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2006年10月29日 (日)

昭和の宝くじ,江戸の富くじ

 

昭和二十年(1945年)10月29日、政府発行の、第1回宝くじが発売されました。

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まさか、あの太平洋戦争が終結してから、わずか3ヶ月足らずで、宝くじが発売されてるとは、驚きました~。

宝くじは一枚10円で、1等=10万円2等=1万円
1等~4等までには、副賞として純綿のキャラコ(幅広の白生地)がついていました。

戦後、数年間の宝くじには、必ず賞品(現物)がついていたそうで、発売元の勧業銀行の倉庫には、革靴や木綿、地下足袋といった景品が、所狭しと積まれていたとか・・・まずは物品が必要だった戦後の混乱がよくわかりますね。

その後、昭和二十二年には百万円、次の年の二十三年には早くも倍の2百万円で副賞には木造住宅(土地はあるけど家がない・・・って事なのかな?)

昭和四十七年にいよいよ1等・1千万円となりました。

そして、もうすぐ♪年末ジャンボ!3億円♪・・・と、とどまる事を知らないかのような、まさにジャンボなドリーム商品ですが、これは近年に始まった事ではありません。

江戸時代も中期になって、天下泰平の世が続いた頃、庶民はレジャー、ギャンブルに殺到するようになるのです。

社寺は、もっぱら秘仏・秘宝の御開帳・・・今で言う特別公開イベントや博覧会を行って、人集めをします。

これが、また観光客がたくさんやってきて、けっこうなお金を落としてってくれます。

そして、そのイベントの中の一つとして富くじが行われるのです。

文化文政の末期の富くじ全盛期には、なんと一年で120回の富くじが記録されています。

なかでも、谷中の感応寺、目黒の秦叡山湯島天神『大江戸三富』と呼ばれて、特に大人気だったそうです。

あと10年は奉公しなければならなかった小僧が豪華な着物を着て故郷に帰ったとか、質屋に鏡を売りに行った嫁さんが次の日にはその何十倍もするようなかんざしをつけて歩いていたとか、様々なトクトク話がまことしやかに囁かれ、人々はますます富くじに走ります。

しかし、そうそう、うまい話が簡単に転がっているわけはありませんよね。

なんだかんだ言っても、結局は興行元がごっそりと、一番大きな『夢』を持ってってしまうのは、江戸も昭和も平成も・・・いつの時代も変りのない事でございます。

あまりの過熱ぶりに、江戸の富くじは、天保十三年(1842年)に禁止となりましたが、平成の富くじは、まだまだ安泰のようです。
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明治・大正・昭和」カテゴリの記事

コメント

 茶々さん、おはようございます。

 なるほど、宝くじにも歴史あり、ですね。
私もジャンボだけは毎回購入しています~が、もちろん高額当選はありません。
最高で1万円でした(汗)。

 今回の年末ジャンボはせめて(?)2等か3等でも・・・と思っております(笑)。

投稿: ルーシー | 2006年10月29日 (日) 05時43分

ルーシーさん、日曜日だというのにお早いお目覚めですね。

私も毎回、当たったら、○○を買って・・・○○円貯金して・・・と、考えている楽しい時間を買ってるような物ですね。

噂によると、高額の場合、当選金を銀行に取に行くと、別室に通されて、『高額当選者の皆様へ』とかっていう「人生狂わさないよう落ち着いて下さい」みたいな内容の小冊子がいただけるそうです。

どんな本か見てみたいです。

投稿: 茶々 | 2006年10月29日 (日) 08時22分

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