日本初のタクシー誕生
明治四十五年(1912年)8月5日、日本発のタクシーが登場したので、今日は「タクシーの日」という記念日だそうです。
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明治四十五年(1912年)8月5日、東京・数寄屋橋のタクシー自動車が6台のT型フォードで、営業を開始しました。
料金は、半マイル60銭。(なぜに?マイル)
1マイル=1.6kmとして・・・800m?で60銭!
おそばのモリが一枚3銭の時代なので・・・これは、高い!高すぎる!
とても庶民には手が出ませんね。
そのうち大正時代に入ると、台数も2000台を越え、運転手はダブルの背広に鳥打帽子、革の手袋といった当時としては小粋なスタイルで、女性たちに大人気だったそうです。
今でいう、ファミレスのアンナ○○ー○のような事なのかな?
大卒の初任給が15円だったこの頃に平均収入100円というのは、いかに花形職業だったのかがうかがえますね。
そら、女の子もキャーキャー言うわ!
大正十三年(1924年)の大阪には、さすが!大阪らしく、市内料金1円均一の『円タク』が登場します。
そして、早くも2年後には、東京にも『円タク』が登場して、その後、各地にも飛び火します。
ところが、そうなると過当競争で、だんだんと運転手の質が落ちていって、ついには助手席に売春婦を乗せて走る『徘徊魔窟』なる物まで現れます。
(↑それは、タクシーやないやろ!)
一方では、法外な料金を要求する雲助タクシーも登場するかわりに、客のほうも料金を値切るのが常識でした。
この頃は、車先進国の欧米とちがって、日本では登録されている車のほとんどがタクシーまたはハイヤーで、一般の人が車を持つようになるのは、まだまだ先のようですね。
終戦直後には、燃料不足のため、薪(たきぎ)タクシーが走っていたそうで、目的地まで行って燃料がなくなると、そのへんの木切れやゴミをかまに入れて、また走って行ったとか・・・。
その後、昭和三十年(1955年)には、交通停滞の中で客の回転率を上げるために、スピード重視の無謀運転をする神風タクシーなんていうのもあったり、それから、今もお馴染の個人タクシーも生まれ、LPG(液化天然ガス)車も走ってましたね~。
無資格営業の『白タク』(業務用ではない白のナンバープレート)なんて言うのも、この頃でしょうか。
今は、日本も車社会になって、バブルもはじけて、タクシー業界は、どうなんでしょうか?
でも、京都や奈良では、修学旅行の学生さんを案内しておられるのを、よく見かけますが、あれはなかなか良いです・・・運転手さんも、バスガイドさん顔負けの案内をすべく、猛勉強されてますしね。
学生さんにとっても、良い思い出になる事でしょう。
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