佐藤忠信・吉野山奮戦記
佐藤忠信は、兄・継信とともに、奥州・平泉の藤原秀衡が源義経に与えてくれた家来です。
義経が鞍馬を出て、奥州・平泉で過ごしていた時、兄・頼朝の旗揚げを聞いて、兄の下へ馳せ参じる決意を秀衡に打ち明け、その時から義経と行動をともにします。(ブログ:10月21日【頼朝・義経、黄瀬川の対面】参照)
佐藤兄弟の兄・三郎継信は、平家との屋島の合戦で、義経の身代わりとなって討ち死にします。
そして、弟・四郎忠信は、頼朝に追われるようになった義経とともに都を落ち、吉野山までやってきます。(ブログ:11月3日【義経の都落ち】参照)
今日はその吉野山での佐藤忠信の奮戦記を、『義経記』に従って12月20日で書かせていただきます。
(『義経記』は、日付が微妙に違っていたりしますが、ご了承ください)
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さて、先月、静御前と別れた(ブログ:11月17日参照)義経さんご一行。
頼朝の追捕の手が迫り、吉野山の蔵王堂の奥の中の院の谷に潜伏中、囲まれてしまいます。
ここで、主君が捕まれば再起も叶わないとして、忠信は「ここは、ひとつ私めにおまかせ下さい」と、名乗り出ます。
追手をひきつけておいて、その間に義経を逃がそうという考えです。
「ここで、踏ん張らねば、私を選んで殿(義経)の家来とした秀衡様に申し訳がたちません」とまで決意をあらわにする忠信に、義経たちは涙を流しながら別れを告げます。
そして、忠信は6人の家来とともにその場に残り、林の向こうから聞こえるときの声の集団を待ちうけます。
まもなく、集団が近づいてくると、6人に防ぎ矢を放たせ、忠信は横に回って横から矢を射掛けます。
「それ!、者ども進め!伊勢三郎、熊井太郎は、いるか!片岡八郎、弁慶かかれ!」と、いない者の名前をいるかのように、叫び続けました。
いったんは、ビビッてその場から散った集団も、なかなか義経側が攻めて来ないので、また徐々に前へ出て、忠信らのいる場所に雨のように矢を降らせます。
そして、その矢が少しおさまった時、「そら、今だ!敵に矢は無くなった!乱入して斬りまくれ!」と、忠信は声をかけましたが、ふと見ると配下の6人は、皆、敵の矢に当たって死んでいたのです。
ただのひとりになってしまった忠信・・・。
「足手まといがいなくなって、ほっとしたわ・・・」と空しく強がってみせた時、目の前に大男が現れます。
その男は、倒れた杉の木の上で、忠信になかなか手を出せずにいる味方の兵士に向かって「お前らだらしないゾ!相手が九郎判官だからってビビッてんのか?」と叫んだ後、今度は忠信に向かって「鈴木党にこの人あり、と言われた横川禅師覚範(かくはん)とは俺の事だ!矢を一本お見舞いする!」と、名乗りをあげて矢を射ってきました。
その矢は忠信の太刀をかすめて、後ろの椎の木に根強く突き刺さりました。
「これは、まともな弓の勝負では勝てない」と思った忠信は、相手の弓を狙います。
・・・と、次の瞬間、覚範の弓の上部が吹っ飛びます。
「さぁ、一騎打ちと参ろう」
ふたりはともに太刀を抜いて、斬り合いになりました。
やや、忠信が優勢・・・しかし、忠信は三日間食事をとっていないため、ここぞ!というところで力が入りません。
それを見てまわりで見物していた者は「覚範が危ない!覚範を助けろ!」と、忠信を囲みます。
すると、覚範は「ひかえろ!大将軍の一騎打ちは見物するものだ。俺に恥をかかせるつもりか!」と大声で怒鳴ります。
どうやら覚範は忠信の事を義経だと思っているようなのですが、もちろんそれは忠信の作戦どおり。
この為に忠信は、先ほど別れの時、義経に頼み込んで「自分は義経である」と名乗る許可を貰っていたのです。
相手が忠信を義経だと信じ込んでいれば、それだけ時間が稼げます。
ある太刀は兜を傷つけ、ある太刀は首の横スレスレに・・・一進一退の斬り合いをくりかえしながら、わずかなスキを見つけて、身軽な忠信は崖に突き出た大きな岩に飛び移りました。
たとえ、覚範を倒しても、その後ろには大勢の兵が控えています。
もう、このまま崖へ飛び込んで命果てようかとも思ったその時、岩の向こうから覚範の声。
「逃げるな!卑怯だぞ!俺はどこまでも追いかけるからな!」
と、言うなり大岩に向かってジャンプ!
しかし、覚範は忠信の倍ほどもあろうかという巨体です。
思わずバランスを崩し、転ぶように岩に着地してしまいました。
態勢を立て直す前に、すかさず真正面から斬りかかる忠信。
そして、見事覚範を討ち取ります。
向こうのほうでは、崖の大岩の様子がわからず、ざわつく兵士たち。
「お前ら、何をまごまごしている!噂に名高い覚範の首をこの義経が討ち取った。供養してやれ!」
と、兵士たちに、首を投げつけました。
「あの鬼のような覚範が討ち取られた~」と、ビビリまくりで後ずさりする兵士たち。
そのスキに忠信は、崖の岩の足場を探し探ししながら飛び移り、姿をくらましました。
身を隠しながら山を下って行くと、南大門が見え、その側に小さな坊が建っています。
誰の坊かはわかりませんが、とりあえず忠信が坊の中に入ってみると、食べかけの食事がそのままに、住人の姿はありません。
食事の最中に大勢の兵士が義経を追って山に入って来たのですから、「戦に巻き込まれては大変!」と、あわててそのまま逃げたようです。
とにかく、残った食べ物を戴いて久々の満腹感を味わう忠信。
疲れもあって、しばし、うつらうつらしていると、何やら周りが騒がしい。
ふと見ると、どうやら囲まれたようです。
「九郎判官、そこにいるなら出て来い!」
「判官殿、隠れているのは卑怯だゾ!」
という叫び声とともに、「坊に火をかけて、出てきたところを射殺せ」という声も聞こえてきます。
「このままでは、いかん」と忠信は、自ら坊に火を放ちました。
その炎を背景にして敵の前に姿を現します。
「俺は、九郎判官ではない。佐藤四郎兵衛忠信だ。今、腹を切るからよ~く見ておけ!」と言って、腹を切るマネをして、後ろの炎の中に身を隠しました。
それを見ていた兵士たちは、皆「死んだ・・・」と思いましたが、実は忠信は炎の中を走りぬけ、後ろの山へと逃げたのです。
もう、義経は随分と遠くへ逃げたでしょうから、こうなった以上、自分は生きれるだけ生きて、自分なりの戦いを続けようと決意したのです。
そして、翌々日の23日、忠信は京都に潜入します。
先日の都落ちは、大好きな彼女を京都に残したままの都落ちだったのです。
このあと、忠信さんは、彼女に会いに行くのですが・・・そのお話は、9月21日【みちのくの勇者・佐藤忠信の最期】のページでどうぞ>>>
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