね。

Dscn0857a

この前行った福知山でレトロなポストがありました。
 

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2006年4月 9日 (日)

大仏開眼

 

天平勝宝四年(752年)の4月9日、東大寺の大仏開眼供養が行われました。

・‥…━━━☆

全国から1万人の僧が集まり、ベトナム新羅の舞楽が演奏され、遠くインドの僧まで招かれた、それはそれは盛大なものだったようです。

その頃各地に天然痘が流行し凶作が続き、果ては反乱が起こり・・・聖武天皇自身も怖くって都を離れて各地へ転々と逃げ回る日々でした。

各地に国分寺を建て、全国の国分寺の中心となる『大和国分寺』として、東大寺を建てて大仏を造立したのは、何かしないと怖くてたまらなかったって感じですかね。
くわしくは・・・
大仏の大きさは聖武天皇の恐怖の大きさ>>
恭仁京?志香楽宮?聖武天皇・迷走の謎>>

しかしそれには、莫大な費用と労力がかかったことは言うまでもありません。

ちなみに、この世紀の儀式で大仏に目を入れた方は、はるばるインドからやって来た菩提僊那(ぼだいせんな)(5月18日参照>>)というお坊さんです。

とにもかくにも・・・
大仏っつぁんデータ

大きさ
・像高・・・約10メートル
・顔の長さ・・・約4.8メートル
・重さ・・・250トン
・大仏殿の高さ・・・約47メートル
(世界最大木造建築)

工事期間
・747年~752年

資材
・銅・・・444トン
・金・・・0.4トン
・水銀・・・2.2トン
・スズ・・・7.6トン
・炭・・・1178㎥

労力
・木工労働者・・・166万5071人
・材木関係技術者・・・5万4902人
・鋳造関係技術者・・・37万2057人
・鋳造労働者・・・51万4902人

のべとは言えこの時代に、都にこんなにたくさんの人がいたことが1番の驚きです。

Dscn0665a  

 

 

 東大寺への行きかたはHPでどうぞ>>

 

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2006年4月 6日 (木)

第1回近代オリンピック

 

1896年の4月6日、ご存知、クーベルタン男爵の努力によって、第1回近代オリンピックが、ギリシャのアテネで開催されました。

・‥…━━━☆

参加国は13国
参加選手は280名

気になる競技種目は・・・
トラック競技が、
100m、
400m、
800m、
1500m、
ハードル、
マラソン、

フィールド競技が、
走り高跳び、
走り幅跳び、
三段跳び、
円盤投げ、
砲丸投げ。

以上陸上種目が十二種目。

その他に、
水泳、
体操、
テニス、
レスリング、
フェンシング、
自転車がありました。

各競技の優勝者には、金メダル・・・ではなくて
わざわざオリンピアから切り取ってきたオリーブの枝と銀の杯が、皇帝から手渡れたそうな。

えぇっ!月桂樹の冠じゃなかったの?
ず~っと長いこと、月桂冠だと思ってました。

私個人的には、今後のオリンピックの新種目として、綱引きの復活と、駅伝の導入を希望してます。

それも、国対国で・・・。

盛り上がると思うけどなぁ~。ケンカになるかな?
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2006年4月 2日 (日)

図書館記念日

 

明治五年(1872年)4月2日、明治政府は『湯島聖堂』を『書籍館』として公開し、この書籍館が明治十三年(1880年)に『東京図書館』と改名して、図書館という名称が公のものになった事から、4月2日は「図書館記念日」という記念日なのだそうです。

・‥…━━━☆

さらに、全国的には、明治三十二年(1899年)に『図書館令』が公布された事で、公共の図書館が徐々に建設されて、広がっていきました。

ところで、日本で最初の図書館は??
実は、法隆寺にある『夢殿』がそうだと言われていますね。

聖徳太子『三経義疏(さんきょうぎしょを書くための資料をおさめていたとされるものですが、その雰囲気からして、どちらかと言うと、聖徳太子個人のデカイ書庫って感じ??

・・・で、現在の図書館のような役割をするものというのは、大宝律令のときに設けられた『図書寮(ずしょりょう)が最初です。

・・・って気づきました?
本当は「としょかん」ではなく、ずしょかん」って呼んでたんですって。

図書館と書いて「としょかん」と呼ぶようになったのは、大正時代以降から、それまでは「ずしょかん」だったそうです。

『世論』も、昭和の頃は「よろん」と学校で習い、先生に決して「せろん」ではありませんよと言われましたが、今は「よろん」でも「せろん」でも○ですよね。

『新しい』も、明治の頃までは、「あらたしい」が正解でしたが、言い難くてみんなが「あたらしい」って言ってしまうので、「あたらしい」でOK、ということになって今に至ってます。

言葉の変化については、もっといっぱい語りたいところですが、今日は『図書館記念日』という事で、また日を改めて新たなページに・・・ってほら、ホントは「あらた」が正解でしょ?

Dscn1151a

大阪府立中之島図書館は、明治33年に住友家が寄付しました・・・って←府立なん?
 

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