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2007年1月17日 (水)

宇治川の先陣争い

 

寿永二年(1183年)11月に法住寺殿に放火して後白河法皇を幽閉(11月18日参照>>)、翌年1月には、半強制的に征夷大将軍となった木曽(源)義仲(1月11日参照>>)・・・。

法皇からの『義仲追討命令』を受け取った源頼朝(よりとも)は、弟・範頼(のりより)に6万の大軍をつけて、すでに近江(滋賀県)で待機するもう一人の弟・義経に派遣します。

そして寿永三年(1184年)1月20日宇治川のほとりに到着した義経ら鎌倉勢・・・宇治川を越えて京に入ろうとする鎌倉勢と、それを阻止しようと、川を挟んで対峙する木曽勢・・・。

かくして、この宇治川を越えて、一番手柄を挙げるべく、鎌倉勢の若き精鋭たちが名乗りをあげます・・・と、昨日、1月16日のページでここまで書かせていただきました(1月16日のページを見る>>)

・・・・・・・・・・

「私に先陣を・・・」と名乗り出た畠山重忠が、まだ準備している段階で、先に宇治川に飛び込んだのは梶原景季(かげすえ)と、佐々木高綱・・・。

実は彼らのライバル心は、鎌倉にいる時からすでにメラメラと燃え上がっていたんです。

頼朝は、“生唼(いかづき)という名馬を持っていました。
景季も高綱も、ともに「この名馬をもらって、この戦で先陣のてがらを立てよう」と考えていました。

今回の出陣の前日、景季は頼朝のもとに行き、「どうか、生唼をくださいな」と願い出ました。

すると、頼朝は「この馬は、何か事があった時乗ろうと思っている大切な馬なので、この生唼に優るとも劣らないもう一頭の名馬“磨墨(するすみ)を与えよう」と言い、景季は“磨墨”をもらったのです。

その後、今度は高綱が出陣の挨拶にやってきましたが、何を思ったのか頼朝は「この馬を欲しいという者はたくさんいたが、誰にも譲らなかった。その事をしっかりと心に刻んでおくように」と言って、高綱に“生唼”を与えたのです。

高綱は「この“生唼”がいるかぎり、自分が先陣を切ってみせます」と、頼朝の前で、たからかに宣言します。

こうして、ともに「この戦で先陣を・・・」と、心に秘めながら二人は出陣。

ところが、西へ向かっている途中、駿河のあたりで、景季はあの“生唼”にまたがる高綱を見つけます。

頼朝が、自分ではなく高綱に“生唼”を与えた事がショックだった景季「くそっ!こうなったら刺し違えてでも・・・アイツに一発かましてやる~」という思いを抱いて高綱に近づきます。

ただならぬ雰囲気を察した高綱・・・あわてて「宇治川で先陣をきれそうな良い馬を自分は持ってないんですよ~。・・・で、“生唼”がいれば先陣のてがらを立てられるかもしれないなぁ~なんて思てたんですけど、梶原さんでも譲ってもらえない馬を、この高綱が願っても、とても無理やと思ったので、お咎め覚悟で盗み出してきちゃいました~」と、ウソの言い訳をしたのです。

景季はその言い訳を信じ、「この宇治川で自分が先陣を切れば・・・」と、頼朝への名誉挽回とばかりに闘志を燃やすのです。

まさか・・・頼朝は、この展開を狙っていたんですかね~。

さて、宇治川を前に、はりきって川に入ったふたり・・・さすがに、どちらも頼朝拝領の名馬だけあって、滝のように流れる宇治川を何とか進んでいきます。

おぉ~っと、ここで、景季が少し前に出たかぁ~?。
「“生唼”を拝領したのに、梶原に負けたらヤバイ!」と、思った高綱・・・
「お~い梶原殿~。馬の腹帯が緩んでるゾ~。締めないと鞍ごと落ちまっせ~」と声をかけます。

あわてて、紐を締めなおす景季。
しかし、帯はそんなに緩んではいませんでした。
「しまった!」
騙されたと気付いた景季が、体を起こした時には、高綱は自分より少し前に・・・
「くそっ!」

・・・と、今度は景季が「お~い佐々木殿~。一番乗りのてがらを立てようとあわてんなよ~。川の底には、敵が綱を張ってるから気をつけて進めよ。」と声をかけます。

高綱は刀を抜いて、プスリプスリと馬の足にからまった綱を切りながら前に進みます。

やがて、真ん中過ぎてさらに深くなる宇治川・・・それでも“生唼”という名馬のおかげか高綱は何とかまっすぐ前に進んで行きましたが、景季は少し下流へ流され、そのぶん、少し遅れをとってしまいました。

(あぶみ)をふんばって立ち上がり、高綱は大きく名乗りをあげます「宇多天皇より九代めの後胤、佐々木三郎秀義が四男、佐々木四郎高綱、宇治川の先陣を果たしたぞ~。我と思わん者は寄り合えや~見参せん~」

知恵がまさったか、馬がまさったか、とにかく一番乗りは高綱のものに・・・そして、高綱は義仲軍めがけて突進していきます。

ところで、最初に先陣を切ろうとしていた畠山重忠・・・実は川の途中で、敵の放った矢に馬の額を射抜かれてしまいます。

日頃からかわいがってきた愛馬です。

重忠は、弱って足をよろめかせている愛馬の下にもぐると、前足をサッと肩にかけ、背負いながら水底をくぐったり、また、浮き上がったりしながら、それでも何とか向こう岸までたどりつきました。

そして、今まさに岸に上がろうとした時、後ろから重忠の体を引っ張る者がいます。
「誰だ?」
「重親でございます」
「おぉ・・・大串か・・・」

大串重親とは重忠の一族で、彼が烏帽子親をつとめて元服させた若武者。
(成人式の元服のところで書きましたが(ブログ:1月8日参照)、烏帽子親&烏帽子子とは、いわゆる「親分子分の盃をかわした」みたいな関係です)

「あまりに流れが速くて、馬を流されてしまい、ここまで泳いで来ました」
と、今にも溺れそうでヘロヘロの重親。

重忠はすかさず、アップアップしている重親の腕を片手でつかんで、グィッと引き上げ、岸に投げ上げたのです。

ゴロンと岸に投げ出された重親は、その場でスクッと立ち上がり、やにわに刀を抜いて「武蔵の国の住人、大串次郎重親が、宇治川の先陣果たしたぞ~」と、大声で名乗りをあげます。

「今、ヘロヘロで…しゃぁないから、俺が岸へ投げてやったのに…先陣って┐(´д`)┌」
あっけにとられる重忠の顔が目に浮かぶような光景ですね。

これには、さすがに、その場にいた者たちが敵も味方もなく、ドォッと笑いが起こりました

Uzigawasenzincc

こうして、怒涛のごとく宇治川を渡って突っ込んできた義経軍は、すざまじい勢いで義仲軍を蹴散らして、天皇家を守るべく、一目散に御所を目指し、御所の守りを固めます。

いざとなったら天皇・法皇を奪って、北陸か、平家のいる西海へ落ちるつもりでいた義仲の思惑は潰されてしまうのです。

義仲VS義経の戦いはいよいよ最終決戦!
この続きのお話は“木曽殿最期”となる1月21日のページへどうぞ>>
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源平争乱の時代」カテゴリの記事

コメント

先ほど祖母から電話で「宇治川を渡って先陣切ったのは誰やったかいの~?」と聞かれ、このブログに行き当たりました!
祖母には大変感激され、私は名前を調べるだけのつもりでしたが面白そうだったのでじっくり拝見しました。
セリフが現代口調なのでとてもわかりやすくて、おもしろかったです(*^-^)

投稿: | 2010年11月 3日 (水) 20時44分

>祖母には大変感激され…

ありがたいお言葉…うれしい限りです。

これを機会に、また、遊びに来てくださいね。

投稿: 茶々 | 2010年11月 3日 (水) 23時44分

こんにちは。 おもしろく拝見しました。 ただ一箇所だけなのですが、大串重親が畠山重忠の郎党と紹介されていますが、大串重親は畠山重忠の郎党ではありません。 烏帽子親と烏帽子子ではありますが、ふたりは血が繋がった親戚関係す。 年は5歳か6歳位しかはなれていない様です。ふたりは兄弟の様な間柄だったと思われます。 大串重親は一国一城の城主であり、「武将」です。 主従関係ではありませんし、大串重親は決して「郎党」ではありません。 

投稿: のり | 2015年12月 4日 (金) 15時28分

のりさん、こんにちは~

なるほど…郎党には一族も含まれると思っていたのですが、違うのですね。
了解しました。
「一族の…」と訂正させていただいときます。
ありがとうございました。

投稿: 茶々 | 2015年12月 4日 (金) 15時47分

すばらしいご対応、ありがとうございました。お礼申し上げます。
大串重親は宇治川の先陣争いの時16位だったと思われます。その5年後の奥州藤原氏征伐の際には、奥州藤原氏最後の棟梁、藤原国衡の首をみごと討ち取りました。
二俣川の戦いの時には、対峙する相手が圧倒的に手数の少ない畠山重忠であることを知り幕府への謀反で自らが誅殺されるのを覚悟で弓を収め、500はあろうという自軍を撤退させました。
大串重親は浮世絵にも描かれるほど人気の高い武将です。
明治天皇が、最も好きな武将を聞かれた時、大串重親の名前を挙げたそうです。
すばらしいご対応、ありがとうございました。重ねて御礼申し上げます。

投稿: のり | 2015年12月 7日 (月) 07時22分

のりさん、コメントありがとうございますm(_ _)m

投稿: 茶々 | 2015年12月 7日 (月) 16時17分

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