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2007年4月23日 (月)

今日は、寺田屋事件~薩摩九烈士

 

文久二年(1862年)4月23日、薩摩藩士同士による抗争事件、世に言う『寺田屋事件』がありました。

・・・・・・・・・

大正時代になって京津電車京阪電車が開通するまで、三十石船は京都⇔大阪間の交通の花形でした。

Fusimimatinamicc 大阪側は天満橋にある八軒屋船着場。
そして、京都側は伏見の船着場。

さらに、京都・大阪間を陸路で行く京街道でも結ばれ、伏見という場所はまさに交通の要所で、多くの船宿が建ち並び大変な賑わいをみせていました。

そんな伏見にある一軒の船宿・寺田屋は、薩摩藩邸が近い事もあって当時、薩摩藩の定宿でした。

事件は、文久二年(1862年)の4月23日、夜明け前に起こります。

当時の日本はまさに、幕末の動乱期・・・幕府か尊王かで真っ二つに意見か分かれていた頃・・・。

そんな中で薩摩藩・藩主の父・島津久光は、『公武合体』を強く推していました。

『公武合体』とは、「14代将軍・徳川家茂と孝明天皇の妹・和宮の結婚をきっかけに、天皇家と幕府が協力して政治をやって行こう」という考えです(8月26日参照>>)

島津久光は、その『公武合体』派の中心人物でした。

しかし、薩摩藩の中にも、「もう幕府を見限りこれからは天皇を中心に・・・」という尊王派の若者が数多くいたのです。

4月23日、寺田屋に集まっていたのは、そんな尊王派の薩摩藩士たちでした。

この日、有馬新七(2011年4月23日参照>>)と薩摩藩の仲間、そして諸藩の尊王派の志士たちは、関白・九条尚忠と京都所司代・酒井忠義襲撃する相談をしていたのです。

しかし、その事はすでに薩摩藩にバレていて、彼らを説得すべく薩摩藩から派遣されたのが、奈良原繁以下9名の藩士たちでした。

Teradayasatumacc 真夜中の寺田屋の玄関を入ったすぐの部屋で、奈良原は何とか有馬たちに薩摩藩邸に来るように説得しますが、押し問答から、やがて斬り合いになり、宿の中は大騒ぎに・・・。

そして、有馬ら尊王派のうち7人が死亡し2人が負傷、討手の方もひとりが死亡しました。

2階にも、尊王派の志士たちがいましたが、奈良原が刀を捨てて説得に当たり、残りの彼らは投降しました。

Teradayasatumanaibucc 結局、負傷の2名は翌日に切腹を命じられ、諸藩の志士たちはそれぞれの藩に送られました。

実は、『公武合体』を推し進めるために邪魔だった薩摩藩内の尊王派を始末する計画は以前からあったようで、この日、彼らが集まろうが集まるまいが、暗殺を計画しようがしまいが、「邪魔者は消す」というダンドリになっていたのだという事も囁かれています。

この事件で一気に公武合体派に凝り固まった薩摩藩・・・島津久光は、その政策を推し進めるべく江戸に向かって旅立ちました。

ところが、その江戸への旅の帰り道、久光は予期せぬ事態に遭遇します。

久光のお供をしていた侍が、イギリス人を殺害してしまうというあの『生麦事件』(8月21日参照>>)です。

この事件にタンを発する一連のイギリスとの抗争(9月28日参照>>)、久光もそして薩摩藩も、それまでとはま逆の『開国・討幕派』に変ってしまうのです・・・いや、その後の状況でもおわかりのように、長州と組んでむしろ討幕の先頭に立つようになります。

事件の直後は、藩の方針に反発した反逆者として扱われていた有馬たち9名は、結局、藩の方針が変ったという事で、むしろ先駆けをした英雄・『薩摩九烈士』として、その汚名を返上する事ができました。

Dscn3594ac900 現在、伏見の大黒寺に彼ら「九烈士」のお墓が整然と並んでいます。

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この墓碑の文字は西郷隆盛自らの筆による物で、明治になってこのお墓が建てられた時、西郷は涙を流しながら彼らの冥福を祈ったと言います。

幕末の動乱の頃には、「何で?ここで死ななきゃいけないの?」と納得のいかない出来事が数多くありますが、この寺田屋事件もその一つではないかと思います。

汚名を返上し「英雄」と讃えられた事がせめてもの救いですね。

*2008年2月5日付けで、京都市は『現在の寺田屋は明治以降に再建されたもの』との鑑定結果を発表しました・・・上記の寺田屋の部屋に関する部分等は、あくまで寺田屋側の説明としてご理解ください
 

Kinnounosisicc 今日のイラストは、
『勤皇の志士』ってこんな感じかなぁ~っと思って書きました。

寺田屋・大黒寺のくわしい場所や地図はHPにupしていますので、興味がおありでしたらコチラからどうぞ>>
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コメント

可愛くて若々しい志士ですね♪
私Fはルーツが土佐で、もう一人のHおばさんは、長州です。
だけど、新撰組がすきって・・・。

投稿: 乱読おばさん | 2007年4月23日 (月) 11時06分

おお・・おばさま方は、土佐と長州でございましたか~
どちらも、幕末には目が離せない場所ですね。
私のご先祖様は、先日『その時歴史は動いた』で取り上げられていた村上水軍です。

投稿: 茶々 | 2007年4月23日 (月) 11時55分

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