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2006年9月23日 (土)

鞭声粛々の作者・頼山陽

天保三年(1832年)9月23日は、歴史家で詩人でもある頼山陽の亡くなった日であります。

先日、川中島の合戦の日に少し書きました、あの合戦の様子を詠った有名な詩

♪鞭声粛々 夜 河を渡る
 暁に見る 千兵の大牙を擁するを
 遺恨十年 一剣を磨き
 流星光底 長蛇を逸す♪

この詩の作者が頼山陽です。

彼は、広島藩の儒学者の子供として、大阪で生まれます。
朱子学(1200年頃の中国で生まれた儒学の一種)の学者・柴野栗山の話を聞いて大いに感動し、朱子学を学ぶため、18歳の時に江戸に出てきます。

1年間、尾藤二州に弟子入りして勉強し、広島へ戻りますが、かなりの不良だった(この頃の不良というのがイメージできないのですが・・・)らしく、しばらく自宅に幽閉されてしまいます。
この時に『日本外史』22巻を書き上げます。

彼は、江戸文化・華やかなりし頃の文化文政時代を代表する文人でしたが、生前に出版された書物は『日本楽府』だけで、門弟も少なく、書画を書いて、それを売って生計をたてていました。

その代金の取立てはきびしく、近隣ではケチだと噂されていた彼でしたが、書画の人気は高く、依頼のために、家の前に行列ができるほどだったと言います。

また、彼はたいへん旅行好きで、九州の果てまで旅していきましたが、行く先々で書画の依頼を受けたので、旅費の心配もなく、楽しく旅を続けていたようです。

しかし、自分の作品にはきびしく、たとえ旅先であっても、決して手を抜いて書く・・・というような事はなかったそうです。

自分の特技を生かして日本中を旅する・・・なんて、羨ましいかぎりです。
 

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