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2007年1月18日 (木)

げに恐ろしきは振袖火事

 

明暦三年(1657年)1月18日は、2日間燃え続け、江戸の町の人を恐怖に陥れた“明暦の大火”通称“振袖火事”のあった日です。

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その日は、朝から強い北西の風が吹いていたと言います。

午後2時頃、まずは本郷に火の手が上がり、やがて勢いを増して湯島明神・神田明神を焼き、神田一帯の武家屋敷や民家を焼き尽くします。

駿河台で炎は二手に分かれ、一つは本所へ、もう一つはまっすぐと南へ向かい浅草から吉原日本橋京橋を焼き、19日の午前2時頃、ようやく一旦火の手がおさまるかに見えましたが、昼近くに、今度は小石川で出火し、水戸屋敷江戸城も焼けてしまいます。

その火は麹町から愛宕下桜田などの大名屋敷の密集地を通り抜け江戸の町の南半分を壊滅状態にして、ようやく終息に向かいました。

焼死者・不明者が10万人とも言われるこの“明暦の大火”

燃えた江戸城・天守は、その後二度と再建される事はありませんでしたが、この空前の大災害をきっかけに、幕府は莫大な資金を投入し、江戸の町を大改造する事になります。

民家のひさしを禁止し、道幅を広げ、火よけ地広場を設け、防火用の堤も設置しました。

そして、まだ、田畑が残っていた周辺地に寺社や大名・旗本屋敷を移転させ、真ん中あたりに密集していた江戸の町から、町全体を大きく広げる事に成功したのです。

明暦の大火は非常に悲しい災害ではありましたが、当時としては世界一の大都市となる大江戸が、この火事によって誕生したのも確かなのです。

ところで、この明暦の大火が、なぜ“振袖火事”と呼ばれたのでしょう?

この大火の火元は本妙寺である・・・とされていますが、その出火原因に不明なところがある事から、一つの因縁めいた話が噂される事になるのです。

Furisodekazicc ある良家のお嬢様が、本妙寺に参拝した帰り道、お寺の小姓をやっていたイケメン少年に一目ぼれ。

彼が着ていた着物と同じ反物で作った振袖を作ってもらい、それを着たり眺めたりしているうちに・・・恋の病か、他の病か、17歳の若さで死んでしまいました。

彼女の振袖は葬儀の後、本妙寺に納められ、供養の後に前例通り古着屋に売られます。

ところが、その振袖は再び本妙寺に戻ってくるのです。

それは、古着屋から買ったその振袖を着ていた商家の娘が、やはり病に倒れ17歳の若さで亡くなり、本妙寺に納められたのでした。

そして、もう一度供養して古着屋に売ったところ、三たび、17歳の娘の葬儀でこの振袖は本妙寺に舞い戻って来たのでした。

さすがに、住職も気味が悪いと思うようになり、三人の娘の親たちと相談して、護摩木を焚き供養する事にします。

そして、この日、人々が見守る中、燃え盛る護摩に振袖を投入したところ、裾模様に火がついた振袖は鳥のように本堂の天井へと舞い上がり、火の粉を撒き散らした・・・と言うのです。

しかも、この一連の出来事、もちろん娘たちの命日もが、すべて1月18日の出来事だったというから、実に怖いお話です。

ただ、やはり、これはあくまで町の噂・・・江戸版・都市伝説です。

次から次へと娘さんが亡くなったのは、当時、結核が大流行していたためで、この頃は、着物などを通じて病気が移ると考えられていた事が、因縁話の原因になっているようです。

さらに、その出火元も、本当に本妙寺なのか?という謎も残りますが、そのお話は、2010年1月18日の【江戸都市伝説・振袖火事~明暦の大火の謎】でどうぞ>>】
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