雪舟さんのご命日です
永正三年(1506年)8月8日、室町時代の水墨画の頂点を極めた雪舟が亡くなりました。
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雪舟は、応永二十七年(1420年)、備中の生まれと伝えられていますが、その前半生は、はっきりと分かりません。
十二・三歳の頃に、生まれ育った備中の宝福寺に入門したと伝えられています。
いたずらをして叱られて柱に縛りつけられた時、涙でねずみの絵を書いたというエピソードはこの頃の物なのでしょう。
その後、京都の相国寺で、禅の修業をするのと同時に、周文から画を習い始めます。
周文は、『日本水墨画の父』と呼ばれる人ですから、雪舟の才能ももちろんですが、やはり先生も良かったんでしょうね。
その後、周防(すおう・山口県)の大内氏をたよって西へ向かった雪舟は、応仁の乱の起こった応仁元年(1467年)に、幕府の船に便乗して中国に渡ります。
中国のお寺でも壁画を描いたと言われていて、その頃、もうすでに、雪舟の絵のうまさが中国でも知れわたっていたようです。
そして、彼はこの中国で、中国人の画家たちから新しい画法を学び、より雪舟らしい独自の画風を確立していきます。
帰国後は、周防を中心に諸国をめぐり、たくさんの名作を世に送り出しました。
ある日、以前世話になっていた大内義興(よしおき)が、「明(中国)から素晴らしい画を手に入れたぞ!」と、雪舟に自慢げに見せたところ、それは雪舟が描いた物だったというエピソードも残っています。
代表作の「花鳥屏風」「秋冬山水図」などを世に残し、永正三年(1506年)8月8日、雪舟は亡くなりました。
87歳という大往生・・・いえいえ、人間、何年生きたって、「これでいい!」と思う事はありません。
芸術家たる者、常に志半ば・・・雪舟さんも、もっともっと絵を描きたかった事でしょうね。
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