栄西のお土産・日本茶の日
1191年(建久二年)10月31日、臨済宗の開祖・栄西(えいさい)が、宋(中国)から帰国し、お土産に持参したお茶を日本に広めた事から・・・
といっても、旧暦に10月31日は無いので、おそらくは「1191年10月31日=建久二年10月5日」という事なのだと思うのですが、とりあえず、今日は「日本茶の日」という記念日という事なので
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そもそも中国では、三国時代(220年~280年)から、お茶を飲む習慣が生まれていて、唐の時代(618年~906年)には、広く庶民の間にも普及していました。
そんなお茶を日本にもたらした栄西(7月5日参照>>)・・・と言いたいところですが、実は、平安時代にすでに貴族の間ではお茶が飲まれていたのです。
延暦二十四年(803年)、唐から帰国した永忠という僧が中国からお茶を持ち帰り、第52代・嵯峨天皇をお茶でもてなし、天皇はたいへん喜んだと言います。
ただ、これは、ほんの一部の高貴な人たちの間に広まっただけで、しかも団茶と呼ばれるお茶の新芽を火であぶり、粉にしてから団子状に固めた物。
香料や甘味料がないと、とても飲めた物ではないシロモノで、当時は100%薬用として使用されていたという、現在の、飲むのを楽しむ日本茶とは、ほど遠い物でした。
・・・と言う事で、やはり、現在の私たちがお茶と認識できる日本茶の元祖は鎌倉時代の栄西さん。
そんな栄西さんは、永治元年(1141年)備中(岡山)のお生まれ・・・14歳で出家して、比叡山で修行した後、27歳で宋に渡りました。
一旦帰国しますが、「まだまだ、勉強し足らない~」と、46歳で再び海を渡り宋に留学します。
そして、50歳の時の2度目の帰国でお茶を持ち帰り、『興禅護国論』や『喫茶養生記』などのお茶の効能や、飲み方などを記した書物を書いて日本に広めたのです。
栄西さんがこの時、持って帰ってきたのは抹茶で、当時の中国の禅僧の間で眠気覚ましとして飲まれていたようです。
坐禅は眠い?
著書の中で栄西は、「お茶は五臓の和合をはかり、心身の健康増進の役立つ妙薬である」と紹介しています。
有名なところでは、建保二年(1214年)2月4日、鎌倉幕府の三代将軍・源実朝(さねとも)が、二日酔いで苦しんでいる時、栄西が薬だと言って、お茶と効能書きを献上した、という記録が残っています。
もちろん、栄西がもたらしたのは、お茶だけでなく、臨済宗の教えも、もたらしました。
博多に日本最初の禅寺・聖福寺を、そして鎌倉に寿福寺、京都に建仁寺を建立し、精力的に禅を広めたのです。
栄西の伝えたお茶のその後については、2008年の10月31日のページ【栄西の伝えたお茶・その後~闘茶と御茶壷道中】でどうぞ>>
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