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2006年10月19日 (木)

蒙古襲来!文永の役

 

文永十一年(1274年)10月19日、ユーラシア大陸の大帝国・元が日本に侵略の手をのばしてきました。

元寇と呼ばれるこの出来事は、この文永十一年と弘安四年(1281年)の2回ありました。

今日はその1回目、壱岐・対馬を次々と制圧した(10月5日参照>>)元の船が博多湾に侵入してきた日です。

・・・・・・・・・

以前から、の皇帝・フビライは、日本に向けて服従を迫る国書を何度も送りつけていましたが、朝廷も鎌倉幕府も返事をしなかった事に腹を立てて軍を起こしてやって来たという事なのですが・・・

対する日本は・・・六年前に元の最初の使いがやって来た時から、今日の日を予想していたと思われる時の執権・北条時宗

幕府の準備も整え、西国の御家人にも、元に注意するように呼びかけていたおかげで、元軍の博多湾侵入の知らせを聞いて、続々と御家人たちが集まって来ます。

どうやら日本の武士たちは、「元軍などチョロい」と思っていた可能性あり・・・

まぁ、見た事もない敵をチョロいと思う根拠がよくわからないのですが、それだけ自分たちの武芸に誇りを持っていた・・・という感じなのでしょうか?

とにかく、翌・20日の早朝に戦いは始まります。

元軍が一気に上陸し始め、浜辺での攻防戦が始まるのですが、ここで早くも日本の苦戦が始まるのです。

なぜなら、当時の日本の合戦のしきたりは、まず、開戦の合図となる鏑矢(かぶらや)を放ち、その次に武将が進み出て「やぁ、やぁ、遠からん者は音に聞け、近くばよって目にも見よ。我こそは・・・」って名乗りをあげて一騎打ち・・・というダンドリなのですが、当然元軍がそんなん知るわけがありません。

前に進み出た武将は、格好の標的で、名乗りをあげてる間にどんどんやられていきます。

敵は、一騎打ちどころか、指揮官の命令のもと大勢の兵が自由自在に進退をくりかえし、後方からは、とてつもない数の矢が降り注ぎます。

しかも、その矢は日本の物より細く短い矢で、殺傷能力はないものの、より遠くに、より正確に飛ぶ物で、弱い殺傷能力をおぎなうために、先に毒が塗ってある物でした。

鉄の玉に火薬をつめて飛ばすてっはうという爆弾のような武器も持っていました。

これも、殺傷能力はないものの、鎌倉武士を怖気づかせるには充分な物でした。

これだけ戦法が違えば、勇敢な鎌倉武士も、くそもありません。

勝手の違う強い敵の前にじりじりと追い詰められ、その日のうちに博多の町は陥落しました。

夕刻には日本軍は大宰府まで退却、武士たちの間では、「明日はどうなるのだろう」と不安の声が聞かれ、疲れきった武士たちは、不安なまま、一夜を過ごします。

ところが、一夜明けた21日の朝・・・博多湾を目にした鎌倉武士はびっくりします。

あの900隻の大船団が、こつ然と姿を消していたのです。

夜になって、もしも新たに到着した日本軍にやられてはまずい、という事で元軍は博多の町で一夜を過ごす事をせずに、みんな一旦、沖の船に戻っていたのですが、そこに、例の後々『神風』と呼ばれる事になる突風が吹いたために、船は難破し、1万人を越える兵士が溺れ死んだと言います。

かろうじて、岸にたどりついた兵士も、もはや鎌倉武士たちの餌食となってしまうだけでした。

こうして、第1回目の日本の危機は救われたわけです。

もちろん、神風の影響もあるでしょうが、やはり騎馬民族中心の元という事と、船を急ぎすぎ、あまりの突貫工事のせいで、船の造りが甘かった・・・って所でしょうか。

むしろ、そんな船で、日本までたどり着けた事のほうが奇跡なのかも知れませんね。

そして、7年後の弘安四年(1281年)にフビライは再びやって来る(6月6日参照>>)のですが・・・その前に、執権=北条時宗が、徹底抗戦の意思表示をします。

そのお話は、9月7日【北条時宗が元との徹底抗戦を決意した日】でどうぞ>>
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