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2007年10月 3日 (水)

アユタヤの戦士・山田長政は実在したか?

 

寛永六年(1629年)10月3日、江戸幕府山田長政に朱印状を交付・・・シャム(現在のタイ)との交易を許可しました。

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山田長政は、海外で活躍する日本人の先駆けといった存在。

彼は、初め、沼津で、領主・大久保忠佐(ただすけ)かごかきをしていた・・・という事ですが、その後、慶長十六年(1611年)頃に朱印船でシャムに渡ります。

現地の日本人傭兵隊に加わった事で、その戦士としての素質が開花し、日本人町の町長になります。

その後、やはりその戦闘能力の高さを気に入ったシャム国王・ソンタムから厚い信頼を寄せられるようになり、当時の最高官位であるオヤ・セナピモクまで譲られます。

しかし、そのソンタム王が亡くなると、王子と王の弟との間で、王位継承の争いが勃発し、その争いの後、王子側についていた長政は、権力を握った王弟の命令で抗争中の隣国・パタニとの最前線に左遷されてしまいます。

寛永七年(1630年)、そのパタニとの戦闘中に、足を負傷した長政は、王弟の命令を受けていたシャム人から、治療と称して傷口に毒を塗られて死亡するのです。

その後、長政の死によって「日本人が反乱を起す」との噂が立ち、恐れたアラビア人やタイ族・華僑によってアユタヤの日本人町は焼き尽くされてしまいます。

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以上が、一般的に知られている山田長政の話ですが、お察しの通り、かなり謎に包まれた人物像で、タイ南部の王国の王であったという話から、架空の人物説まで、様々に取りざたされています。

・・・と、いうのも、現在伝えられている長政の事が書かれた文献は、後世に書かれた物が多く、歴史書というよりは、歴史小説に近い物で、その内容は伝説の域を超えないものとなっています。

加えて、タイやオランダの文献には、山田長政の名前がまったく登場しないという事実もあります。

幕末のイギリス外交官・アーネスト・サトウ(8月26日参照>>)は、オランダの文献の中に登場する日本人傭兵の代表者・オークヤ・セナビムクが長政ではないか?としていますが、これも推測の域を出ないものです。

17世紀初頭の日本と言えば、あの関ヶ原の合戦に勝利した徳川家康が、征夷大将軍となり、江戸で幕府を開いた頃・・・

家康は、その関ヶ原の年に九州に漂着したオランダ船の航海士・ウィリアム・アダムス(3月16日参照>>)外交顧問に任命し、盛んに外国との交易を押し進めていました。

慶長九年(1604年)に、朱印船制度を実施して以降、多くの大名や商人が、朱印状を交付してもらい、海の向うへと旅立ったのです。

当時は、上記のアユタヤだけでなく、現在のフィリピンベトナムなど、アジアの各地に、日本人の居住地や日本人町が存在していました。

そんな中、江戸時代を通して、長政はまったく重要人物としては扱われておらず、それこそ、朱印船で外国に渡った多くの日本人の中の一人・・・という感じです。

ひょっとしたら、長政は、朱印船で交易をしていた、ただの商人、あるいは密航者というだけの可能性もあるのです。

あまりの史料の少なさに、架空の人物かもしれないと噂される山田長政が、歴史の教科書や、年表に記されるほどの有名人になったのは、近代の満州事変以降の事・・・

それには、日本がアジアへ進出するにあたって、強き日本をアピールするための宣伝として、遠い昔、東南アジアで活躍をした戦士がいた事を利用したからなのではないか?とも言われています。

無名だった彼が、歴史の表舞台に登場する事になったのには、そんな、もう一つの悲しい日本の歴史がからんでいたのですね。

とは言え、金地院崇伝(こんちいんすうでん)『異国日記』という文献の中に、「山田仁左衛門長正」なる人物の名前もあり、「幕府が朱印状公布」という記録もありますので、有名人では無かったとしても、山田長政という人が実在の人物である事は、ほぼ間違いないところでしょう。

さらに、その『異国日記』の中には、「元和元年(1615年)に国王・ソンタムが将軍・徳川秀忠へ親書を送った時、長政から老中・土井利勝への手紙と贈り物が同封されていた」という記述があります。

親書という正式な外交文書の場合、礼儀として、同じ位の人物同士が文書の交換をするのが常識だった事を考えると、「将軍⇔国王」「老中⇔長政」となるわけで、これが本当だとしたら、確かにシャムの高官であった事になるわけです。

教科書に載ってるわりには、あまり時代劇などでお目にかからない山田長政さん。

ずいぶん前に、一度ドラマになった事がありましたが、かなりボヤけた記憶で、筋書きもよく覚えていませんが、長政役の林隆三さん(たしか・・・間違ってたらスミマセン)象に乗っての合戦シーンが、かなりカッコ良かったのだけは記憶にあります。

近代の戦争に利用されたのは悲しい出来事ですが、もし、本当に山田長政が、400年前の東南アジアで、象に乗って大活躍したのだとしたら、何やら、最近、大リーグで活躍する日本人選手を見るようで、同胞として、とてもうれしくなります~。

Yamadanagamasacc 今日のイラストは、
アユタヤの戦士という感じで、象に乗った山田長政さんを書いてみました~。

タイにある像では(帽子?)をかぶってますが、色がわからないので、冠は無しにしてしまいました。

タイでは映画にもなってる長政さん・・・どんな風に描かれているのか?見てみたいですね。
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コメント

山田長政が縁でタイは親日なんでしょうか?
王様の側近になったと言う逸話があるので。
タイの国王は代々、日本刀を「家宝」として所有するそうです。

投稿: えびすこ | 2011年8月30日 (火) 15時43分

えびすこさん、こんばんは~

タイに10年間住んでた友人に以前聞いたら
「長政を絡めて話をしたがるのは現地駐在の日本人と、仕事関連のあるタイの人くらいで、誰もが知っていると言う訳ではないと思う」って言うてました。

やはり、親日は太平洋戦争がらみじゃないでしょうか?

投稿: 茶々 | 2011年8月30日 (火) 19時04分

今日、何気にネットサーフィンしていて
以下のものを見つけ
さて茶々さまは山田長政をどう描かれていつのかとお邪魔しましたら…
なんと!!本当に描かれていらっしゃるでは^^v
良かったら、ご参考までに~(*^^*)

http://agnes2001.blog.fc2.com/blog-entry-1251.html

投稿: tonton | 2013年7月11日 (木) 20時43分

tontonさん、こんばんは~

いろいろな説があるのですね~
まぁ、謎に包まれた人ですから、それだけ想像のし甲斐があるというもの…
そこが楽しいんですものね。

投稿: 茶々 | 2013年7月12日 (金) 01時43分

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