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2006年9月24日 (日)

大津皇子、謀反発覚!

 

朱鳥元年(686年)9月24日、大津皇子の謀反が発覚しました・・・といっても、濡れ衣ですが・・・たぶん。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

朱鳥元年(686年)9月9日に、あの壬申の乱(7月20日参照>>)に打ち勝って天皇の座に座った(2月20日参照>>)第40代・天武天皇が亡くなります(9月9日参照>>)

天武天皇には幾人かの皇子がいましたが、母親の身分の差もあって、その後継者として候補に上がる皇子は二人・・・ともに、天武天皇の兄の天智天皇の娘であった姉の太田皇女(おおたのひめみこ)の息子=大津皇子(おおつのみこ)と、妹の鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ)の息子=草壁皇子(くさかべのみこ)・・・

しかし、宮廷内の雰囲気では、病弱でおとなしい性格の草壁皇子より、奔放で決断力と行動力を兼ね備えた大津皇子のほうが帝王にふさわしい・・・とのもっぱらの噂でした。

ただ、大津皇子の母の太田皇女はすでに亡くなっていて、逆に、鵜野讃良皇女は、亡き天皇の皇后となっている・・・もちろん、どうしても鵜野讃良皇女にとっては、我が子がカワイイ

その皇后の心の内も、誰の目にも明らかでしたから、天武天皇が亡くなった今、何かが起こる事を、まわりもそして当人たちも感じていました。

早速、新羅の僧・行心(こうじん)という者が、大津皇子に近づきます。

「あなた様こそ、天皇の位に着くにふさわしいおかたです。お顔にその相があふれておりまする・・・」

しかし、聡明な大津皇子が、そんなあやしげな僧の言葉の惑わされる事はありません。
むしろ逆に、いよいよ皇后が自分を消すために、行動を起こし始めたを痛感しました。

さて、これから自分はどうするか?

以前、入鹿暗殺事件後の古人大兄皇子や、天智天皇死後の父・天武のように(10月19日参照>>)出家して吉野に入ろうか?

いや、しかし、古人大兄皇子は吉野に入っても殺されてしまった・・・いっそのこと、海の向こうの大陸の行ってしまおうか?

思い悩んだ大津皇子は、一番親しかった身内・川島皇子(かわしまのみこ=天智天皇の皇子)に相談した後、伊勢へ旅立ちます。

伊勢には、同じ母から生まれた姉の大伯皇女(おおくのひめみこ)斎宮として伊勢神宮に仕えていました。

幼い頃に母を亡くしてから、ふたりは寄り添うように生きてきてに違いありません。

皇后の強大な黒い影を前に、可憐な姉弟は、どんな話をしたのでしょう。

やがて、ふたたび飛鳥に戻る弟を見送りながら、大伯皇女は歌を詠みます。

♪二人行けど 行き過ぎ難き 秋山を
 いかにか君が ひとり越ゆらむ♪

「ふたりでも、たいへんな山を、弟は、どうやってひとりで越えて行くのでしょう」

万葉集に残るこの歌を聞くと、去ってゆく弟の背中を見て、大伯皇女の胸が締め付けられるような悲しみを感じずにはいられません。

案の定、大津皇子が伊勢にいる間に大和では、事が大きく動いていたのです。

朱鳥元年(686年)9月24日・・・大津皇子の謀反発覚!

密告したのは、他ならぬ川島皇子でした。

はたして先日、大津皇子が川島皇子に持ちかけた相談は、本当に『謀反の意志』だったのでしょうか?

おそらくその時は、この先の身の置き所を相談しただけで、結局のところ川島皇子は長いものに巻かれてしまったのだ・・・と、思います。

なぜなら、この先の皇后の行動が、あまりにもスピーディで、はなから計画していたとしか思えないからです。

10月2日、飛鳥に戻った大津皇子を待っていたのは、皇后の『謀反の罪で逮捕せよ』という命令でした。

その日のうちに、大津皇子と共犯者三十余名が逮捕され、翌日には大津皇子ひとりの死刑が執行されてしまいます。

それに、共犯者として一緒に逮捕された者のなかで、有罪になった者でも、側近の礪杵道作(ときのみちつくり)が伊豆に、大津皇子を誘惑した僧・行心が飛騨の寺に左遷されただけで、残りは全員無罪。

明らかに、大津皇子ひとりをターゲットにした茶番劇のように思えてなりません。

大津皇子は二上山に葬られ、やがて伊勢の斎宮を解任された大伯皇女が毎日のようにその塚の前に姿を見せていたと言います。

さて、皇后の身分のまま天皇の政務をこなし、なりふりかまわず可愛い息子のお膳立てをしてやった鵜野讃良皇女に、たった一つ、想定の範囲外の出来事が起こってしまいます。

それは、大津皇子の事件からわずか三年後、最愛の我が子・草壁皇子が病死してしまうのです。

さすがの、皇后も遺体にすがって泣き苦しみますが、またしても、その見事な精神力で立ち直ります。

草壁皇子には、その時8歳になる軽皇子(かるのみこ)という子供がいたのです。

「この子が大きくなって皇位を継ぐまで、何とか頑張らなければ・・・」

偉大なる母は、翌年、自らが即位して持統天皇となるのです。
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飛鳥時代」カテゴリの記事

コメント

はじめまして。個タクと申します。見習い大工さんのブログを見てお邪魔させていただきました。
僕は歴史には興味はあるんですが、はっきり言って全く知識がありません。ですから、この徒然日記を読ませていただいても、知らないこと、わからないことが沢山あります。でも知らないことを知る喜びを久しぶりに感じてます。今日のエピソードも勉強になりました。でも、『長いものには死んでも巻かれない!!』というのが僕の今生きていくテーマなんですが、昔も今もなかなかそれじゃぁうまく生きていけないんですかねぇ。
これからも読ませていただきます。

投稿: 個タクでGO!! | 2006年9月25日 (月) 00時39分

個タクさん、コメントありがとうございました。

そうですね。
『長い物には巻かれたくない!』
『正直者がバカを見る世の中なんてクソくらえ!』

って、誰もが思ってはいても、実際に社会でうまくやって行くには、世渡り上手になってる自分がいるんですよね~。

人生って難しいな。

また、遊びに来てくださいね。

投稿: 茶々 | 2006年9月25日 (月) 01時10分

管理人様、はじめまして。
いつも楽しく記事を拝見しております。
『今日はブログ更新されてるかな?』とこちらを覗くのが日課です(笑)

ところで今日は、個人的に興味深い大津皇子が絡む事件があったことを、先ほどこちらの記事で知りました。
学生の頃に読んだ歴史小説がきっかけで知った人物ですが、その時もやはり、皇子と姉の別れの場面にしみじみしたのを思い出しました。

これからもお体にお気をつけて、面白いお話をたくさん載せてください!
乱文失礼しました。

投稿: ぶれす | 2015年9月24日 (木) 13時38分

ぶれすさん、こんばんは~

ホント、姉弟の別れにはジ~ンときますね~
最近は、忙しさにかまけて、更新頻度がゆっくりめになってしまってますが、これからもよろしくお願いします。

投稿: 茶々 | 2015年9月25日 (金) 01時30分

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