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2007年3月12日 (月)

理想のリーダー・上杉鷹山

 

文政五年(1822年)3月12日は、あの上杉鷹山さんおご命日です。

・・・・・・・・・・・・・

先日の新聞アンケートでも、「理想のリーダーは?」の質問に、二位の徳川家康を大きくひき離して堂々の一位を取った上杉鷹山(うえすぎようざん)・・・

彼は、なぜ、こんなにも人気があるんでしょう?

「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も
 成らぬは人の 為さぬなりけり」

誰もが聞いた事があるこの名言・・・実は、この言葉を残したのが上杉鷹山。

彼は、財政難に苦しむ米沢藩を、その知恵と努力でみごと復活させた武士・・・というより政治家と言ったほうが良いでしょう。

彼は日向の国(宮崎県)は高鍋藩主・秋月種美(たねよし)の次男として生まれます。

幼い頃から、かなり成績優秀だったようですが、この時代の常として、やはり跡継ぎは長男・・・彼はあくまで、その次でした。

しかし、そんな彼が9歳の時、母方の縁で婿養子の話が持ちあがります。

相手は、出羽・米沢藩の藩主・上杉重定の娘・幸姫(よしひめ)

重定には男の子がなく、将来、この幸姫との結婚を前提に養子に入るという事でした。

高鍋藩はたかだか3万石・・・それに比べて米沢藩は15万石の願ってもない良縁でした。

そして、養子として迎えられた初日、祝宴が設けられますが、なぜか、そこには幸姫の姿はなく、不思議に思いながらも、祝ってくれる関係者に鷹山は笑顔で答えていました。

たしかに、この時代は今と違って、「結婚相手に結婚式当日に初めて会う」というケースは多々ありましたが、さすがに祝宴が開かれれば、普通、そこに顔ぐらいは出すでしょう。

やがて宴会もおひらきとなり夜も更けて、彼は部屋に案内され、そこで、初めて幸姫と会います。

薄暗い部屋で、うずくまるように座っている幸姫・・・彼女は、重度の障害者だったのです。

今で言う“ダウン症”だったと言われています。

この時代、まだ障害者に対する理解は、今ほど明るい物ではありませんでしたから、幸姫の両親でさえ、彼女の事を隠すように育てていたのが現実でした。

わずか3万石の次男坊の自分に、なぜ、予想以上の良縁が舞い込んできたのか?を悟った鷹山・・・しかし、驚きはしましたが、嫌ではありませんでした。

後に、鷹山は幸姫の事を「彼女は、神様が僕にくれた天使だ」と言っています。

事実、この先、何度も彼女の笑顔に救われる事になります。

やがて、16歳になった鷹山は、将軍・徳川家治の前で元服し、名前の一字をとって治憲(はるのり)と名乗り、翌年、上杉家の家督を継いで米沢藩主となります。
(鷹山という名前は、藩主を辞めて隠居してからの名前ですが、今日は鷹山さんの名前で呼ばせていただいてます。)

しかし、当時の米沢藩の財政はたいへんな物でした。

家臣も領民も貧困にあえいでいる上に、度重なる凶作がさらに追い討ちをかけます。

しかも、以前からいる家臣たちにとっては、鷹山は新参者

何かにつけて、ことごとく冷たく当たられる毎日・・・疲れ果てて家に帰ってフーッとため息をつくと、彼の足元にコロコロとまりが転がってきます。

ふと見ると、目の前には幸姫・・・まりを転がしてやると、うれしそうにそれを拾いあげ、また、鷹山に向けて転がしてきます。

彼女の笑顔には、打算も計算もありません。

あまりの辛さに、まわりが敵ばかりに見えていた鷹山は、味方だと言わんばかりの幸姫の笑顔に救われる思いがしたのです。

その日から、鷹山は家に帰ると幸姫と遊ぶのが日課になりました。

やがて彼は、藩の改革に乗り出します。

まずは、倹約です。

鷹山自らが食費を減らし、衣服は綿に代え、使用人の人数も減らします。
初めてのお国入りの時も、祝宴の費用を極力抑えます。

しかし、一人分の費用を抑える代わりに、より多くの人間を招待し、身分の低い者にも、藩主自らが声をかけて、一丸となって財政回復に取り組もうという意志も示します。

しかし、そんな鷹山の方針は、格式高い上杉家を重んじる、昔ながらの上級家臣の反感をかう事になります。

家老や重臣などは、倹約を叫ぶ鷹山の前で、わざときらびやかな着物を着て登場したりと、あからさまな行動に出てきます。

そんなある日、またまた、疲れはてて家に帰ると、部屋の中に紙くずが散乱しています。

ふと見ると、畳や障子が墨で真っ黒に・・・。

何事があったのかと驚く鷹山の前に、紙くずにうもれるように、墨で顔中が真っ黒になった幸姫が・・・。

世話をしていた女中に聞くと、「千代紙で姉様人形を作って、その人形に墨で顔を書こうとしていたのだ」と言います。

それが、目がゆがんだり、口が書けなかったり、なかなか思うようにいかず、何度もやりなおしているうちにこんな事になってしまったのです。

その話をしていると、近づいてくる幸姫・・・どうやら、やっとお気に入りの人形ができたようで、その人形を必死で鷹山に見せながら「よし・・よし・・・」としきりに話します。

「この人形は私・・・ほら、見て、私の人形を作ったの」と彼女は言っているのです。

その姿を見て、鷹山は、結婚してからの幸姫の成長を感じるのです。

「人は努力すれば、たとえ、どんなにゆっくりでも、確実に成長して行くものなのだ」
鷹山はまた、幸姫に心を救われるのです。

やがて、重臣たちは、鷹山が推進してきた政策や鷹山自身に対する不平不満を書き綴った『訴状』を提出し、反乱を起こします

しかし、もう、ひるみません。

幸姫の笑顔によって、彼は確実に強くなったのです。

3日後には、7人の重臣を、切腹・閉門の処分とし、更なる改革に臨みます。

今度は、『班田の礼』

鷹山は、自ら鍬を持って、自分の家の庭にも畑を造ります。

その行動に触発された若き家臣たちが、「俺も、私も」と、手伝いはじめます。

最初は、「武士が農作業など・・・」と言っていた者も徐々に手伝いはじめ、やがて、労働奉仕にまで出かけるようになります。

当時は、武士が農民を手伝って労働奉仕するなど、考えられない事でした。

葉は蚕の餌となり、幹では家具が作れ、樹皮は和紙の原料となる桑を率先して植えていきます。

漆塗りの原料となる(うるし)の木も100万本植えました。

新田の開発、橋の架け替え、河川の改修など、上杉家あげての労働奉仕・・・そして、鷹山自身も自ら領内を巡回し、領民の不満を聞き、世襲制だった代官を辞めさせ、優秀な人材を投与。

農業生産に成果を挙げた者には、身分の分け隔てなく表彰します。

鷹山は産業開発にも力を入れ、越後から縮緬(ちりめん)業を導入、これは後の米沢織へと成長し、やがて米沢藩は財政再建されます

後に、老中となった松平定信も、鷹山の改革をおおいに推奨しています。

ところで、余談ですが・・・
この上杉鷹山の人気というのは、不景気になる度にグンと上がのだそうです。
・・・て、事は、やはり人気投票で1位だった今は不景気、って事なのね。
Youzankoicc2 今日のイラストは、
やはり鷹山さんのイメージで・・・。
お名前には鷹がついてますが、鷹のイメージではなく雄々しい鯉かな?

その、たゆまぬ努力で百瀬の滝を登って龍になっていただきたい!
 .

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コメント

上杉鷹山は本当に人気ありますよね。私は以前、本屋で働いてましたが、相当売れてました。特に童門冬ニ作品。本を買っていった銀座のサラリーマン、社長や管理職が多いと思われますが、彼の教えの通り実践できていたとすればすばらしいのですが、、、昔、立花宗茂について書かれた本を読んだ時、秋月家のからみで鷹山が出てきました。どの本、資料を見ても絶賛の嵐、作られた美談が混じって無いのか!という感じですが(笑)タイムマシンがあったらなら、是非会いたい人ですね。

投稿: さときち | 2007年3月13日 (火) 11時32分

>さときちさん、

>作られた美談が混じって無いのか!

ほんとそうですよね、人間100%なんてありえないですからね。
どっかに欠点がありそうですが・・・ひょっとしたら、見た目がめちゃめちゃイケてないとか・・・(失礼)。

タイムマシン欲しいですね。

投稿: 茶々 | 2007年3月13日 (火) 16時12分

童門冬ニの「上杉鷹山」買ってしまいました。発売が12年前のこの文庫本。後ろを見たら、何と40刷!! どんだけ売れてるんだ、と(笑) 出版社のドル箱であることは間違いないです。感想は、、、上下巻2日で読みきってしまいました。ハンカチ3枚登場。しかし、あの若さであの政治。本当に存在してた人なのだろうか、、

投稿: さときち | 2007年3月15日 (木) 22時48分

おお・・・2日間で読破されたんですね・・・スゴイ!

歴史と言えばすぐに合戦や武将に目がいきかちですが、そんだけ本が売れいるという事は、やはり鷹山さんは地味だけど人気があるんですね。

投稿: 茶々 | 2007年3月16日 (金) 08時57分

試しに中学校の歴史の教科書を見てみたところ、右上に図があって『米沢藩と熊本藩はコメに頼らず、他の農作物を育て~』との記載あり。ただ、鷹山の名前までは出てきませんでしたが。

投稿: さときち | 2007年3月16日 (金) 12時23分

私も、もう一度注意して見てみたら、私の持ってる本には、米沢藩=上杉鷹山と熊本藩=細川重賢の他に、秋田藩=佐竹義和と松江藩=松平不昧の名前が、同時期に政治改革をおこなった藩主としてあげられていますね~。

細かい事は違うようですが、いずれも、優秀な人材の投与と倹約は共通しているようで、みなさん強い風当たりに耐えながら以前からの風習を撃ち破った方たちのようです。

投稿: 茶々 | 2007年3月16日 (金) 17時05分

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