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2007年9月16日 (日)

関ヶ原の合戦・反省会~朝まで生合戦

 

『関ヶ原の合戦・反省会~』パチパチパチ・・・

今日はたくさんの布陣図・合戦図を用意しました~例のごとく、あくまで趣味で作成した図なので、100%正確ではないかも知れませんがご勘弁を・・・
そして、ブログのデザインの関係上、あまり大きな図を本文に掲載できませんので、見づらいと思われましたら、お手数ですが画像をクリックして大きな図を開いてくださいませ。

・・(このページはフィクションです)・・

徳川家康:「本日は、少し趣向を変えて、昨日・慶長五年(1600年)9月15日に起こりました関ヶ原の合戦・大反省会を開催させていただきます~ワタクシ司会の徳川家康です」

おあむ:「アシスタントのおあむです」
(おあむちゃんについては2008年9月17日のページでどうぞ>>)

井伊直政:「よっ!おあむちゃん。やっぱいいねぇ~。女の子がいるっちゅーのは、こう・・・場が華やかになって、オッサンばかりだとどうもねぇ・・・」

福島正則:「カワイイなぁ、おあむちゃん・・・石田さんトコの家臣の娘だったよね~たしか・・・」

石田三成:「山田去暦(きょれき)っちゅーヤツの娘や・・・って、そんな事はどうでもええねん!それより、合戦の話や!ホラ、見てみなはれ、前夜祭(9月14日参照>>)でも披露したこの『関ヶ原の合戦布陣図・開戦前』

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この完璧な鶴翼の陣(【陣形・陣立てのお話】参照>>)・・・どう見たってワシの勝ちでんがな。
明治時代に、この布陣図見たドイツ人少尉が『この布陣で西軍が負けたなんてシンジラレナ~イ』て言うたんやで。なんでや~なんで、こないなったんや~」

本多忠勝:「確かに完璧ですよ・・・ただし、そのままだったらね・・・家康さんは、西軍の人たちに、こっちに寝返るよう画策してましたからね。」

黒田長政:「そうそう、それで、僕らが走り回って確実に味方になってくれるよう約束を取り付けたりしたんだ」

徳川家康:「・・・で、まぁ『裏布陣図』とでも呼ばせてもらいましょうか・・・この布陣図・・・ジャジャ~ン!昼過ぎに正式に寝返る小早川秀秋とその周辺を含ませてもらったら、実際の布陣図は、こうなるわけですな~。」

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石田三成:「アカン!鶴の片翼が東軍色になってしもとるがな!」

長束正家:「オイ!ワシらの近所にもおるやないかい!西軍の仮面をかぶった東軍が・・・こら、長宗我部!端っこのほうで見過ごしかけとったけど、何さらしとんねん!」

長宗我部盛親:「ワシァ、家康さんからお誘いの手紙もろたきぃ、OKの返事出しちょったんじゃが、その使者が土佐弁丸出しで西軍に見つかってしもぉて、しゃぁなしに西軍についちょったんじゃ。じゃきぃ、最初っから戦う気はゼロぜよ」

安国寺恵瓊:「ショックだ・・・吉川さんが東軍色に染まってるなんて・・・吉川さんが動かないから、同族の毛利さんも動かない・・・西軍総大将の輝元さんの代理で参加してる秀元さんが動かないんじゃ、僕らだって動けないよ~あぁ、なんで・・・僕にナイショで東軍に走るなんて・・・(ToT)」

長束正家:「わかる・・・わかるで~その気持ち。お前、広島で、ず~っと毛利君らと一緒やったもんなぁ」

徳川家康:「・・・で、開戦したばかりの頃の合戦図が・・・ジャジャン!
コチラ!恵瓊さんが、まだ南宮山あたりにいるのは、皆、西軍だと信じてる頃ですねぇ」

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大谷吉継:「そんなもん・・・ショックはこっちじゃ!笹尾山に狼煙(のろし)があがっても動けへんさかい、小早川が裏切る気なんは予想がついたけど、小早川につられて、ウチの部隊に所属してた脇坂や朽木・小川・・・しまいに赤座まで裏切りやがって・・・しかも、全員、俺ンとこに攻撃しくさって・・・俺ら、朝一から福島・藤堂・京極と戦こうててヘトヘトやっちゅーねん」

小早川秀秋:「えっ?大谷さん、気づいてはったんですか?僕が寝返るって事・・・」

大谷吉継:「あたりまえやないかい!お前チンタラやってるから家康に鉄砲撃ち込まれとったやないかい。」

小早川秀秋:「そうなんっすよねぇ~。どうしょう?どうしょう?このまま山の上から見物しとこかな・・・なんて思てたら、『こら、早よ動かんかい!』って感じで、撃ち込まれてしまいまして、あわてて松尾山を駆け下りて行きまして・・・まぁ、たっぷり恩賞は戴きましたけどね。」

徳川家康:「・・・で、その時の状況がこれ!ジャジャ~ン!」

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石田三成:「まだ、そんなフリップ作っとるんかい!あぁ、あかん・・・これでかなり戦況が変わってしもたなぁ。」

大谷吉継:「スマン!三成君、ワシお先に逝かしてもらいました~(ToT)。」

石田三成:「いやいや、大谷君、ようやってくれた。感謝してるで~。けど、そのあと、小西行長も宇喜多秀家も伊吹山のほうに姿消してもたし、島津に俺らのとこ助けに来て~な・・・って頼みに行ったら断られるし・・・。」

大谷吉継:「えぇ?ワシの知らんまにそんな事あったんか!なんでや?なんでや島津はん!」

島津義弘:「いやぁ、おとといの大垣城での軍儀の時、おいどんの『今夜のうちに家康の本営(この時家康は岡山に布陣中)に奇襲すべき』ちゅうー案を、却下され申したでごわす。
おいどんは、関ヶ原で決戦する気は無かったで、こうなった以上、自分たちは自分たちの合戦をする決意を固めており申した。」

井伊直政:「知んないよ、どうなっても知んないよ・・・てな感じでスネてたんすね。」

福島正則:「カワイイなぁ、そのスネかた・・・。」

石田三成:「吉継・・・お前知らんやろけどな・・・ゴメン、俺もそのあと逃げてん。もうどうしようもなくなってなぁ。」

大谷吉継:「いや、しゃーないわぁ・・・こんだけ、敗戦の色が濃くなってしもたら・・・んん?って事は最後に残ったんは島津はんやないですか!」

島津義弘:「そうでごわす。おいどんは、戦って華々しく散る覚悟でごわしたが、甥の豊久に止められ申した。
しかし、敵に降伏する・・・いう事は薩摩藩士の最大の恥でごわす。
また、大将の首を討ち取られるのも薩摩藩士の最大の恥でごわす。
よって、退却・・・それも敵中突破する事になり申した。」

長束正家:「敵中突破ぁ~?」

島津義弘:「退却するなのなら、対角線上にある伊勢路が最も良いという事になり、多大な犠牲は払い申したが、おいどんは、何とか助かり申した。
だどん、甥の豊久は討たれたでごわす。」

徳川家康:「・・・で、その時の様子がこれ!ジャジャ~ン!」

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石田三成:「またかいな!・・・けど、ホンマに対角線上やな・・・よう突破したな」

井伊直政:「そうそう、これスゴかったよね。」

本多忠勝:「うんうん、僕と直ちゃんで、追いかけたんだけどさ。
後ろの兵が鉄砲を撃ってる間に、前にいた兵が鉄砲を撃ってる兵の後ろにつく・・・てな感じで、徐々に後退していったんだよね」

福島正則:「東軍の間でも『島津の背進』って呼ばれて伝説になってるもんなぁ」

島津義弘:「故郷の大隈に着いた時には、わずか80騎になったいたでごわす。」

本多忠勝:「いーじゃん、離脱した事で、結局お咎め無しで、お家は守られたんだから・・・。」

吉川広家:「そうじゃぁ~、ワシらと毛利家は、見事に寝返って、小早川みたいに恩賞もらえるかと思いきや、大幅に減封されたんじゃけぇのう。」

長束正家:「お前、おったんかい!おってんやったら、さっき、お前の話出た時に何とか言うたれや!恵瓊泣いとってんぞ!」

吉川広家:「いやぁ~、ワシぁ~恵瓊が苦手じゃけぇ」

石田三成:「お前ら贅沢言うなや~。輝元は、西軍の大将やってんで、首が飛んでもおかしない立場やんけ。存続しただけでも儲けモンやっちゅーねん!
そうや、ホンマや、ワシ、西軍の大将ちゃうのに、なんで代表みたいにされてんねん。」

大谷吉継:「お前が言い出しっぺやからやないかい!せやから、ワシ、あん時、反対したやないかいな。」

石田三成:「え・・・結局、ワシの反省点てソコ?最初なん?」

大谷吉継:「そうや、お前が始めて挙兵の相談したあの日、家康はちょうど江戸城に入って、豊臣側の人間を味方につけようとっせっせと手紙書き始めとった頃やないかい。
すべての根源はそこにあんのとちゃうか?えぇ?」

徳川家康:「まぁ、皆さんが寝返ってくれたのは、ひとえに私の人柄によるものだと・・・」

石田三成:「待て!オラ!お前に人柄の事、言われたないっちゅーねん!」

徳川家康:「みんなが私に・・・」

石田三成:「まだ、言うか!いてもたろか!このタヌキジジイ」

大谷吉継:「アカン!あばれ出した~皆、三成を押さえろ!危ない!」

おあむ:「2回戦が始まりそうなので、皆様・・・今日は、このへんで失礼いたします。
また、機会がありましたら、このような形で・・・。」

小西行長:「ケンカはいけません・・・右の頬を打たれたら左の頬を・・・アーメン」

長束正家:「お前も、おったんかい!」

小早川秀秋:「さっ・・・、ほな、僕はそろそろ明日の佐和山城攻め(9月17日参照>>)の準備さしてもらいますわ~。直ちゃん、行きましょか~」

井伊直政:「お前が直ちゃんて言うな!俺、先輩やぞ」

おあむ:「では、またお会いしましょう~see you next time」

・・・・・・・・・反省会終了・・・・・・・・・

福島正則:「おあむちゃん、このあと暇?」

おあむ:「首実検用の首洗うんでぇ・・・また今度誘ってくださ~い」

福島正則:「ほんじゃ来週・・・これ僕のメルアドなんだけど・・・」

おあむ:「来週は、その首にお化粧しないといけないんですよね~城を守る女の役目ですから・・・また、是非、行きましょうね~じゃぁ」

福島正則:「あの・・・メルアド・・・」

石田三成:「福島君・・・お互い撃沈やね」

・・・・・・・・・おしまい・・・・・・・・・
 

お詫び:大阪弁しかしゃべれない茶々です・・・武将たちの方言がたぶんムチャクチャになってると思いますが、決して悪意はありませんので、ご勘弁くださいませ・・・
 .

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家康・江戸開幕への時代」カテゴリの記事

コメント

すごい面白かったです!
お前、おったんかい!に吹き出してしまいました!
当時、命をかけて戦った者同士がこんな風に話をしていたら、ホントに面白いですね!
また、楽しみにしています!

投稿: たまこ | 2009年9月 3日 (木) 18時24分

たまこさん、ありがとうございますo(_ _)o

「ふざけるな!」と怒られるのでは?とハラハラしながら書きましたsweat02

投稿: 茶々 | 2009年9月 3日 (木) 19時31分

茶々さま はじめまして。
最近偶然Googleでであい、歴史に疎い私は茶々さんの深い洞察と広い知識+プラクティカルな大阪弁による噛み砕きまくりかいせつで、楽しくお勉強させてもらってますが、"「ふざけるな!」と怒られるのでは?"と私もおもいながらも、>>>石田三成:「まだ、言うか!いてもたろか!このタヌキジジイ」の河内のりなラインに思わず笑いのこらえ線がぶちきれました。punch

大河などはせりふが本当に標準語でこのTVなんかなかった時代はもっと方言丸出しやったんちゃうやろかとおもうのですが。。そんなドラマ見てみたいなとおもうのは吉本をBGMとして育った大阪人の勝手でしょうか。。。

この記事はもう二年前のものになるのですね。。。

投稿: ちゃりんこ じゃり  | 2011年10月 3日 (月) 04時28分

ちゃりんこ じゃりさん、こんにちは~

ご訪問ありがとうございますo(_ _)oペコッ


>大河などはせりふが本当に標準語で…

私も、そう思います。
もちろん、「時代劇の言葉は時代劇らしく」と思っておられる方もたくさんおられ、むしろ、ソチラが正統なのでしょうが、個人的には、言葉という物は、近代の録音機が発明されるまでは記録に残らない物で、かつ、流動的な物ですし、現在、解明されている限りのその時代の言葉を使えば、おそらく、幕末以前の物語は「字幕スーパー」がないと視聴者には聞き取れないような言葉だったと想像しますので、どうせ現代風に変えてあるのなら、現代の言葉にしちゃっても良いのでは?と思います。

その方が、ちゃりんこじゃりさんがおっしゃるように、出身地方の違いもわかりますじ、身分の上下もわかりやすいような気がします。

もちろん、今年の大河の江さんなどには、お嬢様のような言葉を使っていただけねばなりませんが…

投稿: 茶々 | 2011年10月 3日 (月) 17時19分

>ちゃりんこじゃりさん同感です。
再来年の「八重の桜」では人物の会話を方言にできるでしょうか?実はついこの間、ちゃりんこじゃりさんと同じ主張をNHKに要請したんですよ。「方言指導」の人がいない訳ではないですね。でも朝ドラではほぼ方言使用が当たり前です。この差はなんでしょうね?登場人物全員が出身地に関係なく標準語では、人物の地元の人には変に聞こえますね。江戸時代初頭の慶長年間ならば殿様は「お国言葉」を使いますし。
綾瀬はるかさんが会津弁を話す場面もいいと思いますよ。夫の新島襄なら上州弁ですね。再来年の場合は方言を無視するとクレームが出そうです。
画面の下にテロップを出してでもやる方がいいと思います。すると、歌舞伎のセリフさえも正確ではないのでしょうか?

投稿: えびすこ | 2011年10月 3日 (月) 17時43分

えびすこさん、こんばんは~

歌舞伎のセリフは…
歌舞伎中継なら、そのままで大丈夫でしょうが、ドラマとして見る場合は、歌舞伎調のセリフでもテロップが必要なのではないでしょうか?
大人から子供まで、かつ、予備知識がなくても楽しめなきゃいけないワケですし…

あと、戦国時代くらいまでは母音が7つか8つほどあって、「ジ」「ヂ」の発音も少し違うようですしハ行は「HA」の「ハ」と「FA」の「ファに近いハ」と二つあったようですから、けっこう大変かと…

投稿: 茶々 | 2011年10月 3日 (月) 18時53分

茶々さま
>>現在、解明されている限りのその時代の言葉

>>戦国時代くらいまでは母音が7つか8つほどあって。。。<<--わおtyphoon

多分ほとんど外国語みたいに聞こえるんでしょうね。。。 もちろん昔の人のメンタリティーや社会システムは今とは違うやろから言葉が違うのが当たり前といやあそうなんですが、なんかいろいろ想像して楽しくなります。。。wink

PS.. 私は勝手に河内のりの石田光成(実際にそうだったかに関係なく)のFANになりました。。happy02


えびすこさん
>>画面の下にテロップを出してでもやる方がいいと思います。。。

ね、茶々さんのおっしゃるとおり、あまりにみんながわからないと困るでしょうけど、ことばはLiveだから歴史上の人物がもっと身近に感じられると思いマフ。(すくなくとも私には。。)happy01

投稿: ちゃりんこ じゃり | 2011年10月 5日 (水) 10時11分

ちゃりんこ じゃりさん、こんにちは~

>多分ほとんど外国語みたいに聞こえるんでしょうね。。。 

だと思います。

英語や中国語も、母音は「アイウエオ」の五つじゃないですもんね。

外国語を習ったら、昔の人のほうが発音が良いかも知れません。

投稿: 茶々 | 2011年10月 5日 (水) 12時20分

すっごく面白かったです!!

天国でもこんな感じの会話してるんですかね?

見てみたいと思いますが、

>戦国時代くらいまでは母音が7つか8つほどあ
って

これじゃあ聞き取れないかもしれませんcoldsweats01

投稿: 瀬名 | 2012年4月20日 (金) 21時16分

瀬名さん、こんばんは~

先日、難波(大阪のナンバです)のローマ字表記が、なぜ「NANBA」ではなく「NAMBA」なのか?ってな話から発展して聞いた話なんですが、この「n」の「ン」と「m」の「ン」も、大昔は発音が違っていたらしいです。

ところが、この発音の違いが曖昧になるのは、なんと万葉集の頃だそうです。

もう、その頃から、すでに、母音が減って行く現象があったなんて!!
って驚いてしまいました。

投稿: 茶々 | 2012年4月21日 (土) 02時16分

新日本橋の「ん」も「m」ですよね。

100年1000年先は母音も3つとかに減ってたりして!?(*≧m≦*)

あいうえおのCDでも作って保存しておかないといけません…(笑)

投稿: 瀬名 | 2012年4月21日 (土) 13時05分

瀬名さん、こんばんは~

おぉ、日本橋もそうでしたね。

今は、音の記録ができるので、少しはマシかも知れませんね。
100年後に、それを聞く事のできるハード機器があるかどうかが問題だと思いますが…

日本は、外国と違って、「話し言葉」と「書き言葉」が、まったく別物で、それが同じような物になるのは明治以降ですから、言語学者の方は大変だと思います。

投稿: 茶々 | 2012年4月22日 (日) 01時08分

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