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2006年11月24日 (金)

第1回・帝国議会召集

 

明治二十三年(1890年)11月24日、第1回・帝国議会開かれ、日本の議会政治の歴史が始まりました。

・・・・・・・・・

この時期、明治政府は一刻も早く、立憲君主制を確立し、近代的な憲法を打ち出して国会を開設したかったのです。

それは、黒船来航(6月3日参照>>)のドサクサで幕府が結んでしまった不平等な条約を、平等な条約に変える事を急いでいたのです。

そのためには、幕府に代わって新しく登場した明治政府が、外国から一人前の近代国家と認めてもらわなければなりません。

事実、これまでは、何度交渉に行ってもバカにされて帰ってくるだけでした。

政府が目指している立憲君主制というのは、「天皇の権力が憲法に定められている」という物ですから、憲法の制定は必須です。

政府はドイツプロイセン憲法に習って、様々な天皇の権限と、帝国議会会議会の設置などを盛り込んだ大日本帝国憲法を制定し公布しました。

それが、帝国議会が開かれる前の年の二月の事・・・

さぁ、憲法を発布した・・・次は国会の開催・・・でも、議会を召集するには国会議員を選出しなければなりません。

憲法で定められた帝国議会は、貴族院衆議院二院制

まず、貴族院議員は、皇族、華族、勅任議員からなります。

勅任議員というのは、国家功労者や学士院会員、高額納税者の事なので、この貴族院議員というのは、選挙をする必要のない最初から決まっている議員たちです、天皇と、現在の体制を守る、保守派の人々です。

そして、もう一つの衆議院議員は、衆とつく以上一般国民の代表・・・という事で、選挙によって選出されます。

選挙は憲法と同時に発布された衆議院選挙法にのっとって行われました。

しかし、この選挙法に書かれてある条件がキビシィ~。

まず、25歳以上の男子である事が条件。

さらに、直接国税(地租(固定資産税のようなもの)と所得税)を15円以上納めている事が条件でした。

これ、当時としては、なかなかの額です。

そうとうな土地を持つ大地主か何かでないと選挙に参加できません。

そのため、第1回総選挙では、国民の人口・4千万人に対して選挙権のある人は、わずか46万人でした。

1%の人しか参加できない選挙って・・・どうなの?と、今なら思っちゃいますが・・・

それでも、自由民権運動(10月18日参照>>)の流れを汲む政党が続々誕生し、今と変わらない議席確保に走り回る光景が見られたそうです。

・・・で、選挙の結果は、

民党(民権派の野党)派勢力
 立憲自由党:130人
 立憲改新党:41人

吏党(政府系与党)派勢力
 吏党大成会:79人
 国民自由党:5人
 吏党系無所属:45人

と、反政府派が大勝利!

明治二十三年(1890年)11月23日開かれた議会では、反政府与党議員たちは、おおいにはりきった事でしょう。
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明治・大正・昭和」カテゴリの記事

コメント

 茶々さん、こんばんは。

 当時の選挙法はかなり偏っていて厳しかったですね~。
まるで電話が初めて開通したときのような取得における「格差」でした。現代でも格差が叫ばれていますが、当時の格差はさらに露骨な気がします。
本格的な民主主義へはまだ時間が必要でした。

その中で、当時の外務大臣:陸奥宗光の役割は注目ですね。条約改正や下関条約の調印など、外交のポイントとなる立役者のひとりでした。

 たしかに時代も違いますが、今の弱腰とも言われる外交・・・やはり現内閣に期待したいところです。

投稿: ルーシー | 2006年11月24日 (金) 23時56分

ルーシーさん、こんばんは~。

>当時の外務大臣:陸奥宗光の役割は注目ですね。

おっしゃる通り、ことごとく失敗した交渉が、陸奥さんでやっと成功した感がありますね。

その後、日清・日露戦争の勝利によって、外国がビビってくれたおかげで、小村寿太郎さんは、少し楽に交渉に挑めたんじゃないでしょうか。

井上さんの「ゴマすり外交」より、戦争の勝利のほうが効き目がある・・・というのには、ちょっと複雑な気持ちがしますが・・・当時は、しかたなかった事なんでしょうね。

投稿: 茶々 | 2006年11月25日 (土) 00時32分

はじめまして。こんにちは。
まぐろと申します。

突然のコメント失礼いたします。

私は、知人に斎藤栄三郎先生とお知り合いの方がいて、
その方のご縁により、帝国議会の議事録に興味を持ちました。

通常の議事録はネットでも見られますが、
なんと、秘密会議事録というのがあるのはご存知ですか?
これを知った時は、あまりにも興奮してしまって、夢中で読んでしまいました。

よろしければ、ご覧になってみませんか。

何かご質問があれば、お気軽にご連絡ください。

では、失礼しました。

投稿: まぐろ太郎と申します。 | 2010年8月 5日 (木) 22時52分

( ̄Д ̄;;まぐろ太郎さん、こんにちは~

本文やコメントにも度々書かせていただいているように、近代史は未だ初心者の私です。

まして、公民系となると( ̄Д ̄;;

勉強させていただきます!
ご紹介ありがとうございました。

投稿: 茶々 | 2010年8月 6日 (金) 08時13分

当時はテレビやラジオのない時代なので、新聞を読まないと審議の様子がわかりませんね。選挙権の事もあり庶民にはまだまだ敷居の高い頃ですね。今日の「通常国会の回数」も明治からの通算の回数でカウントしています。総理大臣の代数も同様ですが、総理大臣の場合は「戦後何人目」と数える事もありますね。

「坂の上の雲」は特別プロジェクトとしての番組です。当初は既に終わるはずでしたが、製作前の諸事情で時期が遅れた(当初は日曜日放送ではなかった)様です。例えば土曜夜に「1回60分」で連続放送すると6ヶ月かかる様なので、「1回90分x1ヶ月」を3期にしたようです。しかし、1回の放送分数が長いですね。
この方式だと、中1年空くと内容を忘れるのは確かですね。「相棒」とかの民放ドラマは1年ごとの放送でも、「1回完結」なので内容についていけます。

投稿: えびすこ | 2010年11月24日 (水) 08時45分

えびすこさん、こんにちは~

昨日の夜御飯のメニューすれヤバイ昨今では、1年前を思い出すのは一苦労です((・(ェ)・;))

投稿: 茶々 | 2010年11月24日 (水) 16時03分

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