鑑真和上没
西暦763年(天平宝字七年)5月6日に、鑑真和上が亡くなりました。
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鑑真は中国の唐代の僧で、仏教の布教のために、日本へ渡ろうと決意して、出航しましたが、そのたびに嵐に遭うなどで5回も失敗し、その苦労のために、とうとう失明してしまいました。
それでもあきらめずに、6度目挑戦!754年に、やっと来日する事ができました。
聖武天皇をはじめたくさんの人々の信頼をあつめて、、日本で律宗を開きました。
759年には、奈良の唐招提寺を建立。
唐の文化を日本に伝え、日本の文化の発展にも、仏教僧のレベルアップにも貢献した人です。
小学校の社会の教科書で始めて、鑑真さんの来日の苦労の話を知った時は、なんてスゴイ人なんだろう・・・と感激したものです。
以前、唐招提寺にある鑑真和上像が、海を渡って中国で公開された時、『鑑真和上初めての里帰り』という新聞の見出しと、ひとめ像を見ようとする中国の人々の熱いまなざしの写真を見て、鑑真さんの心情はいかに・・・と感慨にふけりました。
創建当時から比べるとかなり縮小されている事の多い奈良時代のお寺の中で、唐招提寺は、ほぼ天平時代と変わらない大伽藍を今も保っています。
あの広々した感じは、とても落ち着きます。
唐招提寺で、いつもは、6月5日から7日までの3日間しか公開されない鑑真和上像が、今年は、金堂の平成の大修理記念の一環として、6月3日から11日までの9日の公開になるとの事なので、今年は、何十年ぶりかに、私も鑑真さんに会いに行こうかなと思っています。
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