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2006年10月15日 (日)

中臣鎌足,藤原の姓を賜る

 

天智八年(669年)10月15日、中臣鎌足が藤原の姓を賜りました

・・・・・・・・・・・・・・・

この日、病床にふせっている中臣鎌足(なかとみのかまたり)のもとへ、天智(てんじ)天皇の使いとして見舞いに訪れた天智天皇の弟・大海人皇子(おおあまのみこ=後の天武天皇)から、生前の功労を評価して、最高の冠位である大織冠(だいしょくかん・だいしきのかうぶり)大臣の位を授けられ、同時に藤原の姓を賜ります。

ここに日本の歴史上に君臨する大豪族・藤原氏が誕生したのです。

これから先、第二次世界大戦の敗戦直後に服毒自殺する近衛文麿(このえふみまろ)(12月16日参照>>)まで1300年の長きに渡り、多少の盛衰はあるものの政治的中心にいる事を誰が予想できたでしょう。

その一族の初代となる中臣鎌足ですが、彼が表舞台に登場するのは、やはり大化の改新の発端となった蘇我入鹿の暗殺乙巳(いっし)の変(6月12日参照>>)です。

これは、皆さんもうご存知のように、天智天皇(中大兄皇子)・主演、中臣鎌足・演出による革命劇・・・主役に天智天皇を抜擢したのも鎌足です。

蘇我氏に変って政治の中枢に加わりたいと思った鎌足は、最初は時の天皇・皇極(こうぎょく)女帝の弟・軽皇子(後の孝徳天皇)に声をかけます。

しかし、軽皇子にその気がない事を察した鎌足は、さっさと軽皇子に見切りをつけ、自分から天智天皇に近づいてこの計略に誘い込んだと言われます(異説あり=6月14日参照>>)

蘇我一族の有力者・蘇我倉山田石川麻呂(くらやまだのいしかわまろ)を味方に引き入れたり、蘇我入鹿とタッグを組んでいる古人大兄皇子(ふるひとのみこ)娘を妃に迎えて安心させたり、蘇我氏滅亡直後の天皇を孝徳天皇(先程の軽皇子です)に即位させたり・・・などという策略は、おそらく鎌足の手による物でしょう。

なんせ、天智天皇はこの時まだ20歳になったばかり、いくら聡明でも歴史上の英雄・源頼朝や徳川家康らがそうであるように、20歳そこそこの頃はまだまだ青いはず・・・一連の出来事に二重三重の策略を張り巡らすなど、到底無理でしょう。

その点、鎌足は男盛りの32歳。
その後の用意周到な行動から見てもかなりの策略家であった事は間違いありません。

用意周到な行動というのは・・・そうです、これだけ鎌足が天智天皇にべったり着いているにもかかわらず、後に起こる天智天皇の息子・大友皇子と大海人皇子の間の後継者争いの壬申の乱(6月4日参照>>)で、大海人皇子が勝利し、天武天皇の時代になっても鎌足の息子・藤原不比等(ふひと)は、ちゃっかり政治の中心に座っています(8月3日参照>>)

いや・・・ご存じのように、もっと藤原氏は繁栄しているのです。

それは、上記の通り、壬申の乱で負け組となって、しばらくの間不遇の時代を味わいながらも、その間の猛勉強して、新しい政治の手腕を身に着けた不比等の努力とともに、やはり鎌足が張り巡らした二重三重の念を入れた対処も功を奏していました。

鎌足は、天智天皇の妃であった鏡王女(かがみのおおきみ)を、妻にもらい受け、天智天皇べったりの姿勢を見せておきながら、自分の娘ふたりを大海人皇子の妃にしています。

大友皇子にも自分の娘を妃に入れています。

これなら、誰が天皇になっても藤原一族は何とかなります。

こうして、今後の基礎を築いた鎌足は、藤原の姓を賜った天智八年(669年)10月15日翌日に56歳の生涯を閉じました。

そのお墓は、奈良の談山神社とも、京都の山科とも、大阪の阿武山古墳とも言われています。

阿武山古墳の埋葬者は50歳代とみられ、豪華な棺とともに、精巧な金のモールで飾られた絹製の冠が出土していて、その冠がこの世に一つしかない『大織冠』ではないか?と噂されるシロモノです。

もし、阿武山古墳が鎌足のお墓だとしたら、出土した人骨に落馬による骨折の跡が見られる・・・との事ですので、鎌足が倒れたのを聞いて天智天皇がすぐお見舞いに行ったのが10月10日、その6日後に亡くなる・・・という病気とは思えないスピードにも納得がいくのですが・・・。

Dscn3201 藤原氏の氏寺・興福寺と猿沢の池

 

 

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