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2007年3月23日 (金)

鎌倉の大仏と奈良の大仏

 

暦仁元年(1238年)3月23日、僧・浄光の発願により、鎌倉の大仏の建立が開始されました。

今日は、鎌倉の大仏のお話と、やはり、同時に思い出す奈良の大仏・・・この違いについても書かせていただきたいと思います。

・・・・・・・・

鎌倉幕府の正史・『吾妻鏡』によれば、そもそもは奈良の大仏の姿に感動した源頼朝が、鎌倉にも大仏を造ろうと考えたとされますが、結局は頼朝の生存中に実現する事はなく、頼朝の死後に遠江(とおとうみ・静岡)の僧・浄光たちの勧進(寄付を集めて諸国を廻る事)によって、暦仁元年(1238年)3月23日から寛元元年(1243年)にかけて、鎌倉にて、高さ八尺(約24m)の木造阿弥陀坐像が造られた・・・と記されています。

しかし、実はもう一つ、建長四年(1252年)にも、高さ八尺(約24m)の金銅釈迦如来像を造りはじめた事が伝えられています。

そして現在、いわゆる「鎌倉の大仏」と呼ばれているものは、高徳院に鎮座する高さ11mの金箔押しの阿弥陀如来像。

はてさて、これは??・・・鎌倉には大仏様が三体おられた?・・・という事になるのでしょうか?

これに関しては、
現在の高徳院の大仏が、建長四年から造られた金銅像で、その前に造られた木造像とはまったく別の物・・・
という説と、
先に造られた木造像は、後の金銅像の鋳型を作るための原型であった・・・
という説があります。

木造の仏像がまったく別の物だとしたら、「現在残っていない」という事ですから、すでに壊されている事になるわけですが、せっかく造った物を破棄して造りかえる・・・というのは、考え難い、という事で、現在では、後者の「原型であった」という説が有力視されています。

ところで、冒頭に書いた通り、「大仏」と言えば、この「鎌倉の大仏」「奈良の大仏」を、同時に思い起こしてしまいますが、同じ「大仏」と呼ばれるこの二体の仏様は、建立された過程も、そのお姿も、まったく違った仏様なのです。

奈良の大仏は聖武天皇の発願により国家事業で建立された仏様

そのお姿も『毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)・・・『華厳(けごん)の教えに基づく蓮華蔵界の救主で、「ビルシャナ」とは、「すべてを照らす」という意味で、太陽であり宇宙全体の事でもあり、「大日如来」と呼ばれる事もあります。

一方の鎌倉の大仏は、「鎌倉幕府に認可された」というだけで、あくまで一介の僧・浄光の努力により、長い年月を費やしてやっと建立に至った悲願の大仏です。

そのお姿も、西方浄土にいる『阿弥陀如来』・・・これは、お釈迦様の悟られた姿で“永遠”の象徴であると言われています。

「阿」は英語で言うところの「アンun・・・否定の意味です。

「弥陀」「メーター(計る)という事で、つまり「阿弥陀」というのは、「計れない」という意味・・・この場合は「計り知れない」あるいは「無限」と訳したほうがピッタリするでしょうか・・・。

ちなみに、鎌倉の大仏にも、もとは大仏殿があったそうですが、室町時代頃に風雨で倒壊してしまい(津波で流されたの説もあり)、現在は露座されておられます。

なんせ、3月12日のページ(3月13日参照>>)にも書かせていただいたように、国家事業で建立された奈良の大仏でも、度重なる兵火で燃えてしまい、江戸時代の僧の努力で今のお姿があるわけですから、国家がタッチしていない鎌倉の大仏様なら致し方ないところ・・・

いや、もはや奈良の大仏が、造像当時の部分が台座の一部のみになっていまっている事を考えると、むしろ、造像当時のまま、ここまで残ってくださった事を奇跡と思うしかありませんね。

なんとか、今の状態を維持して、後世に残していただきたいものです。

Mandarahotokecc_1 今日のイラストは、
「曼荼羅風」にしてみました~。

あくまで「風」です・・・本物の曼荼羅はちゃんと仏様の階級通りに並んでいただかないといけませんから・・・
 

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コメント

お~! 華やかですね~♪
仏様にピンクとブルー! なかなかおしゃれですが、現代インドのカラフルな大衆宗教画みたいで素敵です。実は、あれ好きなんですよ・・ははは。意外と古代は、ドハデなのが「大衆の心」を捉えたのではないかと思っていますので、このような派手な仏様、おおありですよね。奈良の大仏も、ドハデさで人々の心をつかんだと思うし。

投稿: 乱読おばさん | 2007年3月23日 (金) 09時31分

おぉ・・・さすがですね~。
そうです、昔「不思議発見」でチラ見したインド系の曼荼羅の色使いを思い出して、ド派手な色にしてみました~。

ただ・・・仏像は日本風ねんですよね(#^o^#)
インドの仏様はもう少し細身のような気がしたんですが、そこまでくわしく思いだせなくて・・・。

投稿: 茶々 | 2007年3月23日 (金) 18時11分

私は、今年小学6年生なので修学旅行にいきます。なのでこのようなことがわかってよかったと思います。これを書いた人も修学旅行にいったんですか?よくここまで詳しく書けましたね。すごいです。

投稿: | 2007年4月10日 (火) 17時14分

>小学6年生さん、コメントありがとうございます~。管理人です。

今度、修学旅行なんですね・・・どっちですか?鎌倉ですか?奈良ですか?

私は、大阪に住んでいるので、鎌倉には中学の修学旅行で一度しか行った事がありません。
そのかわり、奈良へはいっぱい行ってます。

修学旅行で楽しい思い出をたくさん作って来てくださいね。

投稿: 茶々 | 2007年4月10日 (火) 19時02分

先日、鶴岡八幡宮にいったときによりました。
昔の修学旅行のことは詳しい事は記憶に残っていませんでした。
台風などで3回?つくりなおされているとか?書いてありました。
今回は大仏様の中も入ってみました。
茶々さん歴史すごく詳しいですね。
またよらせていただきます。

投稿: general | 2007年4月17日 (火) 23時43分

> general 様、コメントありがとうございます。
そうですね、鎌倉の大仏様は中に入れましたね~私も随分前の事でかなり記憶があいまいです。
お話を聞いて、何かちょっと思い出しました~。

投稿: 茶々 | 2007年4月18日 (水) 00時48分

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