義仲・圧勝!倶利伽羅峠の合戦
寿永二年(1183年)5月11日、数ある源平合戦の中で、源氏が平家を逆転するキーポイントとも言える『倶利伽羅峠の合戦』がありました。
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先日の『般若野の合戦』(ブログ:5月9日参照)で、砺波山に登った平家軍・本隊が、ふもとに源氏の白旗がなびいているのを確認したところまで書かせていただきました。
「さて、どうする・・・」と平家軍の総大将・平維盛。
しかし、一方の木曽(源)義仲の作戦は、この時すでに決行されていたのです。
寿永二年5月11日の夜・・・まだ、あたりが漆黒の闇に閉ざされる前に、義仲は少しの兵を平家軍の正面へとぶつけます。
何度か繰り返される小競り合い・・・。
やがて、夜も更けると、その少数の兵は義仲軍・本隊へ撤退します。
これは、平家軍に「今夜の攻撃はあきらめたな・・・」と思わせるための作戦です。
その間に、夜の闇に紛れて、平家軍を取り囲むように砺波山周辺に布陣する義仲軍。
樋口次郎兼光の3千騎、今井四郎兼平の2千騎、小室太郎の3千騎、巴御前の1千騎。
彼らは、倶利伽羅峠を挟んで北と南・・・じっくりとその時を待ちます。
義仲の思惑通り、「次の攻撃は明日であろう」と判断した平家軍は、警戒しつつも軍装を解いて、山上で一晩を明かす事にします。
行軍の疲れもあって、夜も更けると寝入ってしまう者も数多くいました。
そんな、あたりが寝静まった頃・・・夜の闇を引き裂くように山中に響き渡る鬨(とき)の声・・・続いてほら貝を吹き、太鼓を鳴らし、一斉に鏑矢(かぶらや)を射かけたのは、北と南に分かれた義仲・搦手(からめて)軍。
四方を岩に囲まれた山上で、まさか正面の降り口以外から攻めて来る事はないだろうと予想していた平家軍は、暗闇の木々の間から見える無数の白旗にびっくり仰天です。
たしかに、闇の中だと、赤旗より白旗のほうがグッと目立ちますわな。
搦手からの鬨の声を待っていた義仲率いる本隊・3万騎も、一斉に鬨の声を挙げ、追い討ちをかけます。
山中に轟きわたる鬨の声に不意をつかれた平家軍は、もはや右往左往して逃げ惑うばかりです。
「見苦しいぞ!騒ぐな戻れ!」と大将が叫んでも、規律を失った兵士を止める事はできません。
『源平盛衰記』には、この時、500頭の牛の角に松明をくくりつけ平家軍を追いやった有名な『火牛の計』という作戦が書かれていますが、これは中国の『史記』に登場するお話なので、おそらくフィクションでしょうが、敵の心理をい突いた奇襲作戦を決行した事は事実でしょう。
東から攻め寄せる義仲の本隊。
西からやってくる義仲の搦手軍。
北には、切り立った岩壁・・・。
唯一、逃げ道がありそうな南に向かって平家の兵士たちは殺到します。
もちろん、それは義仲の作戦。
南側には倶利伽羅谷という深い切立った谷が口を開けていました。
しかし、暗闇のため、そこに谷がある事には兵士たちは気付きません。
「この先に道があるのだろう」と、皆が争うように進み、次々と谷底に転落して行ったのです。
『火牛の計』はフィクションだと書いておきながら引用するのも何なんですが・・・
『源平盛衰記』は、その時の状況を
「父落とせば子も落とす、主落とせば郎党も落とす。馬には人、人には馬、上が上に重なって・・・前に落とす者は今落とす者に踏殺され、今落とす者は後落とす者に押殺される」
と書いています。
『源平盛衰記』が書かれたのは、この『倶利伽羅峠の合戦』から64年後の宝治元年(1247年)ですが、その頃にはまだ当時の惨劇が確認できる状態で、「地獄谷」などと呼ばれている事が記されています。
結局、義仲はこの奇襲作戦で、まともに刃を交える事なく、平家の大軍を打ちのめしたのです。
一方、志雄山にいた平家軍の搦手軍は、この倶利伽羅峠の惨劇の様子を聞いて、軍を進める事を諦め、12日には撤退を開始します。
大将の維盛も、命からがら逃げ出し加賀まで撤退。
志雄山の軍と合流しますが、本隊が壊滅状態となった今、砺波山に行かなかったこの3万の軍勢が平家軍の本隊となるわけです。
勝利に勢いづく義仲軍・・・。
このまま手を休めるわけには行きません。
次は、篠原・安宅で両軍はぶつかる事になりますが・・・
その『篠原の合戦』は、【ブログ6月1日:無残やな甲の下の篠原の合戦】で書いております~
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おとといの義仲さまは、ちょっと遠目だったので、今日はアップで・・・
するどい目つきで、気合入った感じにしてみました。
フィクションかも知れないけれど、倶利伽羅峠に『火牛の計』は、やはり欠かせません。
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