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2007年1月11日 (木)

征夷大将軍・木曽義仲

 

元暦元年(1184年)1月11日、木曽義仲(源義仲)が征夷大将軍になりました。

・・・・・・・・・

“征夷大将軍”と言えば、あなたは誰を思い浮かべるでしょうか?

坂上田村麻呂・・・源頼朝・・・足利尊氏・・・徳川家康・以下歴代の徳川将軍たち・・・それとも羽賀研二さんですか?(←それは誠意大将軍)

実は、木曽義仲も征夷大将軍になっているんです。

以前、坂上田村麻呂のページ(11月5日参照>>)でも書きましたが、本来“征夷”というのは、蝦夷を征伐するという意味で、その征伐軍の将軍だから“征夷大将軍・・・。

それ以来、しばらく空白の後、ここに来て、“武士の棟梁”の名称として“征夷大将軍”の名が復活するのです。

『左馬頭兼伊予守・朝日将軍源義仲』
(さまのかみけんいよのかみ・あさひしょうぐんみなもとのよしなか)

わずか10日間ではありましたが、これが木曽義仲の名乗りです。

この日数の短さが、また心くすぐられる所なんですよね。

そもそも公家の大親分・後白河法皇と源氏の大将・義仲が、ギクシャクし始めたのは、平家が安徳天皇を奉じて西海に都落ちた(7月25日参照>>)後、義仲が堂々の入京(7月28日参照>>)を果たして間もない頃・・・

木曽の山奥で自由奔放に育った自然児でワイルドな義仲は、おじゃるな麿たち・・・いえ、雅な公家たちから総スカンをくらってしまいます。

しかも、そんな大将と同じように自然児でワイルドな義仲軍の兵士たちが、平家のいなくなった京の町を我がもの顔でかっ歩し、これが、また、ワイルドすぎて、すこぶる評判が悪い・・・

亀裂が決定的になったのは、第80代・高倉天皇の後継者を決める時・・・

立皇の会議の時、義仲は、北陸宮(ほくろくのみや)強く推薦します。

この北陸宮という人は、最初に平家打倒を掲げて挙兵した以仁王(もちひとおう・後白河法皇の皇子)(4月9日参照>>)の第3皇子で、以仁王が敗れた後、以仁王の令旨(りょうじ=皇室の人の命令書)を受けて源頼朝より先に挙兵した義仲が庇護し「錦の御旗(官軍の証)として掲げていた人物でした。

しかし、公卿たちはそろって四ノ宮(安徳天皇の弟で後の後鳥羽天皇)を推しました。

この時、吉凶の占いで“北陸宮”が「吉」と出たにもかかわらず、後白河法皇の恋人だった丹波局(たんばのつぼね)「夢に四ノ宮が出てきた」とかいうあいまいな言い分で、結局、次期天皇は四宮に決まってしまうのです。

この時、義仲は、「後々、郎党をもって一切の所存を申すであろう」と言って、怒りに震えながら退席したと言います。

その後、後白河法皇は義仲に平家追討を命じて京から離れさせ(10月1日参照>>)、その間に頼朝と親密な関係になっていきます。

やがて、義仲は先日の言葉通り・・・法皇の住まいである法住寺殿を攻撃(11月18日参照>>)し、さらに、後白河法皇を幽閉してしまいます。

かくしてそして、元暦元年(1184年)1月11日・・・半強制的に征夷大将軍になるのですが、もちろん、日本一の大天狗=後白河法皇がおとなしく、義仲の思うどおりになるわけがありません。

一方で、後白河法皇は、頼朝に『義仲追討の命令』を下すのです。

法皇からの「GOサイン」を貰った頼朝は、早速、近江で待機中の弟・源義経に大軍を派遣し、義仲の追討に当たらせるのです。

倶利伽羅峠の大勝利(5月11日参照>>)から、わずか8ヶ月間・・・いよいよ、義仲のもとに義経の軍勢が迫りますが、そのお話は、1月16日【義仲追討へ義経が動く】でどうぞ>>
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源平争乱の時代」カテゴリの記事

コメント

木曽義仲…可愛そうなくらい純朴で、嘘、偽りの嫌いな人やったんじゃないかと思えるのがすごく好感持てます。

昔、「武蔵坊弁慶」ってドラマで佐藤浩市さんが演じられましたが、まさにそんな義仲像を演じられていて未だに印象深いです。

征夷大将軍…武家の棟梁の最高位の感じがありますが、本来は臨時の職務なんですよね。平時には鎮守府将軍がいてるのですが、ホンマにどーしよーもない時に征夷大将軍の出番がきます。

江戸幕府でいえば、老中では大変な状況の折りに大老が―みたいに…

投稿: 御堂 | 2007年1月11日 (木) 20時47分

御堂さん、こんばんは~。

そうなんですよね~。
私は、はっきり言って木曽義仲ファンです。

純粋で、一途でそして、滅び行く者への判官びいきも・・・。

「もうちょっと、うまく立ち回れんのかい!」って言いたくなるから目が放せないんですよ。

投稿: 茶々 | 2007年1月11日 (木) 21時44分

茶々さん、こんばんは!
とある本で仕入れた木曽義仲に関する情報ですが、実は義仲は征夷大将軍ではなくて、「征東大将軍」に就任していたという事実が京都の公家の日記から判明したそうですよ!

投稿: 御堂 | 2010年1月13日 (水) 21時36分

御堂さん、こんばんは~

>実は義仲は征夷大将軍ではなくて、「征東大将軍」に就任していたという・・・

おお・・・そうなんですか?

もともと、朝日将軍=征夷大将軍なのかどうか微妙なところでもありましたが、「征東」となると、相手は、頼朝という事になるのでしょうか?
少なくとも、VS平氏ではないという所にワクワクしますね~
専門家のかたの見解が楽しみです。

投稿: 茶々 | 2010年1月14日 (木) 00時13分

大河ドラマ「義経」では義仲が将軍になったと触れました?
9年も前なのではっきりとは覚えていませんが、ごく短い在任期間なので自ら名乗ったくらいかも?
そういえば一昨年の「平清盛」では登場しなかったのが少し意外。最終回で気付きました。
「にっぽんケーブルch」で木曽義仲と巴御前の紀行番組を放送しています。年明け後から放送してますが番組をご覧になりました?まだ当面は放送があります。今日は午後5時30分からあります。

投稿: えびすこ | 2014年1月11日 (土) 09時37分

えびすこさん、こんにちは~

そもそも、鎌倉幕府の正史「吾妻鏡」で征夷大将軍となってるので、これまで征夷大将軍とするのが通説でしたが、実際には、義仲の名乗った朝日将軍が征夷大将軍にあたるのか征東大将軍なのかは微妙なところですね。

いずれにしても、期間は短いですが、宣下は受けていたと思いますよ。

ウチはケーブルテレビでは無いので「にっぽんケーブルch」は見られないと思います。

投稿: 茶々 | 2014年1月11日 (土) 13時58分

先日の紀行番組では「征東大将軍」と紹介していました。木曽地域で「木曽義仲の大河ドラマ化」の誘致運動をしている人がいるようです。一昨年週刊誌の記事で知りました。
ところでローカル的情報になりますが、我が家の近くにある理髪店に「里見氏を大河ドラマに」の幟があります。店主が誘致活動のメンバーかどうか、事情を聴いていないのでわかりませんが、店主が里見氏の家臣の末裔に当たる人かもしれませんね。
どこにでも同じ活動をしている人はいますね。

投稿: えびすこ | 2014年1月13日 (月) 10時52分

えびすこさん、こんにちは~

「木曽義仲の大河ドラマ化」の誘致運動は富山にもありますよ。
砺波地方では、義仲の絵柄のペットボトルに入ったお茶も売られていて、かなり盛り上がってます。

2015年の落城400年記念の年には、「大坂夏の陣を大河に…!」と、大阪城ファンの間で盛り上がって運動してましたが、残念ながら、その逸話を聞いた事も無いマイナーな方(失礼…これから勉強します)が主人公に決定しちゃいました~

投稿: 茶々 | 2014年1月13日 (月) 12時40分

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