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2007年3月 2日 (金)

北町奉行・遠山の金さん

 

天保十一年(1840年)3月2日に、あの“遊び人の金さん”こと、遠山左衛門尉景元が北町奉行に任命されました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この町奉行という役職に任命されるのは3千石以下の旗本に限られていて、その中では、町奉行は出世頭です。

まずは、火事場の見回り役から始まり、ここで町のようすや一般庶民の日常をお勉強

次に、お目付け役となり、法律の勉強をします。

この時点で、あんまりパッとしない人はここ止まり・・・これ以上の出世は望めません。

成績優秀だった場合は、遠国奉行として地方に派遣・・・ここで実際に奉行の仕事をしながら、部下への指導法や上司としての心得をお勉強します。

これがうまくいったら、今度は長崎奉行
ここで、外国人と接触してインターナショナルな知識を積上げます。

ここまで、行ったらたいしたもんですが、もしも、ここでも優秀とみなされたら、いよいよ最終段階の一歩手前・・・京都町奉行になります。

京都では、お公家さんと仲良くしてセレブな知識を身につけます。

さぁ、そろそろ江戸町奉行が手に届く所に来ましたが、ここで最後のお勉強・・・大坂町奉行として、一癖も二癖ある大坂人を相手に、その笑いのセンスを・・・いえ、天下の台所での商業の知識と大都市を仕切る奉行のセンスを磨いてもらいます。

こうして、実際に奉行の仕事をしながら様々なお勉強を終え、やっと江戸町奉行という大出世の頂点に立つわけです。

・・・と、これが一般的なお奉行様のエリート出世街道なのですが、天保十一年(1840年)3月2日北町奉行に任命された遠山左衛門尉景元(とおやまさえもんのじょうかげもと)さんは、作事奉行公事方勘定奉行から、地方周りや長崎・京都・大坂を飛び越え、一気に江戸町奉行に任命されるという異例の大出世!

エリートよりさらにエリートな出世ぶりです。

ちなみに、あの大岡越前こと忠相(ただすけ)さん(8月12日参照>>)も、伊勢山田(ようだ)奉行から、直で江戸町奉行に任命されています。

このお二人はやはり、よほど成績が優秀だったんでしょうね。

ところで、この町奉行という仕事・・・時代劇でよく見るお裁きのシーンでお分かりのように、今で言う裁判官のようなお仕事ですが、実際にはそれだけではありません。

裁判官のほかに、警視総監消防庁長官税務署長そして(県)知事・・・と、要するに町の事はぜ~んぶ奉行がやらなければならなかったのです。

そりゃもう、大変な激務で、桜吹雪を見せて犯人の自白を促している時間なんかありません。

実際には吟味方の与力が罪状などを事前に調べあげて、お奉行様は初審と判決を言い渡すだけとなっていました。

もちろん、遊び人に扮して事件に「いっちょ噛む」なんて事は当然無かったでしょうしね。

町奉行が北と南(大坂は西と東)に分かれていて、月交代で執務を行ったのも、その辺の激務に対する気遣いも含まれているのでしょうね。

ただ、それだけでも、ありません。

上にも書いたようにお奉行様は大変大きな権限を持っています。

この大きな権限は時として「ひとりよがりとなって、私的な判断で町を治めてしまう」という事に陥りかねません。

それで、一ヶ月交代でバランスをとってたんですね。

当然ですが、その月が当番じゃないから全面おやすみ~って事にはなりません。

自分が担当した月の未解決事件の整理もしていましたし、突発的な大きな事件にはやはり出勤していました。

・・・で、遠山の金さんが次のお奉行様にバトンタッチしたのが、天保十四年(1843年)の2月・・・って事は、わずか3年間?。。。(時代劇はもっと長かったゾ!)

この年数は、思ってた以上に早い感じがしますが、お奉行様としてはごく普通・・・平均的な年数なのです。

当時は、たいてい2~3年で新しいお奉行様が任命されていました。

これは、先ほどの激務・・・という事も関係あるのですが、何と言っても人間関係による物だったようです。

当時、月に3回の割合で、内寄合日(ないよりあいび)というのが設けられていて、南北両奉行所の連絡会のような物が開かれていたのです。

この、連絡会の中で、南と北のどちらか後から任命された奉行が、先に任命された奉行に「これで良いですか?」と、聞いて許しを得なければいけないという決まりがあったのです。

先任の奉行がイケズなオッサンなら、新任の奉行の決定にことごとく反対したりもするし、逆に「これは、当然だろ?」という事もいちいち相談しなければならないという、とても面倒な事になってたんです。

それで、新しい奉行が任命されると同時に、その奉行は先任の奉行の事を「あぁ、早くあのオッサン奉行やめてくれへんかな~」てな事を考えるようになって、自然と任期が短くなっていたというのですが・・・。

金さんも新任の奉行にそんな風に思われてたんですかね。

たしかに、相当良い人でも、実際上司となると、「んん?」って感じになっちゃいますからね。

人間関係は難しい・・・Σ(;・∀・)。

Sakurafubukicc イラストは遠山桜をイメージしてみました~

実際の金さんの刺青は、「女の生首」だったんですけどね。。。
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コメント

遠山の金さん、確かにこの激務では桜吹雪を見せている場合じゃないですねw 
>一ヶ月交代でバランスをとってた
このあたりは古代ローマの執政官や任期が短いベネチアの政治と似てますね。と思ったらこんなものを発見。
『日本の政治制度』
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/5215/fubu/seijiseido.htm
さすが江戸幕府。このあたりの研究は欠かさない訳です。おおむね平和と言っていい時代が二百数十年続いた日本、当時の世界情勢からみて本当に珍しいことだったのですね。戦争は国から人から豊かさを奪ってしまう、、、あらためてそう思いました。

投稿: さときち | 2007年3月 2日 (金) 11時53分

さときちさん、こんにちは~。

そうですね。
徳川300年・・・と言っても何度もあぶない時があったみたいですね。
将軍様は常に、危険を感じながら生きていたようですしね。

この時代、世界一の大都市だった江戸は、政治力でも世界一だったんでしょうね。

>戦争は国から人から豊かさを奪ってしまう

おっしゃる通り、平安と江戸の平和な時代に、日本特有の文化が大きく成長した事はすばらしい事です。

投稿: 茶々 | 2007年3月 2日 (金) 15時46分

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