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2007年6月15日 (金)

小牧・長久手の最終戦!蟹江城攻防戦

 

天正十二年(1584年)6月15日、蟹江城羽柴秀吉の水軍が入城し、小牧・長久手の戦いの最終戦が開始されました。

・・・・・・・・・

本能寺の変(6月2日参照)織田信長が自刃した後、山崎の合戦(6月13日参照)明智光秀を破り、主君の仇を討った事で織田家で大きな発言権を得た羽柴(豊臣)秀吉

その後、織田家・重臣の中で最大のライバルだった柴田勝家賤ヶ岳の合戦(4月21日参照>>)で倒します。

それまでは、信長の後を継ぐのは織田家・・・秀吉はあくまでそのサポートをする織田家・家臣の立場であったものが、徐々に自らが天下取りへの方向へ向いていきます。

その事を不安に感じた信長の次男・織田信雄と、同じく秀吉だけが力をつける事をよしとしない徳川家康が手を組んで、秀吉とあいまみえた一連の戦い『小牧・長久手の戦い』と呼びます。

3月の小牧の戦いで口火を切ったこの合戦
 (3月13日犬山城攻略戦>>)
 (3月17日羽黒の戦い>>)
 (3月28日・小牧の陣>>)

4月には長久手の戦い(4月9日参照)で、秀吉は、池田恒興森長可(蘭丸の兄)の討死という痛手を被ってしまいました。

その後は、主力同士の大きな合戦は少し控えられましたが、もちろん決着がついたわけではありません。

そんな中で、秀吉は信雄の本拠地である尾張と伊勢を分断しようと考えます。

尾張と伊勢の国境あたりにある蟹江城(愛知県蟹江町)・・・秀吉は、この城の副将である前田与十郎寝返らせる事に成功します。

主の佐久間正勝の留守中に佐久間氏を追放した与十郎は、天正十二年(1584年)6月15日蟹江城内へ秀吉方の滝川一益らを招き入れるのです。

蟹江城が秀吉の手に落ちた事を知った信雄と家康は、即行、蟹江城の周辺の砦に移動し、城のすぐ西側にある蟹江川に軍船を出して攻め立てます。

一方、水軍同士の戦闘が沖合いでも開始されます。

秀吉方の水軍を指揮する九鬼嘉隆(くきよしたか)は、家康方の提督・間宮信高こそ討ち取りますが、戦況自体は苦戦を強いられ、沖に陣取っていた秀吉方の軍船は、蟹江沖より撤退させられてしまいます。

そして、もう一方・家康の別隊が展開していた陸上の攻撃により、18日には、秀吉方の下市場城(愛知県蟹江町)落城していまいます。

当然の事ながら、軍船の撤退と下市場城の落城は、蟹江城内で奮戦する兵士にも動揺を与えます。

そこを、すかさずたたみかける織田・徳川連合軍・・・22日に蟹江城・総攻撃を決行します。

あっという間に、陥落する三の丸。

一益らは、何とか踏ん張って、この時には本丸と二の丸を守り抜きました。

しかし、運悪く季節は夏の真っ盛り(旧暦なので・・・)、ジリジリ照りつける太陽のもと、やがて城を取り囲む水路が完全に干上がってしまいます。

川に隣接した水路があってこその蟹江城・・・救援物資を補給する道も絶たれてしまうわけです。

もはや籠城する事も不可能であると判断した一益は、7月3日蟹江城を開城しました。

この『蟹江合戦』の失敗により、その後の一益は仏門に入り、信雄・家康の手に落ちた蟹江城も廃城となります。

一方、北陸の方でも、この小牧長久手に合わせて、秀吉派の前田利家と、家康派の佐々成政(さっさなりまさ)が衝突(8月28日参照>>)したりなんぞしてます。

結果的には、信雄&家康連合軍の勝利に思える、この一連の合戦・・・

しかし、5ヶ月後の11月・・・
なぜか、突然、信雄が単独で秀吉との講和を成立させてしまいます。

そもそもは、信雄に頼まれて合戦に挑んだ家康は、戦う大義名分をなくし、兵を退く事になります(11月16日参照>>)
 

Kanietakigawacc 今日のイラストは、
蟹江城で踏ん張り中の『滝川一益』さんで・・・。

やはり負け戦なので、少し思案する感じの表情にしてみました~。

この時代って、やっぱり負けると責任を感じて仏門に入ったりするんですね~。
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コメント

この戦いの29年前の「蟹江城攻め」では、松平軍の7人の武将が手柄を立てて「蟹江七本槍」と言われています。恐らく愛知県では有名だと思います。大久保彦左衛門の父と兄らがこの7人に名前を連ねています。
この7人を調べると長寿の人が多いです。
「後年の七本槍」の方が全国区になっていますが、徳川家臣にも「七本槍」がいます。

投稿: えびすこ | 2009年11月19日 (木) 10時27分

えびすこさん、こんばんは~

賤ヶ岳がすっかり有名になってしまって、姉川の七本槍とともに、こちらの蟹江城の七本槍も、かなりマイナーになってしまいましたね。
いつか、そのお話も書いてみたいとは思いますが・・・

投稿: 茶々 | 2009年11月19日 (木) 18時56分

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