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2007年9月 9日 (日)

戸石崩れのはずが山本勘助ヒーロー伝説へ?

 

天文十九年(1550年)9月9日、甲斐の武田信玄が、敵対していた村上義清の支城・戸石城に総攻撃を仕掛けました。

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その実力で信濃(長野県)諏訪地方を手に入れた(6月24日参照>>)武田信玄が、信濃東部もその手中に治めようと、天文十七年(1148年)に、そのあたり一帯を領地としていた葛尾城主・村上義清を攻めます。

しかし、上田原の合戦(2月14日参照>>)において、重臣・板垣信形(のぶかた)甘利虎泰(あまりとらやす)を失うというダメージを受け、一旦、信濃東部平定は振り出しに戻る事に・・・。

やがて天文十九年7月、小笠原長時の信濃・林城を奪った信玄・・・敗走した長時が、あの村上義清を頼った事から、信玄VS義清の関係が再び表面化する事になります。

8月27日、義清の支城・戸石城を包囲した信玄は、天文十九年(1550年)9月9日に、全軍をもってこの戸石城に総攻撃を仕掛けました。

しかし、強固な城はなかなか落ちず、しかたなく、信玄は信濃に「地の利」がある真田幸隆(ゆきたか)に命じて、周辺の諸将を味方に引き入れるべく画策します。

しかし、いっこうに情勢が変わる気配もなく、結局、1ヶ月後の10月1日、遂に、この戸石城から撤退する決意をしました。

しかし、あの兵法書・孫子でも言われるように、こういう場合、進撃するより撤退するほうがはるかに難しいのです。

当然、武田軍が撤退し始めると、戸石城内に籠っていた城兵が撃って出て追撃を開始し始めます。

さらに、追い込みをかけるように村上義清自身が登場!

実は、この時、武田軍が、てっきり戸石城内にいると思い込んでいた義清と、その主力部隊は、すでに武田軍の背後に回り込んでいて、「今がチャンス!」とばかりに、一斉に追撃に加わったのです。

しかも、つい先日まで敵対していた高梨政頼とも和睦を結び、村上軍は、全力を武田の追尾に投入してきました。

不意をつかれた武田軍は、崩れに崩れてしまいます。

名だたる武将では、横田高松が敵の猛攻撃の中、壮絶な討死を遂げ、以下、この時の戦死者だけで700人を越えるという事態になってしまいました。

この10月1日の戦いは、「戸石崩れ」と呼ばれ、武田家の武将たちの間で長く語り継がれる事となるのです。

ところが、例の武田氏の軍学書『甲陽軍鑑』では、一応「負けた」としながらも、この後、まだ話が続くのです。

Takedasingen24syouzu そう、あの山本勘助大活躍ヒーロー物語が・・・
(←【武田信玄二十四将図】大阪城天守閣蔵:下の左から2番目が山本勘助)

それによると、崩れに崩れた武田軍を、「敵の矛先を南に向けさせれば勝てる」と、まさに軍師(占い師)的な発言。

しかし、すでに味方は、命令の通達など、できない状態です。

半信半疑の信玄を尻目に、勘助は、諸角虎定(信玄の従兄弟)の軍勢を借りて、少し前進して、わざと村上軍のまん前で防御の体制をとります。

その軍を蹴散らそうと、前に出る村上軍に対して、コチラの軍の矛先を南側に向けると、つられて出てきた村上軍も南に向き、その間に、他の武田軍が態勢を整えます。

そして、勘助は、次に小山田昌辰の軍勢を指揮し、見事相手を打ちのめしてしまいました。(えっ?)

さらに、味方の軍勢に分け入って、勝利が近い事を言いふらすと、皆、元気を取り戻し、ついに、村上勢への追撃を成功させ、130余りの首を挙げました。(えぇっ?)

「戸石崩れ」と語り継がれた敗戦のはずが、何か勝ったみたいな事になってませんか?

この合戦の後、先の戦で逃げたはずの小笠原長時が、元の場所に舞い戻ってくるわけですから、どう考えたって武田の負け戦のはずなんですけど・・・。

この『甲陽軍鑑』に記された戸石城のくだりは、今のところ正史とされる歴史とは、その日付は違うわ、参戦メンバーは違うわで、どうも信じ難いのですが、勘助が、その生涯で最も活躍する場面・・・しかも、神がかり的な大活躍をするのが、この部分なのです。

かなりニオイますねぇ。

『甲陽軍鑑』は江戸時代の初期に書かれた物・・・勘助の名前が登場する書物は、すべて、この『甲陽軍鑑』から後に書かれた書物で、これを引用した物です。

しかも、これだけ大活躍するにも関わらず『甲陽軍鑑』以外にはその名前が見えない事から、今では、「山本勘助=架空の人物説」(2010年9月10日参照>>)を唱える人も多くいます。

確かに、明らかな負け戦を、あたかも勝ったように書かれてしまっては疑いたくもなりますが・・・まぁ、真実を追究するのは、専門家にお任せする事にして、素人の私は、今年いっぱい、彼の英雄伝説に酔いしれさせていただいて、ドラマはドラマとして楽しませていただきましょう。
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