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2006年9月 8日 (金)

明治に改元・一世一元を定む

 

明治元年(慶応四年・1868年)9月8日、元号を慶応から明治に改めるとともに、以後、一天皇は一元号とする事、つまり一世一元の制を定めました。

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以前、『元号のおはなし』(6月19日参照>>)でも書きましたが、それまでは天皇が即位した時はもちろん、疫病が流行ったり、凶作だったり、何か不吉な事が起こると元号を改めていました。

それを、この時から現在のように、一人の天皇にひとつの元号で、亡くなったときにその元号の名前が(おくりな)として使用される・・・というふうになったのが明治のこの日から。

明治という名前になるにあたっては、いくつかの候補の中から、天皇がくじで引いて・・・えぇ?くじびきかい!・・・とお思いかも知れませんが、天皇がくじを引く=これは神託なのだそうです。

たしかに、くじというのは、ある意味、神のなせる業と言えなくもないですから。

ところで、もっと以前は天皇が亡くなって次の天皇に継承するのではなく、ある程度の年齢、あるいは政治的要因によって、天皇自体がけっこうすぐに交代していたし、その上、あの後醍醐天皇は8回も、崇徳天皇も在位中に6回改元していますから、そんなにころころ元号が変わって、昔の人は混乱しなかったのでしょうか?

江戸時代も、徳川家康が征夷大将軍になった1603年から60年間でこそ、慶長・元和・寛永・慶安の四つであるけれども、これも後期になって幕府の力が弱まるとけっこう頻繁に、改元が繰り返されます。

2年や3年で交代ばかりしていたら、「昭和生まれだ」「平成生まれだ」もあったもんやない!と心配していたら・・・

どうやら昔の人は、元号よりも、干支(えと)を使ってその年を表していたとの事・・・。

十干と十二支の組み合わせだと、同じ組み合わせの年がめぐってくるのは60年に一度・・・例の、還暦ってヤツです。

十干は甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の10個。
十二支は子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の12個ですね。

当時の寿命からいくと、60年はけっこう長く、生年や出来事のあった年を表すのに、何の不自由もなく混乱もありませんでした。

そう、甲・子の年に完成したから、甲子園球場なのだ・・・というのは、けっこう有名ですよね。

現在のように、元号が国民生活に、どっぷり根をおろすのは、やはりこの明治以降のようです。
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