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2007年7月 7日 (土)

星月夜の織姫~七夕に寄せて~大阪・池田の民話

 

7月7日・・・やっぱり今日は『七夕』のお話ですかね~。

昨年の今日は、古代には七夕祭りと格闘技大会がセットになっていて、この夜に日本最古の格闘技が行われた事を書かせていただきました~(2006年7月7日参照>>)

今日は、昔はどんな風な七夕祭りだったのか?・・・そのルーツと、織姫にまつわる大阪の昔話をご紹介します。

・‥…━━━☆

もちろん、七夕の由来と言えば例の織女牽牛のお話・・・
「天帝の娘・織女が天の川のほとりで、毎日まじめに機織をする姿を見て、川の西に住むこれまたまじめな牽牛と結婚させた所、恋にうつつをぬかし、まったく機織をしなくなってしまったため、怒った天帝が織女を川の東に連れ戻し、年に一度の七夕の夜にだけ会う事を許した」
というのが一般的に知られるお話です。

この伝説が、古墳時代にやってきた大陸からの渡来人たちによって日本に伝えられ、『ナヌ(ノ)カノヨ』というお祭りになって宴を催すようになり、セットで格闘技も行われるようになったのが七夕の始まりです。

「七夕」と書いて「タナバタ」という名称になったのは平安時代の頃からで、あの笹飾りは江戸時代になって登場します。

門戸に立てた葉竹に、歌などを書いた短冊や、帳面や筆、算盤(そろばん)や硯などを飾り・・・って笹折れるがな!と、思ったら、算盤や硯は張り子の造り物を飾っていたそうです。

寺子屋などでも、弟子たちが、五色の色紙に詩歌などを書いて供えた・・・というように、本来「字がうまくなりますように・・・」というのが、七夕に願う願い事だったのです。

このように、七夕の行事として詩歌を献上する・・・という所から、7月の和風月名を『文月(ふみづき・ふづき)』と呼ぶようになったのだとか・・・。

・・・で、今日は、七夕の夜にふさわしいだろうと思い、大阪の池田市に伝わる民話・「星月夜の織姫」をご紹介させていただきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今から500年ほど昔、摂津の国豊島郡(くにとしまごおり・現在の池田市・豊中市・箕面市あたり)の大広寺というお寺に牡丹花肖栢(ぼたんかしょうはく)という歌人がいました。

ある日、肖栢は友人宅での歌会の帰り道、いつもは通り過ぎる猪名野(池田市)五社神社でしたが、この日はふと境内にある古墳を覗いてみたくなり、立ち寄ってみる事にしました。

このあたりは「秦郷(はたごう)と呼ばれる梅の名所で、かつて(5世紀頃)は渡来人・秦氏の治める土地で、神社の境内には、日本のソレとは違う変わった形の古墳があって、「誰の古墳かは知らないが一度調べてみたいもんだ」と普段から思っていたのです。

神社の林を抜けて、古墳の入り口にやって来て、腰をかがめて古墳にもぐりこみます。

古墳の中は、真っ暗で何も見えず、ピタピタと水のしたたる音のみがして、何やら死の世界へ閉じ込められたような、ちょっと身震いするような・・・

やがて、水のしたたる音が、ハタハタ・チキチキパタンというリズミカルな音に変わっていったかと思うと、肖栢の顔の上を薄絹がフヮッとなで、何やらかぐわしい香りが漂い、気づくと目の前に、あざやかな薄物をまとった美女が二人立っているのです。

「何者じゃ?」
「私たちは、応仁天皇さまの昔、百済(朝鮮)の国から参りました呉織(くれはとり)綾織(あやはとり)と申す者でございます」

肖栢は、その名前に聞き覚えがありました。
今いるこのあたりの秦郷を治めていた秦氏の始祖とされる織姫の名前です。

肖栢は、日本人は渡来人たちに、機織をはじめ染色、鏡や石や太刀の細工、船の造り方などたくさんの技術を教わったにもかかわらず、最近は、渡来人を帰化人としてさげすむ者が数多くいる事に、常日頃から少し腹立たしい思いがしていたのです。

彼女たちは、そんな気持ちを持っている肖栢にある願い事があって現れたのでした。

「どうか、私たちの話を聞いてくださいませ・・・」

昔・・・彼女たちが、織姫として仕事をしていた頃。
ある夏の日、天子(天皇)さまに捧げる布を朝までに織り上げるよう命令が下ったのです。

彼女たちは一生懸命織り続けましたが、夜になってもまだ、仕上がりません。

あたりは真っ暗になって、とうとう糸を織る手元も見えなくなって折り続ける事ができなくなりましたが、明日の朝までに仕上げなければ、咎めを受ける事になるかも知れません。

「どうしようか?・・・」
と、悩んでいる時に、近くの五月山の上をつっつ・・・っと星が流れるのが見えました。

流れ星が消える前に願い事を唱えればきっと叶うという言い伝えを思い出し、思わず彼女たちは「お願いです、布を織り上げさせてください」と、手を合わせました。

すると、真っ暗だった空に、みるみるうちに星が満ちて、満天の星空となって、彼女たちの手元を星が明るく照らします。

星の助けによって彼女らは布を織り上げる事ができたのです。

そんな彼女たちが、星の夜に布を織った織殿(おりどの・機織をする部屋)が、今は、枯葉に覆われ荒れ放題・・・彼女たちの願いは、肖栢に辻ヶ池のほとりにあったその織殿の跡を訪ねてもらい、和歌など、絵などに残して欲しい・・・という物でした。

「どうぞ、お願いしたします」
・・・と、言うと、彼女たちの姿は闇の中に吸い込まれていきました。

「待ってくれ!この古墳は誰の墓なんじゃ?教えてくれ~!」
と、肖栢はあわてて訪ねましたが、その自分の大きな声でハッと我に返りました。

古墳の外に這い出すと、どうやら肖栢は、長い時間眠り込んでいたようで、あたりはもうすっかり明るくなっていました。

何かに導かれるようにフラフラと歩き出した彼は、梅林を越え、川のほとりを下り、呉織に聞いた辻ヶ池のほとりにやってきました。

すると、岸辺を覆うように生えた葦(アシ)の茂みの中に、何やら光る物が見えます。

身体さえ隠してしまうような葦をかきわけ、そこに近づいてみると、大きな石が横たわっています。

表面のドロをぬぐい落とすと、かすかに「星御門」という文字が見てとれます。

「そうか・・・ここが一夜で白妙(しろたえ)の布を織り上げた織殿か・・・」

肖栢は、葦に風がそよぐのを感じながら・・・「ここを星御門と呼んで、渡来の織姫たちの事を、後の世の人に伝えよう」と心に決めたのです。

その場所は、今も池田にあるという事です。
 

Hosidukiyonoorihimecc 今日のイラストは、
「星月夜の織姫」にちなんで、『満天の星空に故郷の大陸を思う織姫』を書かせていただきました~。

衣装は高松塚古墳の飛鳥美人で・・・。
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コメント

こんにちわ~♪
能勢の妙見さまは「星の神様」ですし、池田は呉織、漢織の姉妹?の伝説のある場所ですし、なかなかに面白いですね。五月山はいま、ウォンバットの名所?ですが、あれもかわいいものですよ。確かにデカいネズミだけど。近くなので、よく行くんですよ~♪

投稿: 乱読おばさん | 2007年7月 8日 (日) 11時50分

おばさまたちの呉織のイラストで、大昔に聞いた昔話を思い出しまして・・・

本棚の奥から「大阪の民話」という本をひっぱり出して、ウラ覚えだった話を再確認して、もう一度頭ん中で整理して、七夕の日に書かせていただきました~。

私は、そのあたりは能勢の妙見さんしか行った事がないのですが、呉織さんたちが、糸を染めた「染殿井」や、糸を乾かした「絹かけ松」なんかもこの昔話には登場するので、今もあるのなら、見てみたいですね~。

投稿: 茶々 | 2007年7月 8日 (日) 16時42分

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