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2006年6月30日 (金)

参勤交代、始まる

 

寛永十二年(1635年)6月30日、江戸幕府第3代将軍徳川家光が、先代・秀忠の時代に定められた『武家諸法度』を改定し、新たに参勤交代の制度を定めました。

・‥…━━━☆

将軍と大名の関係は、家光の代になって、やっと主従関係として定まったものの、未だ、いつ裏切るかわからない不安も残っていました。

そこで思いついたのが、各大名の妻子を、将軍のお膝元・江戸に、いわば人質として住まわせ、大名・本人は、原則一年交代で、国⇔江戸を往復させる・・・という参勤交代の制度です。

たしかに、この制度によって、全国的な文化の流通が始まり、各地の道路網も整備され、江戸の町に繁栄をもたらしましたが、各大名を悩ませたのは、その費用です。

もちろん、それは、将軍・家光の思うツボでもありました。

莫大な費用がかかる事により、藩の財政が圧迫され、軍備を整える費用もなければ、それだけ将軍家にはむかう者もいなくなるからです。

大名は、米や料理人も持参。
トイレもお風呂も持参します。

泊まる所は、『本陣』と呼ばれる各村の有力者の家がほとんどで、今も書いたように、米も料理人もついてきますから、いわば素泊まり・・なのにもかかわらず、現在のお金に換算して一泊、10万~30万円の謝礼金を払っていました。

ある大名は、一回の費用が1億2千万円掛かったと記録に残しています。

60万石の大名が60万石の費用を使った・・・という記録も残っています。
参勤交代だけで、一年分の稼ぎを使っちゃった・・・って事ですね。

なので、時代劇などのイメージだと、「したに~、したに~」っと行列を組んで、ゆっくり歩いてるイメージがありますが、あんな感じになるのは江戸の町に入ってからの事・・・大名行列は、一般人の旅をするスピードより1.2倍くらい早かった、と言われています。

それは、一日でも早く江戸(もしくは国)に着いて、費用を少なくするため、必死で歩いていんですね。

連れて行く人数も最小限にして、江戸の町に近づいた頃に、現地でバイトを雇って見た目をカッコよくつくろって、極力少ない費用で収めようと必死に努力してたんですよ。

お疲れ様です<(_ _)>
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コメント

こんにちは~。
私も今日は参勤交代でした☆
参勤交代、大名たちは大変ですよね~。うまいことを思いついたもんだ…。ずっと江戸においとくんじゃなくて、一年おきというのがいやらしいですね…。
大名たちの節約努力が涙ぐましいです。

投稿: ぴの | 2006年6月30日 (金) 17時12分

 茶々さん、こんばんは。

 ぴのさんも来てますね~おひさしぶりです!

 それにしても、家光さんはグッド・アイディアですね~この制度では遠方の外様藩はさらに大変だったでしょうねぇ。

 たしかに江戸幕府はこの時期まだ油断出来ない状況でした~一体、幕府が盤石と完全に言えるのはどの将軍の時代からでしょうね~、厳密には最後の慶喜さんの時代まで、何かと幕府存続はず~っと気が抜けなかったのではないでしょうか~(飢饉や将軍後継問題などもありましたし・・・)

 でも仰るとおり、この制度の副産物である文化的交流の効果が、庶民のさまざまな芸術や文化を生んだということは一番の素晴らしいことでしたね~、家光さんは見抜いていたのでしょうか(笑)。 

投稿: ルーシー | 2006年6月30日 (金) 21時14分

ぴのさん、コメントありがとうございます。
ホント、「家光さんイケズ~」って感じですよね。
あの、髭をはやした奴さんが、なかば小走りで街道を駆け抜けて行く姿を想像すると笑えますね。

投稿: 茶々 | 2006年7月 1日 (土) 02時27分

ルーシーさんも、いつもコメントありがとうございます。
やっぱり、将軍様は、どのかたもいつも気が抜けなったんじゃないでしょうか?
今日、たまたま二条城へ行ってきたんですが、御殿の各広間の将軍のすわる場所だけ、天井が高いんですよ。
案内のかたの説明によると、屋根と天井の間に隙間がないように・・・つまり、屋根裏に賊が侵入できないように、天井が高くなってるんだそうです。
やっぱり、将軍様は、常に危険と背中合わせだったんですね~。

投稿: 茶々 | 2006年7月 1日 (土) 02時45分

 おはようございます、おぉ~っ!なるほど~っ! 
>屋根裏に賊が侵入できないように、天井が高くなってる~
 そうなんですか~勉強になります!
たしかにいつも狙われる立場でもありますから、おちおち夜も寝られなかったでしょうね~、そう思うと将軍と言えど窮屈な(?)、気の毒な感もします。

 小泉さんも総理という激務と精神的な面からか、当初よりかなりやつれ?てしまったような・・・夜型の方だそうですが、任期終えたらとりあえずゆっくりしてほしいですね~、ではまた!

投稿: ルーシー | 2006年7月 1日 (土) 08時20分

二条城、私も勉強になりました。
今まで何ヶ所かお城を見物しましたが、どれも中が博物館になってる所で、実際に使用していた大広間とか、初めて見ました。
目の前にある広間が徳川慶喜が大政奉還を皆に伝えた部屋などと聞くと感動しました。

投稿: 茶々 | 2006年7月 1日 (土) 18時32分

1つ質問があります。愚問かもしれませんが正室との間の男子がいない時は、側室との間の男子が跡取りになりますが、やはり幕府に申請するのでしょうか?
ただ、誰を跡取りにするかは必ず申請すると思います。息子がいない時は弟や従兄弟を養子として跡取りとしますね。
「水戸黄門」とかでは跡目争いがよくネタ(「ご落胤」と言う少年が出てきて、彼を跡取りとするかしないかで騒動になる)になりますが、実際には優先順位があったんでしょうか?

投稿: えびすこ | 2011年5月26日 (木) 14時32分

えびすこさん、こんにちは~

やっぱり申請はあったでしょうね。
時には、幕府が口をはさむ事もあったのではないかと思います。

優先順位は、生母の身分で、ある程度決まるんじゃないでしょうか?
身分が良い所の人なら、たとえ側室でも、それなりの理由があって側室に入ってますし、逆に、ご落胤の場合は、生母の身分は確実に低いですから、問題にはならなかったのでは?と思います。

投稿: 茶々 | 2011年5月26日 (木) 16時48分

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