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2006年11月17日 (金)

静御前、吉野にて捕まる!

 

文治元年(1185年)11月17日、前日に源義経の一行と別れた静御前が吉野山中で捕らえられました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

兄・頼朝との対立(5月23日参照>>)が決定的となり、頼朝配下の土佐坊昌峻(とさのぼうしょうしゅん)夜討ちをかけられた(10月11日参照>>)源義経(みなもとのよしつね)・・・もはや覚悟を決めて、船で都を落ちた(11月3日参照>>)ものの、嵐に遭い出航した場所に戻ってしまいます。

船も失い、仲間もバラバラになってしまって、ごくわずかの人数で吉野山に潜伏していました。

嵐に遭ってからこの日までの間には、朝廷から頼朝『義経追討の院宣(いんぜん・天皇の許可)も下され、義経一行は犯罪者となってしましました。

落ち目になった義経を見捨てて、後白河法皇はあっさりと頼朝を源氏の棟梁と認め、義経を朝廷の敵としてしまったのです。

犯罪者となってしまった以上、その身を隠して安全な場所へ逃げるしかありません。

そうして、やって来たのが、この吉野山でした。

しかし、険しい山道・・・屈強な兵士に混じって歩く、義経のカノジョ=静御前が、どうしても遅れてしまいます。

「静のペースに合わせて歩いていたら、いつか捕まってしまうのではないか?」
誰もがそう思うようになってきます。

まして吉野は女人禁制・・・愛しい気持ちを振り切って義経は、「ここで、別れよう」と告げます。

と、その義経の言葉に、静は突然!!

「ワタシのお腹の中にはアンタの赤ちゃんがいるのよ」
(でた~っ!別れたくない女の究極のセリフ!!(゚ロ゚屮)屮)

ショックを受け、いっそうの事がいとおしくなる義経ですが、そこは武将・・・感情をグッとこらえ、意志の固さをアピール。

しかし本当は、もず~と前からわかっていた事でした。

お互いが助かるために、いつかは別れなければならない・・・その日が、今日になったのだ・・・と。

義経は、自分が毎日使っていた鏡を「これを僕だと思って使ってね」とプレゼント。

♪見るとても 嬉しくもなし 増鏡
  恋しき人の 影を止めねば♪

「愛しい人の顔が映らないんだから、鏡を見ても悲しいわ」と悲しむ

かわいそうに思い、他に秘蔵の鼓や愛用の枕、その他たくさんの財宝を、に持たせて、五人の従者をお供につけて、義経は振り返り・振り返りしながら去っていきました。

見えなくなるまで見送っていたも、やっと諦めがついて山を降りはじめます。

日が暮れそうになった頃、一人の従者が「この山麓に十一面観音の寺があり、そこに知り合いがいます。相談して来ますのでここで待っていて下さい。」と言い、木の根元に敷物を敷いてを座らせ、彼らは、その寺に向かいます。

しかし、五人の従者は姿を消したまま、帰ってはきませんでした。

財宝も荷物も持ったまま、彼らが逃げてしまった事を悟ったは、しかたなく、もうすっかり日が暮れてしまった山中を、あてもなくさまよい歩くのです。

沓は雪にとられ、笠は風にとられ、着物もドロドロになりながらも、何とか一夜を明かし、次の日も夕暮れまで、さまよっていましたが、ふと大きな道にぶつかりました。

ホッと息をつく

少し休んでから、「この道はどこへ行くのやろ?」と思いながら、また歩きはじめます。

すると向こうの方に灯りが見えてきました。

それは、蔵王権現に供えた灯籠の灯りで、参道はたくさんの参拝客で賑わっていました。

そう、この日は11月17日、権現様の縁日の日だったのです。

参拝者にまぎれて、も祈りを捧げます。

やがて、僧の読経が終わり、芸の奉納の時間になりました。

思い思いの舞を奉納する人々・・・近江の猿楽や伊勢の白拍子も舞を奉納していました。

「ウチも、追われる身やなかったら、舞を奉納して、義経様の無事をお祈りするのに・・・」

そう思っている所に、近くにいた人からこんな話を聞きます。

「ここの権現様は、下手な人でも一心に芸をすれば喜んでくださるけれど、逆に芸のできる人が芸を捧げないとご機嫌が悪くなるんですよ」

は思います。

「霊験あらたかな権現様が、自分を見てどう思っていはるのやろ?このまま帰ったらどないなるんやろ?」

以前の堀川夜討ち(再び10月11日参照>>)の時にも書きましたが、この頃の人々の神罰への恐怖は現代人の我々とは、比べ物にならないくらい大きいですから・・・。

・・・で、は決心して一番・舞ったのです。

♪・・・親の別れ 子の別れ
  勝
(すぐ)れて げに悲しきは
  夫婦の別れなりけり♪

人々は、その舞いの美しさに目を見張ります。

なんせ彼女は、都一番・・・いえ、日本一の白拍子ですからね。

ひとたび舞を舞えば、2日間も山中をさまよってドロにまみれた着物が、金糸銀糸を散りばめた唐衣のように見え、薄汚れたその顔が吉祥天女のように光輝く・・・日本一の舞というのはそーゆー物です。

の舞に目を見張る人だかりの中に、治部法眼(じぶのほうげん)という法師がいました。

「うまい、うまいと思てたら、そりゃぁうまいはずや!誰かと思えば、あの静御前やないかい!」

静は、以前、百日間も日照りが続いて、法皇の前で百人の白拍子が雨乞いの舞を舞った時、その中で最もすばらしいと絶賛され、法皇に「静が舞ったからこそ雨が降ったのだ」と言われた・・・つまり、日本一白拍子とのお墨付きをもらった事があったのですが、治部法眼はその時にの顔を見ていたのです。

がっくり肩を落とす

たちまち、仲間の法師たちに囲まれてしまいました。

やがて、北条時政の詮議を受け鎌倉へ送られる事となるのです。

Sinsenen1_1 義経と静の出会いの場所と言われる京都・神泉苑
ここで雨乞いの舞いを舞った静御前に義経が一目ぼれしたのだとか…

 

このお話の続きは、
3月1日【静御前の白拍子なる職業】へどうぞ→

 

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