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2006年10月16日 (月)

藤原道長の栄華物語

 

寛仁二年(1018年)10月16日、時の権力者・藤原道長は一首の歌を詠みます。

♪この世をば わが世とぞ思う 望月の
  欠けたることの なしと思えば♪

まだ、わずか9歳の孫を後一条天皇として即位させた時、道長は自分の栄華に歓喜したのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨日のページで紹介した藤原一族の基礎を築いた藤原(中臣)鎌足(ふじわらのかまたり)の実践した天皇家に娘が嫁ぎ~の作戦・・・鎌足の息子・不比等(ふひと)もきっちり実践していました。

娘の宮子(みやこ)は天武天皇と持統天皇の孫・文武天皇の妃になり、もうひとりの娘・光明子(こうみょうし)聖武(しょうむ)天皇の皇后になりました。

娘を次々と天皇家へ入らせて、天皇の子供をたくさんつくる・・・

不比等の四人の息子の時代になるとそれぞれが独立して、「武智麻呂=南家」「房前=北家」「宇合=式家」「麻呂=京家」の四つに分かれ、それぞれの子孫が政権を独占しようとしのぎを削る事になるのです。

この藤原家独占権争奪レース・・・最初は式家が優勢でしたが、息子の藤原広嗣(ひろつぐ)乱を起こして失敗(9月3日参照>>)・・・その後、種継が暗殺されたうえ、その子供の仲成・薬子兄妹の反乱の失敗(2006年9月11日参照>>)で式家は脱落。

南家仲麻呂(なかまろ=恵美押勝)称徳女帝&道鏡との一件(2007年9月11日参照>>)で脱落。

京家浜成も大宰府に追放され・・・以後、北家だけが政界に生き残り良房(よしふさ)基経(もとつね)らがせっせと天皇家に娘が嫁ぎ~の作戦を実践しつづけ、摂政・関白の地位を独占する(8月19日参照>>)ようになっていました。

藤原道長(ふじわらのみちなが)はそんな北家のひとりの左京大夫・兼家(かねいえ)の息子として生まれますが、北家の中ではそれ程期待されていたわけではなく・・・その証拠と言っては何ですが、幼い頃の記録はほとんどありません。

ただ、ほんの少し、その片鱗を感じさせるエピソードが残っています。

ある時、父の兼家がいとこの頼忠(よりただ)の息子・公任(きんとう)の秀才ぶりを見て・・・
「うちの息子たちは金任の影さえ踏まれへんやろ」と嘆いた事がありました。

それを聞いたふたりの兄は何も反論できず、うつむいたままでしたが、道長ひとりだけが・・・
「大丈夫、影なんか踏みませんよ。あの面(ツラ)を踏んだります」と平然と答えたと言います。

やがて、左京大夫となった22歳の時、現左大臣・源雅信の娘・倫子(りんし)と結婚し、翌年すぐに元左大臣・源高明の娘・明子(めいし)と結婚、その他にも数人の妻を持ち、着々と例の天皇家に娘が嫁ぎ~の作戦の準備段階に入ります。

特にこの時代の貴族社会では、母方の縁が重視されていて、天皇の後見人(幼少時は摂政・成人後は関白)になるには、母方の親戚でなければなりませんでした・・・外戚というヤツですね。

はたして、道長の努力(?)の甲斐あって、4人の娘がすべてそれぞれの天皇の皇后となったのです。

そして、寛仁元年(1017年)12月4日には太政大臣となった道長・・・さらに翌年、長女・彰子(しょうし)が生んだ孫が後一条天皇として即位する事によって藤原一族同氏の争い、北家同氏の内紛にも終止符が打たれる事となり、まさに栄華の絶頂・・・冒頭の歌を詠むわけです。

道長は、第68代・後一条、第69代・後朱雀、第70代・後冷泉三人の天皇の祖父という事になり、30年間もトップの座に着く事になるのですが、道長の摂関政治のやり方は、よくありがちな『天皇を無視してやりたい放題』というのではなく(金銭的に贅沢はしていましたが)天皇の意向をちゃんと聞き、けっこううまくやっていたらしいです。

道長の時代には、朝廷内での争いが少なく、ある程度平和だったからこそ、紫式部(むらさきしきぶ)小野道風(おののみちかぜ)(12月27日参照>>)和泉式部(いずみしきぶ)(3月21日参照>>)といった文学の華が開く事にもなるわけです。

Dscn1872a ←宇治・平等院

*道長の最期については12月4日のページでどうぞ>>

 

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コメント

毎日、楽しく拝見させていただいています。学生の時に出会っていたらもっと歴史の授業も頭に入っていた事でしょう!
1つ気になったので…きんとうの漢字は公任だと思います。一度確認願います。
これからもお邪魔させていただきます♪

投稿: あゆ | 2013年3月26日 (火) 20時31分

あゆさん、こんばんは~

誤変換に、長い事、気づいてなかったです。
訂正させていただいときました。

投稿: 茶々 | 2013年3月27日 (水) 02時43分

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