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2006年11月17日 (金)

静御前、吉野にて捕まる!

 

文治元年(1185年)11月17日、前日に源義経の一行と別れた静御前が吉野山中で捕らえられました

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

兄・頼朝との対立が決定的になり、もはや覚悟を決めて、船で西国へ旅立ったものの、嵐に遭い出航した場所に戻ってしまった義経一行。

船も失い、仲間もバラバラになってしまって、ごくわずかの人数で吉野山に潜伏していました。

潜伏・・・と書いたのは、嵐に遭ってからこの日までの間に、頼朝『義経追討の院宣』が下されてしまったからなのです。

『義経追討の院宣』とは、「義経を武力行使してやっつけちゃっていいよ」という朝廷の許可書。

落ち目になった義経を見捨てて、後白河法皇はあっさりと頼朝源氏の棟梁と認め、義経朝廷の敵としてしまったのです。

院宣が下った以上、義経は犯罪者です。

その身を隠して安全な場所へ逃げるしかありません。

そうして、やって来たのが、この吉野山でした。

しかし、険しい山道・・・屈強な兵士に混じって歩くが、どうしても遅れてしまいます。

のペースに合わせて歩いていたら、いつか捕まってしまうのではないか?」
誰もがそう思うようになってきます。

愛しい気持ちを振り切って義経「ここで、別れよう」と告げます。

「ワタシのお腹の中にはアンタの赤ちゃんがいるのよ」
(でた~っ!別れたくない女の究極のセリフ)

ショックを受け、いっそうの事がいとおしくなる義経ですが、そこは武将。

感情をグッとこらえ、意志の固さをアピール。

しかし本当は、もず~と前からわかっていた事でした。

お互いが助かるために、いつかは別れなければならない・・・その日が、今日になったのだ・・・と。

義経は、自分が毎日使っていた鏡を「これを僕だと思って使ってね」とプレゼント。

♪見るとても 嬉しくもなし 増鏡
  恋しき人の 影を止めねば♪

「愛しい人の顔が映らないんだから、鏡を見ても悲しいわ」と悲しむ

かわいそうに思い、他に秘蔵の鼓や愛用の枕、その他たくさんの財宝を、に持たせて、五人の従者をお供につけて、義経は振り返り・・・振り返りしながら去っていきました。

見えなくなるまで見送っていたも、やっと諦めがついて山を降りはじめます。

日が暮れそうになった頃、一人の武士が「この山麓に十一面観音の寺があり、そこに知り合いがいます。相談して来ますのでここで待っていて下さい。」と言い、木の根元に敷物を敷いてを座らせます。

そうして、五人の従者は姿を消したまま、帰ってはきませんでした。

財宝も荷物も持ったまま、彼らが逃げてしまった事を悟ったは、しかたなく、もうすっかり日が暮れてしまった山中を、あてもなくさまよい歩くのです。

沓は雪にとられ、笠は風にとられ、着物もドロドロになりながらも、何とか一夜を明かし、次の日も夕暮れまで、さまよっていましたが、ふと大きな道にぶつかりました。

ホッと息をつく

少しやすんでから、「この道はどこへ行くのだろう」と思いながら、また歩きはじめます。

すると向こうの方に灯りが見えてきました。

それは、蔵王権現に供えた灯籠の灯りで、参道はたくさんの参拝客で賑わっていました。

そう、この日は11月17日、権現様の縁日の日だったのです。

参拝者にまぎれて、も祈りを捧げます。

やがて、僧の読経が終わり、芸の奉納の時間になりました。

思い思いの舞を奉納する人々・・・近江の猿楽や伊勢の白拍子も舞を奉納していました。

は「私も、追われる身でなければ、舞を奉納して、義経様の無事をお祈りするのに・・・」

そう思っている所に、近くにいた人からこんな話を聞きます。

「ここの権現様は、下手な人でも一心に芸をすれば喜んでくださるけれど、逆に芸のできる人が芸を捧げないとご機嫌が悪くなるんですよ」

は思います。

「霊験あらたかな権現様が、自分を見てどう思っていらっしゃるだろう。このまま帰ったらどうなるんだろう・・・」

以前、堀川夜討ちの時にも書きましたが、この頃の人々の神罰への恐怖は現代人の我々とは、比べ物にならないくらい大きいですから・・・。

・・・で、は決心して一番・舞ったのです。

♪・・・親の別れ 子の別れ
  勝(すぐ)れて げに悲しきは
  夫婦の別れなりけり♪

人々は目を見張ります。

なんせ彼女は、都一番・・・いえ、日本一の白拍子ですからね。

ひとたび舞を舞えば、2日間も山中をさまよってドロにまみれた着物が、金糸銀糸を散りばめた唐衣のように見え、薄汚れたその顔が吉祥天女のように光輝く・・・日本一の舞というのはそーゆー物です。

の舞に目を見張る人だかりの中に、治部法眼(じぶのほうげん)という法師がいました。
「うまい、うまいと思っていたら、そりゃぁうまいはずだ!誰かと思えば、あの静御前ではないか!」

以前、百日間も日照りが続いた時、法皇の前で百人の白拍子が舞を舞い、その中での舞がズバ抜けていて、法皇に「が舞ったからこそ雨が降ったのだ」との賞賛をあび、日本一のお墨付きをもらった事があったのですが、治部法眼はその時にの顔を見ていたのです。

がっくり肩を落とす

たちまち、仲間の法師たちに囲まれてしまいます。

やがて、北条時政の詮議を受け鎌倉へ送られる事となるのです。

Sinsenen1_1 義経と静の出会いの場所と言われる京都・神泉苑

このお話の続きは、
ブログ:3月1日【静御前の白拍子なる職業】へどうぞ→

 

 

 

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