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2006年8月 6日 (日)

広島平和記念日

 

昭和二十年(1945年)8月6日、広島に原爆が投下、やはり今日はこの話を、避けて通る事はできないでしょう。

この日の朝・8時15分、アメリカ軍のB29爆撃機『エノラ・ゲイ』が、世界で初めての原子爆弾『リトルボーイ』を投下しました。

・‥…━━━☆

広島市・中心部の上空で炸裂した原子爆弾は、一瞬にして14万人の命を奪い、町は焦土と化しました。

その後、死亡した人を含めると、原爆の犠牲者は約25万人に達します。

この3ヶ月前、この原爆投下の計画を聞かされ、大変なショックを受けた一人のアメリカ人がいました。

国務次官のジョセフ・グルーという人です。

彼は日本が開戦した時、駐日大使をしていた人で、親日家でもあり、日本とアメリカの戦争を何とかやめさせようとした人でもありました。

この2月にはヤルタ会談で、これからソ連が参戦する事も決まっていましたし、グルーがこの話を聞いた前の日には、ドイツが無条件降伏をしていました。

「このままでは、日本が破滅してしまう。何とかしなければ・・・」と考えます。

そして、起こした行動が対日声明の発表でした。

4月に急死したアメリカ大統領・ルーズベルトの方針では、アメリカとソ連の両方で、日本を占領し、ドイツのように、北と南(あるいは東と西)に分断する計画でした。

「分断などさせてはいけない」
と、グルーは、終戦後のアメリカが行うであろう政策を先に発表して日本がそれを受諾するならば、最悪の結果から救われる・・・と思ったのです。
それが、『ポツダム宣言』でした。

しかし、グルーの努力だけでは、なかなかルーズベルトの立てたもともとの計画をかけ離れる事は難しく、宣言の内容は日本にとっては、重いものでしたので、日本はすぐには受諾しませんでした。

結局、広島と長崎に原爆が落ち、ソ連も参戦していまいます。

とは言え、この『ポツダム宣言』ができるにあたっては、グルーの日本を救いたいという気持ちが盛り込まれているのは確かでしょう。

昭和三十年(1955年)8月6日には、日本で初の『原水爆禁止世界大会』が行われています。
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