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2007年2月25日 (日)

単身赴任のルーツ・防人の歌

 

本日は、「今日は何の日?」ではないのですが、歴史エピソ-ドとして防人の歌をいくつか紹介させていただきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

防人(さきもり)とは、九州北部の西海の防衛を担当する兵士の事。

その防人の名称と設置に関しては『大化の改新の詔』にも登場しますが、実際には朝鮮半島の動乱に巻き込まれて出兵し、大敗してしまった白村江(はくすきのえ・はくそんこう)の戦い(8月27日参照>>)の後、大陸からの攻撃に備えて、本格的に動員されるようになりました。

その後、大宝元年(701年)に大宝律令が施行され、防人には各地の農民が召集される事になりましたが、実際にはほとんど東国の農民たちで、20歳~60歳の健康な男子の中からアトランダムに、有無を言わさず狩り出され、3年間という任期を、家族と離れ、遠い九州の任地で送る事になります。

しかし、今と違って何の保障もないこの時代・・・単身赴任と言っても、現代の人が描く単身赴任とは大違いです。

「西海の防衛をする」と言っても、彼らは“武士”ではありませんから、専業として兵士をやってるわけではなく、そこから給料をもらえるわけではありません。

赴任先で与えられるのは、ただの空き地で、そこを自分で開拓して農地にし、米や野菜を栽培し自給自足の生活です。

大変な単身赴任だと思いますが、現地での生活より大変なのが、その道中です。

たとえば、一般的に東国と言って思い当たる関東地方のあたりから、九州・大宰府まで、早くても2ヶ月はかかります。

その間、現地から難波(大阪)までは、各地方の役人が引率しての陸路で、当然ホテルはありませんから野宿・・・しかも、ここまでの旅費は実費

そして難波からは、まとめて船に乗せられ大宰府まで行くのですが、もちろん、食事も医療体制も満足のいくはずもなく、とにかく強行突破といった感じの無茶な旅。

そんなこんなで、無事に九州へたどり着いて、3年間の任期を終えても、今度は帰り道で亡くなってしまう・・・という事も少なくなかったそうです。

ちなみに、行き帰りの道中の日数は任期の三年間には含まれません。

こんな状況ですから、夫や息子が防人に選ばれた家はもう大変です。

旅立つ人の安否もさることながら、一番の働き手を失った家は、生計のめどが立たず、残された家族が生活できなくなる事もありました。

行く人も、見送る人もおそらく、この世の別れと思って、悲しみにうちひしがれたでしょうが、これもお国の命令ですから、しかたがありません。

あまりにも過酷なこの制度は、やがて九州に住む現地の住民が担当するようになり、天平九年(737年)9月21日一般農民を徴発する防人は廃止され、さらに平安時代には防人そものも消滅しました。

Sakimoricc

大伴家持(8月28日参照>>)は、自らが国守として越中・富山に旅立った時の思いを重ね合わせていたのでしょうか・・・『万葉集』には、防人に狩り出された人々の歌が多く納められています。

♪道の辺の 荊(うまら)の先に 這(は)ほ豆の
 からまる君を 別
(はか)れか行かむ♪
「道端の茨(いばら)に這う豆がからまるように僕にすがりついてくる君と別れて、行かなくちゃならない」

この歌は、大伴家持が上総の国の防人担当役人から受け取った十九首の歌の中の一首で、この歌にある、“這う(はう)“這ほ(はほ)と言ったり、“別れ(わかれ)“別れ(はかれ)と言ったりするのは当時の東国の方言だそうです。

当時の東国の人は都の人間より、体格が良く、健康だったそうで、この事にも防人率が高い原因があるのでしょう。

♪わが妻も 絵にかきとらむ いづまもが
 旅行くあれは 見つつしのばむ♪

「妻の似顔絵を書いて肌身離さず持っていれば寂しくないかも…」
いつの世も同じ、今は写メがあるから便利です。

♪父母が 頭(かしら)かきなで 幸(さ)くあれて
 言いし言葉ぜ 忘れかねつる♪

「父さんと母さんが髪をなでながら“気をつけて”って言った言葉が忘れられない」
こちらは若い息子さんの歌ですね、
交通や通信が発達した現在でも、そろそろ訪れる旅立ちの季節に、こんな親子の光景があるんですもんね~。

♪防人に 行くは誰(た)が背と 問ふ人を
 見るが羨
(とも)しさ 物思いせす♪
「今度の防人に狩り出されたのは誰のダンナやろね?」と、気軽に訪ねてくる人を見ると羨ましい」
これは、防人の妻の詠んだ歌
聞いた人はこの人の旦那さんが次の防人だって知らなかったんでしょうけど、辛いですね。

それにしても、戦時下での徴兵という物に、悲しい別れがともなうのは当然の事ですが、これだけ心のままに歌が詠めたという事に、私は感動します。

昭和の時代はどうだったのでしょう。

名誉だ、万歳だと言って送り出したその影に、はたして、思いのたけを歌にこめる事はできたのでしょうか?
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飛鳥時代」カテゴリの記事

コメント

「防人に 行くは誰が背と~」これは教科書に載っている歌なのですが、私、この歌と西行の歌はお気に入りの為、しつこく説明します。教科書の解説では生徒には理解不可能なので。何というか、頭の中で想像して欲しいですよね、この歌の詠まれた状況を。例えば、村はずれの川で妻達が集団で洗濯している時「誰なの?誰なの?」と、おしゃべりが聞こえてきた、とか。今も昔も人の気持ちは変らない、普遍性があるからこそ語り継がれている、そのあたりを噛み締めて欲しい。そう思います。

投稿: さときち | 2007年2月26日 (月) 01時04分

さときちさん、こんばんは~。

私もこの歌好きです。

防人関係の歌の中で、この歌は異質な面を持ってますよね。
普通は、別れを惜しむ歌を詠むものですが、そうではない所がスゴイ。

私の勝手な想像ですが、この人は、旅立つ彼とまだ、家族とかに認められた関係ではないんじゃないかと思っています。

だから、周囲は知らないし、最初に紹介した歌の人のようにすがりついて別れを惜しむ事ができなかったんじゃないかと・・・。

そこの所がよりいっそう悲しみをそそるんですよね。

投稿: 茶々 | 2007年2月26日 (月) 01時41分

なるほど。そう考えるとまた深い味わいが。感情をストレートに詠った歌よりも逆に趣があります。日本人独特の情緒、大切にしていきたいですね。

投稿: さときち | 2007年2月27日 (火) 12時52分

ハイ、そうなんです。

さときちさんは、私より年齢が若そうなので、ご存知ではないかも知れませんが、あの氷川きよしも歌った「ズンドコ節」のモトウタ(もちろん私にとっても親の世代の懐メロですが・・・)の歌詞に「汽車の窓から手を握り、送ってくれた人よりも、ホームの影で泣いていた、可愛いあの子が忘らりょか」っていうのがあるんですが、こんな感じの光景が目に浮かぶんです。

やはり日本人の根底に流れる感情は変らないのではないかと思います。

投稿: 茶々 | 2007年2月27日 (火) 15時15分

カトちゃんも深い所の担当だったんですね泣

投稿: カトちゃん | 2014年12月11日 (木) 01時46分

カトちゃんさん、こんばんは~

モトウタの部分は、ドリフ全員じゃ無かったでしたっけ?
加トちゃんは♪セーラー服のおませなコ♪の担当だったような…??
自信無いですが(*´v゚*)ゞ

投稿: 茶々 | 2014年12月11日 (木) 02時00分

茶々さん、連投御免。
茶々さんの倉本聰作品に対する解釈も聞いてみたい気がしてきてしまいました。

失礼しました、m(_ _)m。

投稿: とーぱぱ | 2016年10月27日 (木) 23時32分

とーぱぱさん、こんばんは~

>倉本聰作品…

私は、倉本聰作品は、ちゃんと見た事が無いわけで…
あの「北の国から」でさえ、芸人さんがよくマネをする「子供がまだ食べてるでしょうが!」くらいしか知らないわけで…
スミマセンm(_ _)m

投稿: 茶々 | 2016年10月28日 (金) 02時27分

あゃ〜 (って、もっと知らないですよね。^ ^;)
お若いんですね。失礼しました。てゆーわけで。

投稿: とーぱぱ | 2016年10月28日 (金) 05時27分

とーぱぱさん、こんにちは~

私が知らないだけです。
申し訳ないです(*_ _)人

投稿: 茶々 | 2016年10月28日 (金) 17時34分

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