« 映画の日に映画の歴史 | トップページ | 天智天皇の死,政変の予感 »

2006年12月 2日 (土)

細川忠興の意外な才能

 

正保二年(1645年)12月2日、戦国武将・細川忠興が83歳でこの世を去りました。

・・・・・・・・・

細川忠興(ただおき)さんと言えば、あの細川ガラシャ(お玉)さんの旦那さん。

ドラマでは、何かと奥さんが注目を浴びてしまい、今年の大河ドラマでも、ハセキョーさんのガラシャばかりがピックアップされて、見てる側には、も一つ忠興さんのキャラがつかめないままだったような気もしないではありません。

あの本能寺の変(6月2日参照>>)が起きたときは、父・幽斎(藤孝)とともに、ガラシャ=お玉さんの父親・明智光秀に付く事をやめ、奥さんを幽閉してまで、光秀との関係を断ち切る姿勢を見せました。

ただし、お玉さんの父親の味方はしなくても、お玉さんは大好きな忠興・・・

主君・織田信長を討った謀反人の光秀の娘であるお玉さんが、この時、殺されなかったのは、ひとえにこの忠興さんの「お玉大好き!死んだらイヤよ」の気持ちが強かったからこそですからね。

その後、豊臣秀吉に仕えた後、関ヶ原(9月15日参照>>)では徳川家康べったりの姿勢を見せ、ともに石田三成を誘い出すための作戦とおぼしき上杉征伐(4月1日参照>>)にも参加しています。

そのため三成側の人質になる事を拒み、お玉さんが死を選ぶ(7月17日参照>>)・・・という悲劇も起こりますが・・・。

そんな忠興さんの、意外な才能・・・それはデザイナーです。

江戸時代のトイレは『半戸』という、しゃがんだ状態でも顔が見えるくらいの小さな戸しか付いていませんでした。

私が小さい頃でも、まだ田舎のほうの古いお家に行くと、あの西部劇の酒場の扉のようなのが付いていたのをうっすらと覚えています。

これは、公共の場での長トイレをさせないための工夫だそうで、この扉を考えたのが忠興さんなのです。

これは、インテリアデザイナー?・・・あるいは、建築デザインの分野でしょうか?

さらに、大好きなお玉さんの着物の柄もデザインしていたとか・・・(これは嫁としては、ちょっと、うっとーしいゾ)

もちろん、自分が身に着ける甲冑や陣羽織、太刀なんかもデザインしていたと言いますから、もうこれは服飾デザイナーの域を越えていますね~。

有名な細川家の『九曜の紋』も、信長の刀の柄の部分からヒントを得て自分で考えたそうで、ロゴマークまで手がけるか~?と言った感じですね。

中でも、そんなアーティスト・TADAOKI最大のヒット商品『ふんどし』です。

それまでのふんどしは、いわゆる『六尺ふんどし』でその名の通り六尺(2m弱)もある長い布切れ。

いちいちぐるぐる巻いて脱ぎ着も大変なうえ、けっこうかさばるのです。

そこで、忠興さんは、女性に月に一度訪れる女の子の日に使用する下着を参考にしてひもに布をたらした感じの簡単なふんどしを考案したのです・・・て、君は、その月に1度の女の子のそれをどこで見たんや?ww

忠興さんは、細川越中守忠興(ほそかわえっちゅうのかみただおき)ですから、このふんどしは『越中ふんどし』と呼ばれ、長く人々に愛用される事になります。

今またブームのようで、先日のニュースで、あるデパートの下着売り場に『クラシック・パンツ』コーナー新設なる話題もやってましたから、忠興さん、特許出願と商標登録やっとけば、ウハウハでしたね。

信長・秀吉・家康と、うまく乗り換えて・・・当時83歳といえば、かなり天寿をまっとうしてらっしゃいます。

血で血を洗う戦国の世には、珍しいくらいです。

良い意味での要領のよさ、先見の明は、そんなアイデアマンの忠興さんならではの成せるワザですね。
 .

内容が「よかった」と思っていただけましたら
右サイドバーsoonにあります【拍手!!】を・・・
ブログ内の人気ページとしてランキングされます(゚ー゚)
あなたの応援で元気100倍!

人気ブログランキングへ    にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ



 

 


|

« 映画の日に映画の歴史 | トップページ | 天智天皇の死,政変の予感 »

江戸時代」カテゴリの記事

コメント

越中ふんどしの逸話は細川家では代々伝わっているのでしょうか?だとすれば細川元理大臣も聞いたはずです。
ガラシャに対して「操を立てた」話は胸を打たれます。こちらの愛の話は直江兼続よりも感動を呼ぶと思うんですが、さすがに過言でしょうか?

「関が原の戦い当事者」で当日関が原にいた人で、「戦後25年」が経過した時点で生きていたのは、大久保彦左衛門、藤堂高虎、細川忠興くらいです。
あと、「一兵卒」でしたが宮本武蔵も健在。

投稿: えびすこ | 2009年11月19日 (木) 10時55分

えびすこさん、こんばんは~

>ガラシャに対して「操を立てた」

一歩間違えれば、ストーカーになりかねない愛ですが、それだけ好きだったって事でしょうね。

投稿: 茶々 | 2009年11月19日 (木) 19時02分

でも、忠興って、妻のキリスト教入信に激怒して、侍女の髪をザンバラにしたり、耳や鼻をえぐり取った事もある、サディストな一面もあるんだよね~。

投稿: クオ・ヴァディス | 2015年5月 2日 (土) 15時37分

クオ・ヴァディスさん、こんにちは~

そうですね。
庭を手入れしてる植木職人が、たまたま廊下を通ったガラシャをチラ見したとか見て無いとか言って斬り殺しちゃうてなヤキモチ逸話が、かなりある人ですから、気性が激しいんでしょうね~

ま、それで無いと戦国を生きては行けませんが…

投稿: 茶々 | 2015年5月 2日 (土) 16時36分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/47570/4394031

この記事へのトラックバック一覧です: 細川忠興の意外な才能:

« 映画の日に映画の歴史 | トップページ | 天智天皇の死,政変の予感 »