« 西郷隆盛生存説と銅像建立 | トップページ | 佐藤忠信・吉野山奮戦記 »

2006年12月19日 (火)

大坂冬の陣・講和成立

 

慶長十九年(1614年)12月19日、大坂冬の陣の講和が成立しました。

・‥…━━━☆

先日の激しい真田丸の攻防・・・(12月4日参照>>)

もちろん、それだけが理由ではなく、徳川家康はこの戦いを始めた最初から、“和睦”という終り方を考えていました。

Oosakafuyunozin2cc ただ、「うまく行けば力づくで・・・」と心の隅で思っていたものが、あの日の大きな犠牲によって、“和睦”の方向へ一気に傾いたのも確かでしょう。

とにかく家康は、今回は難攻不落の大坂城の守りを弱めておくだけにしておいて、後々、新たな作戦で、もう一度大坂討伐をする事にして、和睦交渉を始めます。

しかし、大坂城内の豊臣方は強硬派が主流でなかなか和睦交渉は進みません。

でも、あの鳴くまで待つ家康が諦めるはずはなく、じりじりと精神的に追い込んで行く作戦に出ます。

まずは、毎晩、兵士に(とき)の声をあげさせ、鉄砲の一斉射撃を行わせます。

大坂城内には、女・子供もいますから、これは「いつ来るか」「いつ来るか」という夜襲への恐怖が一層高まる事になります。

そして、大勢の人夫を雇い、城に向かってトンネルを掘らせ、わざわざその様子を豊臣方に見えるようにして「トンネルが城の下まで到達したら、火薬で城ごと吹き飛ばす」と、脅します。

この時点で、徐々に大坂城内でも強硬論が影をひそめ、和睦へと意見が傾きはじめますが、やはり、決め手は家康が、この戦いのために買い込んだとっておきの物・・・大砲です。

この大砲で、淀殿御座所や天守閣に向けて鉄の玉を撃ち込みます。

そのうち一発が天守閣に命中(12月16日参照>>)・・・この頃の大砲は破裂こそしませんが、天守閣の太い柱が、その一発で粉々に砕かれます。

あと、数発が、千畳敷の座敷に飛び込み、さすがに気の強い淀殿も、これには大騒ぎだったとか・・・。

そして、やっと慶長十九年(1614年)12月19日豊臣・徳川の和睦が成立するのです。

和睦の条件は・・・
籠城した将兵(雇われた浪人含む)の罪を問わない事、
淀殿を人質にとらない事、
そして例の二の丸・三の丸の取り壊し・・・

取り壊しには、もちろんあの“真田丸”も、外堀の埋め立ても含まれます。

二の丸・三の丸と真田丸を取り壊し、外堀を埋めたら、大坂城は完全に無防備な丸裸にされるわけですが、豊臣方がこんな不利な条件を飲んだのは、この和睦が結ばれた時点では、堀の埋め立ては豊臣方でやる事になっていたからとも言われています(異説あり)

豊臣方の思惑は、チンタラチンタラゆっくりと埋め立て工事をやって、年月をかけていれば「そのうち73歳という高齢の家康が死ぬだろう」と踏んでいたのです。

ところが家康さん、そんな思惑はとっくに承知済み・・・和睦の翌日から、徳川方でも工事を始めだし、「お手伝い」と称する突貫工事でまたたく間に外堀は埋められてしまいます。

さらに、工事は終らず、内堀まで埋め立ててしまうのです。

「約束が違うやんか!」と講義すれば、「なら、もう一度戦いますか?」と、今すぐでは豊臣方の準備ができていない事を知ってて、逆に脅迫する始末です。

やがて、翌年の正月三日には家康が駿府へ、2月14日には秀忠が江戸戻るのを見届けた後、納得できない豊臣方は、当然、埋められた堀を掘り返し始め、城壁も修理しだし、ふたたび浪人を召抱えはじめます。

しかし、この当然の動きは、家康も当然予想済み・・・いえ、むしろ、そうしてくれる事を望んでいたかも知れません。

そして3月には家康のもとへ、豊臣方の動きが知らせられ、家康も新たな合戦への準備に入ります。

「今度こそ潰す」・・・そう思ったに違いありません。

そして、いよいよ大坂夏の陣となるわけですが・・・そのお話は4月28日のページへどうぞ>>

その他、「大坂の陣」関連のイロイロについては、『大坂の陣の年表』>>からまとめてどうぞ!
  .

内容が「よかった」と思っていただけましたら
右サイドバーsoonにあります【拍手!!】で応援を・・・
このブログ内での人気ページとしてランキングされます
(゚ー゚)あなたの応援で元気でます!

人気ブログランキングへ    にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ



 

 


|

« 西郷隆盛生存説と銅像建立 | トップページ | 佐藤忠信・吉野山奮戦記 »

家康・江戸開幕への時代」カテゴリの記事

コメント

今日は大坂冬の陣の講和・休戦が成立した日なんですね。真田丸は大坂城の弱点に築いた砦と聞きます。江戸時代初頭の冬と今とを比較するのは難しいですが、寒い季節の戦さは体力を消耗すると思います。

「江 姫たちの戦国」のキャストは力が入ってますね!第50作目と言う事(ちなみに来年は「朝ドラ放送50周年」でもあります)もあってか、「戦国武将オールスター登場!」と言う感じです。やはり主人公の人物関係でキャストが決まるんでしょうか?来年はかなり幅広いキャスティングです。調べてみたら家康の最初の正室の築山殿も出ます。

投稿: えびすこ | 2010年12月19日 (日) 11時29分

えびすこさん、こんにちは~

大坂城は西は海、北は川で東は湿地帯だったので、「攻めるには南しかない」とされていたのだとか
なので、南に構築した真田丸は、弱点に建てたと言えば、そうだと思います。

投稿: 茶々 | 2010年12月19日 (日) 16時05分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/47570/4599191

この記事へのトラックバック一覧です: 大坂冬の陣・講和成立:

« 西郷隆盛生存説と銅像建立 | トップページ | 佐藤忠信・吉野山奮戦記 »