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2007年9月17日 (月)

前九年の役で滅びる安倍一族のお話

 

康平五年(1062年)9月17日、源頼義・義家父子が、陸奥の安倍一族を滅ぼし、『前九年の役』が終結しました

・・・・・・・・・・

この頃の陸奥一帯を治めていたのは、安倍一族の長・安倍頼時(よりとき)

彼ら、安倍一族は、あの坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が、『蝦夷征伐』(11月5日参照>>)東北を平定した桓武天皇の時代に、朝廷に従った蝦夷の子孫たちです。

しかし、平定したからといって、何も起こらないわけではありません。

今まで、普通に暮らしてた所に、勝手に京都のほうからやって来て、言わば占領しちゃったんですから、占領された側から見れば、当然、不満は残るわけで、チョコチョコした反乱のような物は、何度となく起こります。

そんな、反乱を鎮圧するため、そして、反乱が起こらないように見張るため、朝廷は『陸奥守(むつのかみ)と称する武士を派遣し、現地に駐在させていたのです。

当時、ここ、陸奥に派遣されていたのが源頼義(みなもとのよりよし)です。

・・・で、以前は、けっこう反発していた頼時でしたが、頼義がこちらに来てからは、比較的静かで、陸奥一帯は平静が保たれていました。

しかし永承六年(1051年)、事件は、ある日突然起こります。

頼義の部下・藤原光貞の陣屋が、何者かに襲われたのです。

頼義らは、これを頼時の長男・安倍貞任(さだとう)が犯人だとして、彼を逮捕しようとしますが、父親の頼時は当然、息子を守ります。

・・・で、この事が「安倍一族、中央に反乱」・・・ってな事になって、いまだに歴史上では安倍一族が、先に手を出した事になっているようです。

とにかく、こんな本当かどうかわからない冤罪まがいのイザコザから『前九年の役』は始まるのですが、『前九年』という名前を見てわかるように、戦いは一進一退をくりかえし、徐々に泥沼化していきます。

やがて、天喜五年(1057年)に当主の頼時が亡くなり、次に、先ほど疑いをかけられた息子・貞任が、後を継ぐのですが、その頃には、やや頼義側が有利な形となっていました。

なんせ、源頼義の息子は、武勇の誉れ高き、あの八幡太郎義家ですから・・・。

必死の抵抗を続ける貞任でしたが、康平五年(1062年)の9月5日最後の砦・衣川柵を義家に攻撃されます。

数時間の猛攻の後、守りきれないと判断した貞任は、北へ敗走します。

逃げる貞任・・・追う義家。

やがて、追いついた義家は、きりりと弓を引き、貞任に狙いを定めます。
天下の八幡太郎に狙われちゃぁ、貞任の運命も風前のともし火・・・

義家は、そこで、一首の歌を投げかけます。
♪衣のたて(館・縦)は ほころびにけり♪

「衣の館」とは、先ほど貞任が捨てた衣川の館の事。
「衣の縦」とは、貞任が身に着けている鎧の縦糸の事。

「館」「縦」をかけて、「本拠地も防具も、もうボロボロや?さぁ、覚悟決めろよ!」ってな感じです。

すると、貞任はすかさず歌を返します。
♪年を経(へ)し 糸の乱れの 苦しさに♪
「あまりに長い戦いで、もう、身も心もボロボロや」

この、見事な返答に、弓を引く手が止まる義家・・・。

実は、この頃は、京の都に住む人たちから見て、彼らを「あずまえびす」「みちのくえびす」などとさげすみ、教養も無く、野蛮で、どうしょうもない人種だと、差別していたという事がありました。

しかし、この時の義家は、あまりの歌のすばらしさ教養の高さに、弓を引く事ができず、貞任を見逃し、そのまま戻ってしまうのです。

これは、『前九年の役』の中で、最も美しい場面・・・相手に敬意を表した義家の美談として語られている話・・・ですが・・・

お察しのように、かなり不可解・・・。

この時代は、合戦の最中でも、このように歌を詠む事はあったようですが、この二人の対決は、夜の8時頃の出来事・・・しかも、様子を見るかぎり二人っきりです。

そもそも合戦という物は団体戦。
九年も続いた戦いで、大将同士が二人っきり・・・なんて場面が、あろうはずがありません。

百歩譲って、たまたま二人っきりになったとしましょう。

しかし、時間は夜の8時です。
何の灯りも無いこの時代に、遠くの敵を弓で狙う・・・という事が可能だったのでしょうか?

千歩譲って、メチャメチャ月が明るかったとしましょう。
それでも、歌が納得できません。

本来短歌なら
♪年を経し 糸の乱れの 苦しさに
 衣のたては ほころびにけり♪

これで、五・七・五・七・七と、一首の短歌となるわけですが・・・

義家さん、先に下の句を詠んじゃってます。

歌という物を共同で詠む・・・という事は多々ありますが、短歌の場合に下の句を先に詠むという事はルール違反です。

ただ、短歌ではなく、連歌なら七・七から詠んでも、五・七・五から詠んでも良い事になっていました。

しかし、連歌は読んで字のごとく、連なる歌ですから、義家さんが最初に詠んで、貞任が返したのなら、もう一度、義家さんが詠まないと連歌になりません。

しかし、この時の義家さん・・・どうしても、次の歌が出てきません。

「どうしよう・・・どうしよう・・・・出来ない~・・・えぇい!逃げたれ!」
・・・て、結局、どうしても、次の歌が浮かんでこなかった義家さんが、逃げた・・・というのが、この美談の結末です。

つまり、相手に敬意を表して、あえて見逃したのではなく、歌を返せなくて恥ずかしかったから、とにかく逃げた・・・って事です。

まぁ、本当にこんな場面があったのなら・・・ってお話ですが、とりあえずは、安倍貞任さんの、教養の高さが伺えるエピソードではあります。

逆に、武勇に優れた八幡太郎も、歌はちょっと苦手だったようですね。

しかし、ここで命拾いした貞任も、康平五年(1062年)9月17日、お父さんのほうの頼義に討ち取られてしまいます。

捕虜になってしまった弟・安倍宗任(むねとう)は、兄・貞任の首とともに京の都に送られます。

かの「あずまえびすを一目見ようと集まる京の人々・・・その中にいた一人の公家が、かたわらに咲いていた梅を一枝折って差し出し、「これはいかに?」と、訪ねました。

失礼な話です。
つまり、彼らには教養がなくて、花を愛でるなんていう風流な文化を持っていないだろうと、馬鹿にして聞いたのです。

宗任は、即座に返答します。
♪わが国の 梅の花とは 見たれども
 大宮人は いかがいふらむ♪
「俺らは、梅って呼んでるけど、都では何と呼んでるのかな」

あまりに即答に、公家は言葉も出なかったと言います。
またしても、安倍一族の教養の高さが伺えます。

こうして、『前九年の役』は終わり、安倍一族は滅亡しました。

この時、頼義・義家父子に協力して、ともに安倍一族を倒した地元の豪族・清原武則(たけのり)・・・。

やがて、その武則の孫に当たる清衡(きよひら)が、朝廷に屈しない一大王国・奥州藤原氏を誕生させるのは、この二十五年後の事になります(11月14日参照>>)

奥州の藤原文化が花咲く根底には、この地の人々の教養の高さが、一役を荷っているのかも知れません。
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コメント

大雑把すぎる文章だね。安倍一族は陸奥一帯を収めたことなどありません。年貢徴収等において、陸奥北部、衣川以北の内陸部の一部を暗黙の了承で「任されていた」だけです。しかも、田村麿呂の征伐後は奥六郡は西日本からの移住者で埋め尽くされましたが、その移住者の子孫達が僻遠の住民として朝廷から「えびす・ふしゅう」と見下されました。安倍はそのリーダー格の一人にすぎません。

投稿: あべかわもち | 2010年8月 5日 (木) 00時20分

あべかわもちさん、こんばんは~

>大雑把すぎる文章だね

そうですね…でも、それが、このブログの特徴でもあります(*´v゚*)ゞ

正確さを追求すれば教科書のような文章になりますし、掘り下げていけば学者さんの論文のようになる…それなら、教科書や論文を読んだほうがよっぽど良いです。

なので、このブログでは、「まずはわかりやすく」「読んでおもしろく」をモットーに、一話完結を基本に、ある程度の文章の長さで1ページにまとめるようにしております。

本当は、おもしろく読み進められながらも、大雑把にならないようにできれば良いんですが、そこまでの文章力がないもので…
できるだけ、うまく書けるよう、日々、努力しますです((w´ω`w))

投稿: 茶々 | 2010年8月 5日 (木) 02時22分


気になさるな!

こんなつまらない文章を書く奴を
相手にしないほうが良いよ!

大体、あんな文章じゃどんなに知識があっても誰も読まないよ!
(^_^; アハハ…

投稿: 桃色熊 | 2010年12月 1日 (水) 14時53分

桃色熊さん、ありがとうございます。

性格も大雑把なので大丈夫ですヽ(´▽`)/

投稿: 茶々 | 2010年12月 2日 (木) 01時57分

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