« 相国寺の鳴き龍 | トップページ | 大江戸心中ブーム »

2007年2月19日 (月)

屋島の合戦・扇の的の後に

 

文治元年(寿永四年・1185年)2月19日は、源平合戦の屈指の名場面・扇の的で有名な屋島の合戦のあった日です。

・・・・・・・・・・・・・

平家物語の中でも、冒頭の「祇園精舎の鐘の声・・・」と、この「矢ごろ少し遠かりければ・・・」“扇の的”の部分は、必ずと言って良いほど古典の教科書に登場し、悩まされた人も多いはず。

さて・・・一の谷の合戦敗れた平家は、さらに西へと退きました(2月7日参照>>)

屋島の合戦は、それから一年後の事。

その間に、平家に大勝した源義経は、後白河法皇から検非違使(けびいし)左衛門少尉に任ぜられ、勝手に冠位も貰ってしまいます。

当然、家臣の統率をとるため、自分の許可なく冠位を受けてる事を禁止していた兄・頼朝の怒りをかい、義経は一旦平家追討軍から外されてしまいます。

しかし、もう一人の弟・範頼が思うような成果が上げられないため、頼朝はしかたなく再び義経を起用。

ちょうどその頃、一の谷から逃れた平家は、四国の屋島に落ち着いて、宮殿を建て、瀬戸内海の海上権を握り、源氏に対抗する本拠地と定めていました。

そして、いよいよ決戦の時・・・周囲の反対を押し切って、嵐の中わずかの船で摂津を出た義経は、少し手前で上陸、周囲の民家を焼き払いながら、陸路、平家の本拠地を目指します(2月16日参照>>)

この騒ぎを「大軍が攻めて来た!」と勘違いした平宗盛は、女官たちとともに早々と船に乗り、沖へと漕ぎ出します。

ちょうど、その頃海岸へ到着する義経軍。

しかもその時、たまたま引き潮だったため、馬が立ち上がらせる水しぶきが霞みのようにかかり、ここでも、義経軍が大軍に見えたため、平家の陣は一気にあわただしくなります。

この初期の戦闘で、義経は、奥州の藤原秀衡が着けてくれた忠臣・佐藤継信を失ってしまいます(2008年2月19日参照>>)

そして、夕刻・・・陽も傾き始め、両軍がそろそろ兵をひき始めた頃、あの有名な光景が展開されます。

Ooginomatocc

美しく飾られた小舟が一艘、沖の平家側から、浜辺の源氏側に近づいて来ます。

小舟には、女官らしい乙女が一人、赤地に金の日の丸の着いた扇を棹の先に挟み、舟の先に掲げます。

そして、波打ち際から五十間ほどの所で、舟を横に向けて停泊しました。

「あれ、どーゆー意味?」と聞く義経。

「射てみろよ・・・って事でしょう」と、後藤実基(さねもと)

「けど、大将。見てみなはれ・・・あの女、メッチャべっぴんでっせ。ひょっとしたら、大将が真正面に立ってあのべっぴんに見惚れてる所を、弓の名人に狙わせようっちゅー考えかも知れまへん。けど、やっぱりここは誰かに射させたほうがよろしいでっしゃろな」

・・・て事で、誰か弓の名手はいないか?と聞いたところ、那須太郎資高(すけたか)の息子・与一宗高がいます」と、即決!・・・と平家物語にはありますが、実のところは、畠山重忠が病気を理由に断り、那須為高(与一の兄)も病気だと断り、3人目の与一さんの所に回ってきたお役目なのです。
(病気で戦に出てるのか?)

もちろん、与一さんも最初は断りました。

なんせ、こーゆー状況で失敗したら、絶対に命はありませんからね~。

しかし、指名するヤツ指名するヤツが断って、お怒り気味の義経さん、3人めの与一の所で、「命令聞けへんねんやったら国へ帰れ!」とブチ切れ。

さすがに、このまま国に帰るわけにはいかず、しぶしぶ引き受けた損な役回りの与一さんですが、「やるからには力一杯やらねば・・・」と、決意。

思ったより遠かったので、少し海の中に馬を乗り入れ、一心に狙いを定めます。
そして、ご存知のように見事命中!

『鏑(かぶら)は海へ入りければ、扇は空へと上がりける。春風に一もみ二もみもまれて、海へさつとぞ散つたりける。』

奇跡的な匠の業に、敵も味方も関係なく拍手を送ります。

ちなみに、あの小舟に乗っていた美女は、玉虫の前という人で、宮廷美人コンテストで1位に輝いた女性。

やっぱ、こーゆー時って、一番の美人を出すんだろうなぁ、変なの出したら「平家にはあんなんしかおらんのか!」って言われそうやし、それに「ブサイクやから、アイツ狙え!」って事になってもシャレにならんしね。

♪ときならぬ 花や紅葉を 見つるかな
 芳野初瀬の ふもとならねど♪

「吉野や長谷ならともかく、こんな合戦の場で、桜や紅葉が舞い散るような光景を見られるなんて感激!」

これは、その玉虫さんが詠んだ歌・・・何とも美しい光景だったんでしょうね。

何となく、情緒がある、ほんわか美談のようにまとまってる“扇の的”の話ですが、実は、話はここで終らないんです。
(教科書はたいていここで終ってますが・・・)

この光景に感動した平家方の50歳くらいの男が、「アッパレ」とばかりに、船の上でお祝いの舞を舞い始めたんですが・・・それを見た義経、何を思ったか、与一に向かって一言。

「アレも射よ!」

「えぇ~っ!戦闘終ったんじゃないの?」
義経の顔を二度見する与一さんが目に浮かぶようです。

しかし、大将の命令です。

「武士道もヘッタクレもないんかい!」と心で思ったでしょうが、とにかく与一は、心を鬼にして矢を放ちます。

その矢は、またしても見事に男の首に命中!

船の中へ倒れ込む男・・・一瞬にして、あたりは凍りつきます。

もちろん、怒り心頭の平家軍。

これを、きっかけに再び戦闘が始まります。

この戦闘の時、馬に乗って半分海に入った状態で弓を落としてしまった義経さん。

戦いそっちのけで、弓を取ろうを必死でうつぶせになって、馬用のムチで掻き寄せ、まわりに「かっこ悪い」と注意されたりなんかしてます。

何て事してくれるんだ!義経さん・・・。

“扇の的”だけで終っとけば、さわやかだったのに・・・。
なんか、後味悪いなぁ。

しかも、弓落としてカッコ悪いし・・・。

まぁ、「弓流し」に関しては、義経さんには義経さんの言い分があるようですが、そのお話は、コチラ→(2017年2月19日【弓流し】参照>>)で・・・

Yoitiohakacc   京都・即成院には、那須与一さんのお墓があります。
くわしい場所や地図は、本家HP「京都歴史散歩」でどうぞ→
 .

内容が「よかった」と思っていただけましたら
右サイドバーsoonにあります【拍手!!】を・・・
ブログ内の人気ページとしてランキングされます(゚ー゚)
あなたの応援で元気100倍!
↓ブログランキングにも参加しています

人気ブログランキングへ    にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ



 

 


|

« 相国寺の鳴き龍 | トップページ | 大江戸心中ブーム »

源平争乱の時代」カテゴリの記事

コメント

突然ですが、コメントさせて頂きます。
那須与一の一件は、私の中で何とも後味の悪いやるせない事件として心に残っております。
チーム源氏サイドにスポーツマンシップに法り相手をほめたたえる精神があれば、このような悲劇とこの後の戦は起こらなかったであろうと思うと、残念でなりません。
黙祷。

投稿: | 2009年7月16日 (木) 13時45分

こんばんは~

そうですね。

私も、学校の授業で「扇の的」をやった時は、そこで話が終ってるもんだと思っていたのですが、後で、この続きの部分を知って、何となく納得がいかない気分です。

投稿: 茶々 | 2009年7月16日 (木) 23時20分

おはようございます。
私は中学の教科書で、戦闘再開直前まで読んだ記憶があります。
「義経、ひどい~」とクラスがざわついたような(汗)
今娘が学校で歴史習い始めましたが、やっぱり義経はかっこいいところ(鵯越や八艘跳び)を強調されるらしいし、扇の的も扇を落とすまでのようです。
ダークな義経を語る母は不思議そうに見られています。(;´д`)トホホ…

投稿: おきよ | 2009年7月17日 (金) 10時25分

おきよさん、こんにちは~

ドラマも授業も、大抵は、扇の的が打ち落としたところで終了ですが・・・

>中学の教科書で、戦闘再開直前まで読んだ・・・

とは、勇気ある教科書と教室に拍手ですね。

やっぱ、ダークな義経も知っておくべきだと思いますよねww

投稿: 茶々 | 2009年7月17日 (金) 10時42分

部活で弓道やっているのですが、扇の的大会というのがありまして母が昔出たときは本当に上のイラストみたいなかんじで難しいそうです。
来年出たら那須与一さんみたいに当ててみせたいです。
教科書にはちょびっと載っていたぐらいです。

投稿: Ikuya | 2011年8月20日 (土) 19時00分

Ikuyaさん、こんばんは~

弓道…いいですね~
やってみたかったです。

部活であったら絶対にやってるところですが、残念ながら無かったので…

大会、頑張ってくださいねsagittarius

投稿: 茶々 | 2011年8月20日 (土) 19時19分

初めてコメントさせていただきます。
いつも楽しく拝読させて頂いております。

那須与一の件、こんな話だったんですねえ。

源義経というと大河のタッキーのイメージが世間一般的だと思われます。温和で家臣思いな情に熱い名将という感じ。

けれど実際の文献を読んでると、梶原景時を子供じみた発言で挑発したり、結構好戦的な性格だったのではと思われます。(こう考えると景時の讒言も納得いくようなw)

粗暴で荒々しい性格というのは天才肌にはよくある気質です。もしかしたら義経さんはどちらかというと信長っぽいキャラクターだったのかもしれませね(笑)

投稿: アジシオ | 2012年3月17日 (土) 09時51分

アジシオさん、こんにちは~

>義経さんはどちらかというと信長っぽいキャラクターだったのかも

ホント、そうですね。
平安時代という時代が、雅さを感じさせるために、なんとなく貴族っぽい感じで描かれがちですが、武士ですもんね。

どちらかどいうと、気性の激しい人だったような気がします。

投稿: 茶々 | 2012年3月17日 (土) 12時54分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/47570/5399775

この記事へのトラックバック一覧です: 屋島の合戦・扇の的の後に:

« 相国寺の鳴き龍 | トップページ | 大江戸心中ブーム »