« 天下は何処・長久手の戦い | トップページ | 江戸城無血開城~山岡鉄舟・奔走 »

2007年4月10日 (火)

神になった徳川家康

 

元和三年(1617年)4月10日、静岡・久能山に葬られていた徳川家康の遺霊が、日光山に改葬されました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あの徳川家康がこの世を去ったのは、元和二年(1616年)4月17日76歳の時・・・息子・秀忠将軍職を譲り、豊臣の滅亡を見届けてからの事でした。

その遺骸は、「唯一神道」という神式で、静岡の久能山に葬られたのです。

しかし、その同じ年のうちに、日光に新たな建物が建築され始め、翌・元和三年(1617年)4月10日には、遺霊が日光に移され、「山王一実神道」という神式で、もう一度、葬儀が行われるのです。

いったい、このドタバタ劇は何なんでしょう?

実は、ここで家康が死んだ事により、徳川幕府内の権力の力関係が大きく変った事が伺えるのです。

晩年、死を覚悟した家康は、三人のお気に入りの人物を、病床の枕元に呼びます。

ライバル・大久保忠隣を追いやり、事実上、幕閣のトップの座にいた本多正純

そして、金地院崇伝(こんちいんすうでん)と、南光坊天海(なんこうぼうてんかい)という家康の二人のブレーン。

死の間際に、この三人の前で、家康が何を話したのかは、それぞれの言い分が食い違うため定かではありませんが、ここで注意しなければいけないのは、この中で正純と崇伝が大の仲良しという事。

そして、天海は、息子・秀忠とつながり、その秀忠のお気に入りは土井利勝(としかつ)という人物。

つまり、家康にとっては、三人ともがかわいい部下だったかも知れませんが、彼ら同士の中ではすでに、微妙な溝ができていたのです。

家康が死んだすぐ後・・・その時点でのトップだった正純が、仲良し崇伝と仕切っておこなった一連の葬儀・・・。

しかし、それが終った直後から、天海がイチャモンをつけ始めます

天海は、
「葬儀は山王一実神道でやってくれ」
「三年以内に日光に葬ってくれ」

・・・と、これが家康の遺言であると言い出すのです。

本当に遺言なら、正純や崇伝も聞いてても良さそうなものですが、正純たちは「何て事を・・・気でもふれられたか!」と、まったくの全面否定。

しかし、もはや家康は過去の人・・・現在の将軍は秀忠です。

秀忠が「天海の勝ち~!」との判定をくだせば、それがまかり通ってしまうのです。

遺骸を葬るにあたって駿府は家康のゆかりの地ですから、久能山という土地柄はわからなくもありませんが、日光というのは、家康とどういう関係があるのか?、明確な答えはありません。

東照宮がなぜ日光に・・・?
という疑問の答えはここにあったのです。

つまり、日光という土地柄がどーのこーのではなく、幕府内の権力の交代が、日光という場所に東照宮を建てさせたのではないでしょうか。

もう一つ、家康を神様として祭るにあたっての神号です。
これも、権力者同士でモメました。

崇伝は「権現は明神より位が下なので明神のほうが良い」と言い、天海は「豊臣秀吉が豊国明神なので、こちらは権現のほうが良い」と、意見は真っ二つ。

・・・が、しかし、やはりここでも天海の勝利。
家康は、神号・東照大権現となるのです。

家康の死後に起こった権力交代劇・・・それを裏付けるかのように、その6年後、本多正純は所領の宇都宮城を没収され、出羽国へ配流の身となり、逆に天海は三代将軍・家光の代まで権力を握る事になるのです。

ところで、この日光東照宮と時期を同じくして、幕府は、家康を神と崇めるべく、各地に東照宮を建立しているのですが、その中で大阪にも東照宮が建てられたのをご存知でしょうか。

死に際しての逸話では家康が遺言として「わが家の敵は西国にあり、わが遺骸を西に向けるべし、永く鎮護せん」と言ったとか・・・。

それで東照宮が西を向いている・・・という話がまことしやかに語られていますが、その家康が敵とみなした西国の中でも、豊臣ゆかりの大阪は特別でした。

Kawasakitousyouguucc 秀吉の死後、なんとか、その影を消そうと秀吉を神と祀る豊国神社を破却した家康(7月9日参照>>)の遺志を受け継いで、「幕府は特別に力を入れて東照宮を建立した」という話が残っています。

大阪の東照宮は「川崎東照宮」と呼ばれ、現在の造幣局の近くにありました。

明治になって壊され、現在その場所には小学校が建っていますが、実はその「川崎東照宮」こそが、江戸末期に起こった、近い将来の幕府崩壊を予感させるような出来事・・・徳川を震撼させたあの大塩平八郎の乱(1月19日参照>>)の集合場所だったというのは、とても皮肉な話です。
 

Aoiieyasucc 今日のイラストは、
徳川家のお話・・・という事で、『葵の葉っぱ』を散りばめて幻想的な感じに仕上げてみました~。
 .
 

内容が「よかった」と思っていただけましたら
右サイドバーsoonにあります【拍手!!】を・・・
ブログ内の人気ページとしてランキングされます(゚ー゚)
あなたの応援で元気100倍!

    にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

 

 


|

« 天下は何処・長久手の戦い | トップページ | 江戸城無血開城~山岡鉄舟・奔走 »

江戸時代」カテゴリの記事

コメント

あるサイトで日光東照宮の「徳川28神将一覧」を見たのですが、この28人を選んだ人はいつの時期(元号)の誰でしょうか?
本多正信・正純親子がいないというのは、この件と宇都宮事件が影響したんでしょうね。
「織田神将」・「豊臣神将」と言うのもありますか?

投稿: えびすこ | 2009年11月25日 (水) 14時26分

えびすこさん、こんにちは~

>「織田神将」・「豊臣神将」・・・

ないんじゃないでしょうか?

豊国神社も、徳川によって潰されてますから、あったとしても抹消されてる可能性大なのでは?

投稿: 茶々 | 2009年11月25日 (水) 14時48分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/47570/6038303

この記事へのトラックバック一覧です: 神になった徳川家康:

« 天下は何処・長久手の戦い | トップページ | 江戸城無血開城~山岡鉄舟・奔走 »