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2006年7月 7日 (金)

七夕の夜に日本最古のK-1ファイト

 

天平六年(734年)7月7日、あの大仏建立で有名な聖武天皇が、七夕の宴と相撲見物を行った・・・という記録があり、一般的にはこれが、七夕と相撲の起源とされています。

・‥…━━━☆

・・・が、どうしてどうして、それよりずっと以前から、七夕は伝わっていて、七夕の行事の一つとして相撲・・・というより格闘技が行われていました。

大阪の北東部にある交野市は、七夕発祥の地と言われています。

ここには、天の川が流れ、かささぎ橋がかかり、機物(はたもの)神社(祭神は織姫があり、川の向こう岸には牽牛石と呼ばれる石があります。

くわしい場所や伝説は本家HP:大阪歴史散歩『交野ヶ原、七夕伝説』で>>

機物神社は、もともと秦者神社で、4~5世紀頃、朝鮮半島の百済からやってきて養蚕と機織の技術を伝えた渡来人・秦氏の氏神でした。

彼らは、機織の技術とともに、ふるさとに伝わる七夕伝説を日本の地に伝えたのです。

一方相撲のほうはというと、日本書紀に垂仁天皇の七年、7月7日に天皇の前で『死合』(←こんな字かよ!)が行われた」とあります。

垂仁天皇は、第十一代の天皇で、年代的には3世紀前半に活躍したとされる天皇です。

Kehayatukacc_1 当麻蹶速(たいまのけはや)という強い男が朝廷にやってきて「自分と力比べをしてくれる強い者を探している」と申し出て、ならば・・・という事で、出雲の勇士・野見宿禰(のみのすくね)が相手をする事になります。

しかし、その『試合』がまさに『死合』なんです。

両者は、向かい合って互いに足をあげて蹴り合い、宿禰が蹶速のアバラを蹴り折って、腰骨を踏んで殺してしまった・・・て言うんです。

これは、相撲というよりは、K-1いや、K-1もルールがあるし、もちろん殺しちゃいけません。

この『死合』はまさに、ルールなきストリートファイトですね。

ファイトマネーは、領地。

勝った宿禰は蹶速の領地を貰い受けています。

以来、格闘技が七夕の行事の一つとして、かの聖武天皇の奈良時代にも、7月7日におこなわれていたのですね。

現在の格闘技は年末の行事の一つとなりましたね。

現在、当麻蹶速の塚の隣には、相撲の元祖=蹶速さんのゆかりの地という事で、全国でも珍しい相撲の博物館=葛城市相撲館「けはや座」があります。
当麻蹶速塚けはや座のくわしい場所は、本家HP:奈良歴史散歩「当麻の里」でどうぞ>>
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