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2007年5月16日 (水)

信長 最大のピンチ!対・長島一向一揆戦

 

元亀二年(1571年)5月16日、織田信長が、自身に対抗した長島・一向一揆に対して攻撃を仕掛けました。

・・・・・・・・・・・

室町幕府15代将軍・足利義昭を奉じて上洛を果たした織田信長(9月26日参照>>)は、元亀元年(1570年)正月に義昭に対して5か条の掟書を提出(1月23日参照>>)し、その関係に亀裂が生じ始めます。

自分をないがしろにする信長に反抗を強める義昭も含めて、徐々に周囲には、「反・信長包囲網」が敷かれていきます。

6月に姉川の合戦(6月28日参照>>)に敗れながら、その後も抵抗を続ける越前の朝倉義景と近江の浅井長政

そして、彼らを援助し続ける比叡山・延暦寺。

さらに、7月になると、信長の上洛で一旦なりをひそめていた三好三人衆が、再び動き始めます。

それを、影で支えるのが、浄土真宗の総本山・石山本願寺です。

8月になって、信長は石山本願寺と三好三人衆のつながりを断つべく、本願寺十一世・顕如(けんにょ)に、本願寺(現在の大阪城公園内にあった)の明け渡しを要求し、本願寺を包囲します。

しかし、当然、あっさりと明け渡すわけにはいかない本願寺・・・ここに、10年に及ぶ石山合戦が勃発したのです。

9月に入って、顕如は、諸国の本願寺門徒に対して、ともに抵抗するように決起を要請しました(9月12日参照>>)

その檄は、伊勢長島の願証寺の一向宗門徒にも届きます。

伊勢長島は、木曽川長良川揖斐川という3本の川が合流して伊勢湾に流入するデルタ地帯。

川の中州を堤防が輪のように囲んでいる事から、輪中(わじゅう)地帯と呼ばれていました。

もともと、その地域の人々は水防の点からもお互いの協力体制が強固で、地域の結集が固かった所に加えて、願証寺という共同のシンボルを得て、そこには、本願寺門徒による一大集団組織が出来上がっていたのです。

当時すでに、尾張にいて濃尾平野を支配下に押さえていた信長も、この願証寺を中心に結集する一向一揆には手を焼いていて、石山本願寺からの決起要請が来る来ないに関わらず抵抗勢力として位置づけていました。

そんな感じで、信長に反発し続けていた長島の一向宗門徒たちが、伊藤重晴を攻撃して長島城を奪い、やがて11月に入って、信長の弟・信興を、尾張・小木江(おぎえ)城に攻め、信興を自殺に追いやり、伊勢の滝川一益を敗走させる・・・という出来事が勃発します。

信長の最重要ターゲットが、石山本願寺から長島に代わった瞬間でした。

信長は、朝廷などを介して一旦石山本願寺や浅井・朝倉の両氏と講和を結び、明らかに戦略の変更をするのです。

そして、翌年元亀二年(1571年)5月16日5万という大軍を以って、この長島の一向宗・門徒を攻撃します。

しかし、長島・一向一揆は、総指揮をとっていた柴田勝家を負傷させ、彼らをわずか数日で撤退させてしまいます。

この時、殿軍(しんかり)をつとめた勇将・氏家卜全(直元)一揆衆に追われ、あえなく討死してしまいます。

やがて、天正元年(1573年)に、浅井・朝倉両氏を倒した信長は、その年の9月に6万の大軍を率いて、伊勢の各城を落とした後、再び長島一向一揆を攻撃します。

しかし、この2度目の挙兵は、逆に奇襲を受け林通政が討ち取られてしまったうえ、信長自身も「あわや」という場面に遭遇するという、信長最大のピンチを経験する戦いとなってしまいます(10月25日参照>>)

しかし、負けず嫌いが想像に難くない信長さんですから、このまま終るわけがありません。

まして、天下を狙うなら、なおの事、抵抗勢力は排除しなくてはなりません。

もちろん、今度は「三度目の正直」とばかりに全面的に作戦変更。

長期戦を意識をして、翌年の天正二年、信長は3度目の長島攻めを開始する事になりますが、そのお話は、対・長島一向一揆戦が終結する9月29日のページでどうぞ>>
 

Nobunagahouimouisiyama 長島一向一揆に、手痛い敗北をした頃が、信長さんにとっては最も敵の多い時期じゃないでしょうか?

この後、武田信玄上杉謙信の死という、信長さんにとってはラッキーな事も含めて、一つずつ敵を潰していく、怒涛の挽回戦が始まります。
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