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2007年1月 3日 (水)

ジョン万次郎の帰国

 

嘉永四年(1851年)1月3日、ジョン万次郎こと中浜万次郎が、十年ぶりに祖国・日本の土を踏みました。

・・・・・・・・・・

万次郎土佐国藩多郡中ノ浜漁師の次男として生まれます。

彼としては、ごく普通に、きわめて平凡に、父の漁業の手伝いをして、そのまま普通に漁師になるはずでした。

しかし、天保十二年(1841年)、万次郎14歳の冬、万次郎の運命は大きく変わるのです。

知り合いの船に雑用係として雇われ、四国沖で延縄漁のお手伝いをしていたのですが、出航して2日めの1月7日急に風が強まり、徐々に船は流され始めます

波風はどんどん強まり、船は木の葉のように揺れ動き、漂流7日めにして、やっと船は無人島(鳥島)にたどりつきました。

乗組員は全員で五人・・・船頭の筆之丞ふでのじょう36歳)、その弟・重助(23歳)、三兄弟の末っ子・五右衛門(15歳)寅右衛門(24歳)、そして万次郎です。

幸いにも、五人とも無事でしたが、鳥島は草木も生えない絶海の孤島・・・そこで、島に群生するアホウドリを食べ飢えをしのいでいました。

ちょうど、その時代はアメリカの捕鯨が最盛期を迎えていた時代で、多数のアメリカの捕鯨船が、太平洋を行き交っていたので、何度か、遠くのほうに船の影を見つけ、大きく手を振り叫んだりもしましたが、なかなか見つけてはもらえませんでした。

そんなある日、近くを通ったアメリカの捕鯨船=ジョン・ホーランド号が五人に気付き、ようやく4ヶ月ぶりに救助されるのです。

やがて、五人を乗せたまま捕鯨を続けていたホーランド号は、燃料補給の基地であるハワイホノルルに到着します。

ここで、五人は健康診断などを受けるため、一旦医師に預けられますが、ホーランド号の船長は、乗組員の中で一番年下だった万次郎をとてもかわいく思って、別れ難い思いにかられていたのです。

それに、船内での様々な仕事の手伝いぶりの中に垣間見えるその聡明ぶりにも興味を抱いていました。

そこで船長は、一番年上の筆之丞の了解を得て、万次郎をアメリカ本土へ連れて帰る事にします。

1年半の航海の後、ホーランド号の母港に到着し、万次郎はアメリカ本土・マサチューセッツ州に上陸します。

この日から万次郎は、船の名前と自分の名前を足したジョン・マンという名前で呼ばれ、船長に我が子のようにかわいがられます

塾に行って英語を学び、やがてパートレット・アカデミーに進学して、2年半の在学中、数学や造船・航海術まで、最新の技術を習得して優秀な成績で卒業します。

その後、捕鯨船の乗組員をしたり、金山で働いたりしていましたが、数年後、船長の勧めもあって、ハワイに戻り、筆之丞たちと再会し、日本に帰るダンドリを決める事にします。

五人のうち、重助はすでに亡くなり、寅右衛門はハワイに残ると言うので、伝蔵(筆之丞から改名)と、五右衛門、万次郎の三人で、1850年の12月ホノルルを出発したのです。

そして、翌年の嘉永四年(1851年)1月3日万次郎は10年ぶりに帰国・・・沖縄に上陸しました。

その後、沖縄から鹿児島へ移送された三人は、薩摩藩で大歓迎を受けます

特に、アメリカ本土で造船・航海技術を学んできた万次郎には、新し物好きの藩主・島津斉彬が、藩士の中から精鋭数名を選び、技術指導もやってもらっています。

しかし、当時の日本は鎖国中。

外国を見てきた者は、長崎へ送られ牢に入れられるのが規則でした。

翌年の10月、やっと牢から開放され、12年ぶりに故郷の中ノ浜に帰ることができたのです。
(この頃の河田小龍との交流については小龍さんのページで>>

「これで、やっと落ち着ける・・・」と思いきや、すぐさま土佐藩を通じて幕府に呼び寄せられるのです。

そうです。

嘉永六年(1853年)6月・・・ペリーが黒船に乗ってやってきたのです。(6月3日参照>>)

その年の11月5日に、万次郎は幕府直参の旗本に抜擢され、名字・帯刀を許され中浜万次郎となります。

時代は、オランダ語や中国語ではなく、英語を必要としていたのです。

それからの万次郎が、アメリカとの外交交渉に重要な役割を果たした事は言うまでもなく、安政七年(1860年)に、勝海舟が艦長となり咸臨丸(1月13日参照>>)“遣米使節”が渡米した時にも、通訳として乗り込み、再びアメリカの地を踏んでいます。

維新後は、現在の東京大学の前身・開成学校の教授にも抜擢されています。

日本の一大転換期に、グッドなタイミングでアメリカから帰国した万次郎・・・神様のイタズラにしては、あまりにナイスなストーリー展開ですね。
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幕末・維新」カテゴリの記事

コメント

 茶々さん、こんばんは!

 今回もどの記事にコメントをしようか迷いました(とは言っても、いつもたいしたコメントはしませんが・・・汗)

 ジョン万次郎は仰るとおり、まさに幕末に通訳をするために遣わされたような人物ですね~。
幕末は特に宿命とも思えるようなタイミングで登場し散っていく人物が多い気がします。
日本が近代化するために変貌し、もがいていた時期には必要不可欠な人々ばかり・・・

まるで歴史には人智を超えたストーリーでも存在しているかのようです。だから歴史は面白いのでしょうね。

 今年もたくさん勉強させていただきます、どうぞ宜しくお願い致します♪

 P.S. イノシシが「欧米かっ」って漫才してますね~さすが、芸が細かいです(笑)

投稿: ルーシー | 2007年1月 3日 (水) 01時05分

ルーシーさん、こんばんは~。

まさに「事実は小説より・・・」ですよね。
黒船来航の二年前に帰国・・・て、これが小説なら「そんなうまい事いくか!」って言いたくなるくらいのタイミングです。

鵯越の義経や蒙古襲来の北条時宗・・・群雄割拠する戦国に伝来する鉄砲・・・等等
>歴史には人智を超えたストーリーでも存在しているかのよう
>だから歴史は面白いのでしょうね

本当にそう思います。

投稿: 茶々 | 2007年1月 3日 (水) 01時43分

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