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2006年8月15日 (火)

石橋を叩いて渡る北条早雲

 

永正十六年(1519年)8月15日、北条早雲が88歳で、この世を去りました

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応仁元年(1467年)に勃発した応仁の乱(5月20日参照>>)は、まさに戦国の幕開けでした

足利将軍家は衰退の道を歩み始め、守護大名は没落し、山城に国一揆が起こり、世は強いもん勝ちの実力社会・下克上となります。

そんな時いち早く頭角を現したのが戦国の風雲児(児と呼ぶにはオッチャンですが・・・)北条早雲(ほうじょうそううん)です。

ホントの名前は、伊勢新九郎長氏(諸説あり)

剃髪をして早雲と号し、彼の次世代から北条氏を名乗るので、実際には、本人が北条早雲と名乗った事はありませんが、一般的には北条早雲と呼ばれます。

早雲の生まれは永享四年(1432年)、出生地は京都とも伊勢とも言われ、はっきりしません。
(出自についての論争は【物議をかもしだした北条早雲の手紙】のページで>>)

はっきりしているのは、早雲は、かなりの遅咲き、大器晩成型だという事。

それは、石橋を叩いて渡る・・・いや、叩いてもまだ渡らないくらいの用意周到な性格が影響しているのでしょう。

強固な確信がないかぎり、絶対に動かない人だったようです。

そんな早雲がある夜、夢を見ます。

ネズミが二本の杉の木をかじる夢

早雲は子年の生まれ、二本の杉の木は、当時、関東管領の座を争っていた山内扇谷(おうぎがやつ)の、両上杉家

ちょうどその時、将軍家も鎌倉公方の座を争っていて、まさに関東は真っ二つに分かれていたのです。

そんな分裂状態の合間をぬって、今川義忠の側室となっていた妹(または姉)北川殿を頼って駿河にやってきたのが、すでに50歳の早雲・・・。

義忠の死後、義忠と北川殿の間に生まれた氏親を助けて今川の内紛を収め(6月21日参照>>)、扇谷上杉家の太田道灌とも話し合い、氏親を今川家の当主に押し立てたことにより、興国寺城を譲り受け城主になります。

そして、ここから早雲の怒涛の出世が始まっていくのです。

堀越公方を滅ぼし伊豆に進出した(10月11日参照>>)のが60歳。

大森藤頼をだまし討ちして、小田原城を奪い取ったのが64歳(2月16日参照>>)

その後、伊豆と西相模を固め、85歳で三浦半島・新井城の三浦氏を滅ぼし、相模一国を手に入れました(7月13日参照>>)

87歳でやっとこさ長男に家督をゆずり、その翌年=永正十六年(1519年)8月15日88歳の生涯を閉じました。

波乱万丈な戦国の世で、静かに畳の上で息をひきとったのは、やはり石橋を叩いて渡るその用意周到な性格のなせるワザと言ったところでしょう。

早雲が奪った小田原城は、こののち北条氏・五代の本拠地となり、豊臣秀吉天下統一を最後まで阻みます。(7月5日参照>>)

*さらにくわしくは【北条・五代の年表】でどうぞ>>
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コメント

後北条氏の初代である、北条早雲ですが、最近になって、出家前の名前が、伊勢長氏(通称は新九郎)ではなく、伊勢盛時という名前であることが分かったそうです。しかも、室町幕府の政所執事という職務を務めるほどの高級官僚だったそうです。また、生年についても、1456年に生まれたとする説も浮上してきたようです。いずれにしても、早雲は、乱世を生き抜いた名将であることは、間違いないでしょう。戦略面だけではなく、内政面や今川家との外交面において、見事なまでの知恵を発揮したのですから、すごい人物だと思います。

投稿: トト | 2016年6月16日 (木) 08時49分

トトさん、こんにちは~

すみません…かなり昔のページで、すっかり忘れていて新しいページへのリンクもしてませんでしたね。

新しめのページでは、名前は伊勢盛時で書いてます。
出自や幕府との関係については【物議をかもしだした北条早雲の手紙】>>で見ていただけるとありがいたいです。

一応「ブログ」で「日記」なので、年数を経ても変わらない物もあれば、年代や見方立ち位置の違いにより先と後では別の見解を書いている場合もありますので、ご理解いただければ幸いです。

投稿: 茶々 | 2016年6月16日 (木) 15時31分

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