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2007年5月15日 (火)

三行半:みくだりはん~江戸の離婚事情

 

明治六年(1873年)5月15日、法律で妻からの離婚請求権が認められるようになりました。

・・・・・・・・・・・・

・・・って事は、「それまで認められていなかった」って事になるんですね~。

現在では、民放上のもろもろの規定にのっとって離婚手続きが行われ、自分勝手で一方的な離婚は夫にも妻にも認められてはいないわけで、どんな場合でも夫婦の合意に基づいていなければなりません。

そもそも、日本では大宝元年(701年)の「大宝律令」以来、2000年の長きにわたって、男性は妻を一方的に離婚する事ができました。

しかし、「一方的に・・・」と言っても、さすがに理由は必要なようで、大宝律令では、
  ・子供がいない
  ・淫乱
  ・しゅうとを大事にしない
  ・おしゃべりである
  ・手癖が悪い
  ・嫉妬深い
  ・悪い病気を持っている

の、七つの条件をあげていますが、以前【結婚の歴史】(1月27日参照>>)でも書かせていただいたように、奈良時代や平安時代頃までは「通い婚」でしたから、男性が通って来なくなって自然消滅・・・的な場合も多々ありました。

女性は、結婚に至るまでの拒否権はあるものの、その先は、やはり男性が主導権を握っていたようです。

やがて、江戸時代になってようやく、現在のような「一つ屋根の下で、一生涯・・・」という、はっきりした結婚形態が確立されるわけですが、正式に結婚する・・・という事は離婚する時も正式な物が必要になるわけで、そこで登場するのが「離縁状」・・・俗に言う「三行半(みくだりはん・三下り半)というヤツです。

Mikudarihan

この離縁状は、お茶で墨をすって3行半の正式な文章を書く事で「離縁状=三行半」と呼ばれるようになるわけですが、文字の書けない人は、3行半の縦線を書き、爪印を押すだけでもOKとされました。

でも、やっぱりこれも男性側の一方的な物。

・・・となると、夫が女房に三行半を突きつけて、即、離婚成立・・・で、妻は泣く泣く実家に帰り・・・という時代劇にありがちな光景を想像してしまいますが、実際にはそんな甘い物ではありません。

この三行半を書くときの決まりとして、まず妻の妊娠中は「ダメ」という事が一つ。

そして、当時、結婚する時は100両ほどの持参金を妻が持っていくのが常識だったのですが、離縁する時は、その妻の持参金をそっくりそのまま返す、という事が義務付けられていましたので、ちょっとでも使っちゃった場合は、その金額をなんとか工面するまで離婚はできませんし、もし、守らなければ重い罰に処せられる事になります。

しかも、この時代、三行半を書いていないかぎり、次の結婚はできませんでしたし、三行半は、この世にたった一枚しかない正式な離婚届で、夫から妻のもとに渡って保管するのは妻です。

男性が新恋人と結婚しようとした時、前妻が「ワタシ三行半もらってませ~ん」と、貰った三行半を隠してしまえば、男は再婚できないばかりか、もう一回持参金返却をさせられるか、実刑を受ける事になるのです。
(この時代コピー機ないからなぁ)

一見、男に有利に思える三行半ですが、使い方によっちゃ、けっこう女性の味方でもあったんですね。

しかし、この持参金返却制度・・・三行半を書かずに奥さんのほうから勝手に家を出てった場合、お金は返却しなくて良い事になっていましたから、中には、持参金欲しさに結婚し、金を使い果たして離婚したいけれど持参金を返せない、あるいは返したくないため、奥さんにイケズしたり暴力を振るったりして、わざと奥さんのほうから家を出るように仕向けるヤカラもいたそうです。

そして、この時代は奥さんの方から三行半を書けない代わりに縁切り寺(駆け込み寺)(5月8日参照>>)というのがありましたが、これも、時代劇などのイメージでは、夫の横暴に耐えかねて命からがら傷だらけで駆け込み・・・というのを想像してしまいますが、実際には、他に男ができたので、今の夫と別れたい・・・という妻もかなりの数いたそうです。

・・・というのも、江戸時代は平均して女性の数が男性の3分の1ほどしかいなかったので、男社会でありながらも、けっこう女性はモテモテで、かなりのわがままがまかり通っていたようなのです。

幕末には、この人口比率が逆転し、完全に男性中心の男女関係になってしまいますが、それまでの江戸時代は、意外にも、今の私たちが想像する以上に女性が強かったのではないかと思いますね。
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コメント

おひさです。ギックリ腰でうめいておりました~♪
 ヤッパリ、トシとったらそこそこ無理はあきまへんなあ~・・という、反省しきり。
 ところで、昔、古文書整理の仕事をしている時にホンモノの「みくだりはん」見たことがあります。
 確か、
「ナントカこと、勝手気ままにつき、
離縁致し候。・・・事後、如何様とも 勝手あるべく・・・
 よってくだんのごとし。」
あまり詳しく覚えていませんが、こういうのだったように思う。ほんまに三行半やった。

投稿: 乱読おばさん | 2007年5月18日 (金) 15時50分

ぎっくり腰だったんですか・・・それは、大変でしたね。
もう大丈夫なのですか?
お大事にして下さい・・・
ひとりの体じゃないんだから・・(←誰やねん!)

ところで、「三行半」・・・。
私も、記事のイラストとして書いてるのを見た時「ほんとに“みくだりはん”なんや~」って思いました。

でも、文章は色々あったんですね。
全国共通なのかと思ってました。
違う文章なのに、みんなちゃんと三行半になるんですね。

中にはいっぱい文句言いたくて“十行半”くらいになる人はいなかったんでしょうか?
もっと、たくさん見てみたいですね。

投稿: 茶々 | 2007年5月18日 (金) 21時17分

rain
sblogです、只今今日は何の日?徒然日記さんの記事を拝見致しました、有難う御座いました。
頑張って下さい。

投稿: sblog | 2008年8月29日 (金) 09時17分

sblogさん、はじめまして・・・

ご訪問、そしてコメントありがとうございました。

また、時々覗きにきてくださいませ。

投稿: 茶々 | 2008年8月29日 (金) 09時40分

聞いた話ですけど、読み書きの出来ない人の中には、鎌の絵と茶碗の絵を紙に書いて女性に渡した人もいたそうです。つまり、「お前が他の男と再婚しても鎌碗(構わない)」という、ダジャレ(!?)みたいな感じの…。

投稿: クオ・ヴァディス | 2015年5月 9日 (土) 21時05分

クオ・ヴァディスさん、こんばんは~

>鎌の絵と茶碗の絵

ですか…
絵心無いと難しいですね。
茶碗が茶碗に見えなかったらエライこってす。

投稿: 茶々 | 2015年5月10日 (日) 02時23分

三下り半の受領書として旦那の方に返り一礼というものを書いて渡すので、旦那の再婚時はそっちを使うのではと思われます。そういう対策するってことは、隠しちゃう前例もあったのかもしれませんね。

投稿: | 2018年7月22日 (日) 17時34分

こんばんは~

返り一礼のお話は時代考証のお話的な書籍で読んだ事があるのですが、その出典や出どころ、また、実際の証文が残っているのか?など、ご存じでは無いですか?

三行半の実物は何度か拝見した事あるのですが、その返り一礼というのを見た事が無いので、とても興味があります。

投稿: 茶々 | 2018年7月23日 (月) 02時44分

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