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2006年11月10日 (金)

悲劇の皇子・有間皇子死刑

 

斉明天皇四年(658年)11月10日、有間皇子が謀反の罪で、紀州・藤白の坂で死刑となりました。

・・・・・・・・・・

話は大化の改新の頃にさかのぼります。

皇極天皇四年(645年)6月12日に、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ・後の天智天皇)中臣鎌足(なかとみのかまたり)の手による蘇我入鹿の暗殺によって始まった大化の改新(6月12日参照>>)

時の天皇・皇極天皇(中大兄皇子の母)は退き、その弟の孝徳天皇が即位し、中大兄皇子が皇太子となります。

元号も大化と定められ、都は飛鳥から難波に遷されました。

その孝徳天皇の息子が有間(ありま)皇子です。

この時わずか5歳でした。

有間皇子の母・小足媛(おたらしひめ)の父・安倍倉梯麿(あべのくらはしまろは、この新政権で左大臣に任命され、有間皇子の前途は希望に満ち溢れていたはずです。

しかし、新政権の実権を握っているのは中大兄皇子の一派で、彼らから見れば孝徳天皇は、だだの飾り物。

やがて、有間皇子の大きな後ろ盾であった母方の祖父・倉梯麿が亡くなると、孝徳天皇軽視の姿勢はあからさまになって来ます。

白雉四年(653年)、孝徳天皇が反対するにもかかわらず、皇太子・中大兄皇子は都を難波から飛鳥に強引に戻してしまうのです。

中大兄皇子はもちろん、先の天皇(皇極天皇)や皇后・間人(はしひと)皇后(中大兄皇子の妹)までもが、孝徳天皇を難波に置き去りにしたまま、全員で飛鳥に引っ越してしまいました。

失意の孝徳天皇は翌年、孤独のまま亡くなってしまいます。

この時、有間皇子15歳でした。

以前、蘇我入鹿のお気に入りだった古人大兄皇子(中大兄皇子の兄)も、ともに入鹿暗殺を行った蘇我石川麻呂(そがのいしかわまろ)も、邪魔者だと思えば容赦なく死に追いやってきた中大兄皇子。

聡明な有間皇子は、次のターゲットが自分である事を感じずにはいられませんでした。

そして、先の皇極天皇がもう一度即位して、斉明天皇となった頃、有間皇子は気がふれたふりをして身を守ろうとするのです。

そして、病気治療として牟婁(むろ)の湯(和歌山県・白浜温泉)にしばらく滞在するのでした。

やがて三年後、病気が治ったと、都(飛鳥)に戻って来るのですが・・・そんな時、斉明天皇がことのほかかわいがっていた孫の(たける)皇子が、わずか8歳で亡くなってしまいます。

病気のように落ち込んでしまう斉明天皇・・・。

・・・ならば、「あの有間皇子の病気を治した牟婁の湯へ我々も行こう」と、いう事になります。

後から思えば、この旅行は中大兄皇子の計略だったのかも・・・

なぜならこの頃、斉明天皇が次から次へと行った無茶な土木工事が朝廷の中でも問題になっていて、政府内に反対派が生まれつつあったのですが、そんな時期に、天皇と皇太子そろって都を離れるなど、なかなか考えられない事ですから・・・。

案の定・・・
天皇御一行が都を出発した斉明四年(658年)10月10日からまもなくの11月3日、蘇我氏の生き残り蘇我赤兄(そがのあかえ)が、有間皇子のもとを訪ね、次々と現政府の批判を口にします。

赤兄が中大兄皇子に滅ぼされた蘇我氏の人間であったからなのでしょうか、有間皇子はこれが陰謀だという事を見抜けず、赤兄の口車に乗ってつい、同じように政府の批判をし、自らが政権を握りたい意志がある事を赤兄に告げてしまうのです。

その、わずか2日後の11月5日赤兄本人が出した兵によって、有間皇子は逮捕されてしまいました

9日には、天皇と皇太子のいる紀州へ有間皇子は護送されました。

その護送の途中、南部町の岩代で有間皇子が詠んだ歌が万葉集に残ってします。

♪磐代(いわしろ)の 浜松が枝を 引き結び
 真幸
(まさち)あらば また還り見む♪
「磐代の浜に生えている松の枝を結んで行く(当時の長寿のおまじないです)、幸いにも許されたなら、帰り道この枝を見る事にしよう」

しかし、有間皇子の小さな願いが叶う事はありませんでした。

南紀の地で、謀反の意志を詰問する中大兄皇子に有間皇子は、こう答えます。

「天知る、地知る、赤兄知る、吾(おのれ)(もはら)(し)らず」
天と赤兄だけが知っている。私は何も知らない)と・・・。

わずか19歳の少年は、紀州に着いた翌日の斉明天皇四年(658年)11月10日、藤白の坂で絞首刑に処せられました。
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