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2006年8月26日 (土)

伊達政宗の幕府転覆計画

 

元和六年(1620年)8月26日、伊達政宗によってスペインへ派遣されていた支倉常長が帰国しました。

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今では、誰もが知っている支倉常長(はせくらつねなが)を代表とする、伊達政宗が派遣した遣欧使節。

しかし、この事実は長い間、日本人は誰も知らなかったのです。(伊達家の関係者は知ってたでしょうが・・・)

それは、偶然・・・と言ってもいいでしょう。

明治六年(1873年)、岩倉具視(いわくらともみ)が新政府の一人として、欧米を視察旅行している中で、ヴェネチア古文書館を訪れた時に、「ここには、昔やって来た日本人が持ってきた手紙が保管されているんだよ」と、一つの書簡を見せてもらいます。

それが、支倉常長が持ってきた伊達政宗の手紙だったのです。

そこで、始めて伊達政宗がスペインに使節を送っていた事が、日本人の知るところとなりました。

手紙の内容は、使節を派遣した理由で、宣教師の派遣と通商を求めるものでした。

現在は、すっかり研究も進んで、使節が派遣されたのが、慶長十八年(1613年)である事や、二年後のの元和元年(1615年)の11月3日には、ローマ教皇=パウロ5世に謁見している事もわかっています。

・・・ん?ちょっと待てよ。

慶長十八年(1613年)と言えば大阪冬の陣の前の年。

すでにキリシタン禁止令が出ていて、布教活動も禁止され、それが全国に拡大されて、キリシタン大名の高山右近がフィリピンに追放された(1月5日参照>>)のも、この頃だったはずです。

そんな時期に「宣教師の派遣」とは・・・。

しかも、この頃は、諸大名に五百石以上の船の建造を禁止しているはずなのに、使節団はその十倍近い大きさの帆船で送り出されています。

伊達政宗の真意は何なのでしょうか?

そして、別の古文書館に、もう1通の手紙が残っています。

それは、使節団を引率した宣教師がスペイン国王に送った手紙です。

彼は伊達政宗の事を、奥州王と呼び、徳川家康と同列の位置に置いて話を進めています。

この手紙によると、
日本皇帝(家康)新皇帝(秀忠)は、スペイン国王がカトリックを広めようとしている事を悪とするオランダ人やイギリス人と親交を結び、キリシタンを迫害し、次々と教会を壊している。
しかし、奥州ではそのような事はない。
奥州王
(政宗)は、スペインを友人と思い、自らが家来とともにキリスト教徒になっても良いと言っている。
そして、30万人のキリシタンを部下にし、その助けを借りて、皇帝になる事を望んでいる」

のだそうです。

これは、明らかにスペインの手助けを得て、天下を取ろうとする『幕府転覆計画』です。

今となっては、この宣教師の手紙の内容が、どこまで本当だったのか、それともまったくの作り話なのか、知るすべはありませんが・・・

なんせ、幕府転覆どころか、徳川はこの先300年も続くわけで、結局、支倉使節団の派遣自体が闇に葬られてしまうわけですから・・・。

しかし、キリシタン禁制の時代にありえない理由で派遣された支倉常長という人物がいた事は事実なのですから、やはりここでは、よく言われる「伊達政宗がもう少し早く生まれていたら、天下は・・・」という、歴史談義に花が咲く事になるでしょうね。

・・・想像はふくらみますね~。

★政宗の幕府転覆計画については
【齢70…晩年の伊達政宗】>>
【舅・伊達政宗と幕府転覆??松平忠輝の長い勘当】>>
でも、触れていますのでよろしければどうぞm(_ _)m
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