« 戦国屈指の奇襲戦・厳島の戦い | トップページ | アユタヤの戦士・山田長政は実在したか? »

2007年10月 2日 (火)

賄賂政治家・田沼意次の汚名を晴らしたい!

 

天明七年(1787年)10月2日、時の老中・田沼意次が失脚しました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

田沼意次と言えば『賄賂』
『賄賂』と言えば田沼意次

昔、見た時代劇『紫頭巾』では100%の悪役・・・いやいや、『紫頭巾』だけじゃありません。

田沼意次が出てくれば、どんな時代劇でも、大抵、彼は悪役・・・男前の主人公にいつも暗殺計画を立てられてしまってるお気の毒な役どころ

是非とも、今日は、そんな田沼さんの汚名を晴らしてみせましょう!

Tanumaokitugucc 田沼意次さんは、徳川10代将軍・家治に仕え、御用人から老中にまで上りつめ、約15年間にわたって、その権勢を振るいました。

しかし、その時代は賄賂が横行し、道徳が地に落ちた時代と言われ、彼の失脚の後に登場して『寛政の改革』を行う松平定信(6月19日参照>>)を、幕府が、清廉潔白なクリーンなイメージの政治家として描きたいがため、対照的にダークな印象を植えつけられてしまったようですが、どうしてどうして、彼の政治手腕はなかなかのものです。

彼が老中となったのは、安永元年(1772年)、意次さん54歳の働き盛り。
トップに立って、やっと彼の政治手腕が発揮できる舞台が整いました。

早速やらねばならない事は、財政の建て直しです。

当時、幕府はたいへんな財政難でしたが、先々代の徳川吉宗の時代に、『享保の改革』で、新田開発をやりつくしてしまったため、年貢を増やそうにも、もうこれ以上はムリの状態でした。

・・・で、彼が着手したのが商業による財政改革

株仲間を公認して税を徴収。
銅や鉄などを幕府の専売とし、さらに、鎖国令を緩めて貿易を促進します。

もちろん、吉宗時代に手つかずたっだ沼地などの国土開発も商業資本で行ない、蝦夷地(北海道)の開拓にも着手。

開拓後には、ロシアとの貿易なども視野に入れていたと言いますから、なんて進歩的な政治家なんでしょう。

当時、ロシアはすでに強大な国として君臨していましたから、そのロシアと対等に交易を行えば、世界の日本を見る目も変わるというものです。

確かに賄賂はあったでしょう。

しかし、それは商業が発達し、経済が豊かになればこそ、生まれ出てくるシロモノです。

意次さんが、デキル男なら、そのデキル分だけ、そのおこぼれに預かろうという人間がくっついてくるのは、自然の成り行きとも言えます。

けして、良いとは言いません。
いえ、もちろん悪いです。

しかし、ことさら、賄賂だけを強調して、その政治手腕に目を向けず、一斉にタタキまくるのは三流のマスコミのようです。

それまでの江戸時代の財政改革は、ほとんどが農業一辺倒。

財政に行き詰れば「新田開発」・・・当然、そこには賄賂など生まれてくる事もありません。

彼の財政建て直しの手腕は、江戸時代の政治家の中でもグンを抜いて光っています。

しかし、古い体質の武士からは、商業を卑しい職業として見る価値観がなかなか拭いきれなかったのです。

何も無い所から、ものを作り出す農業は美しく、右の物を左にやってお金を稼ぐ商業はきたないというのです。

そんな譜代門閥層の昔ながらの武士たちからは、躍進的な彼の政治は反発を買い、ただでさえ異例の出世に対する妬みもあいまって、徐々に風当たりが強くなってくるのです。

そして、もう一つ、天も、彼に味方しなかった・・・
江戸の大火(2月29日参照>>)浅間山の噴火(7月6日参照>>)天明の大飢饉(12月16日参照>>)・・・。

不安にかられる庶民たち、沸き起こる打ちこわしの嵐・・・

経済のしくみもよくわからない一般人から見れば、意次が豪商たちとツルんで、何かよからぬ事ばかりやってるように見えたかも知れません。

そんな中の天明六年(1786年)、彼の最大の理解者であった将軍・家治が死去し、松平定信らの反対派が、一気に強くなり、彼に圧迫をかけてきます。

天明七年(1787年)10月2日、周囲からの弾劾を受け、田沼意次はまだ、志半ばで政治家の座を追われる事になるのです。

おそらく、彼にしてみれば、「今はまだ産みの苦しみ・・・実がなるのはこれから・・・」という思いが強かったに違いありません。

そして、彼の後を継いで老中となった松平定信・・・たしかに、定信は清廉潔白でクリーンな政治家です。

しかし、クリーンな政治家が、政治手腕を持っているかどうかは別物。
定信が押し進めた『寛政の改革』は、「財政回復のためには、とにかく倹約・・・倹約」

そんな倹約は、消費を鈍らせ、経済を冷え切らせるだけでした。

結局、定信の改革は、たった3年で行き詰まり、意次が頑張って備蓄した幕府の資産を食いづぶすだけ食いつぶして7年後に崩壊してしまいます。

田沼意次の事を書いた書物は、ほとんどが後世に書かれたもので、松平定信のクリーンさを際立たせるために、意次像がゆがめられて書かれています。

今に伝わる意次さんのイメージは、これらの書物によって、後付されたに過ぎません。

『悪い事はしないが良い事もしない政治家と、悪い事もするが良い事もする政治家とどっちがいい?』
これは、つい先日も、何かの報道番組で耳にした言葉です。

何とかなりませんかね~、
どこかに、いませんか?クリーンな田沼意次・・・両方を併せ持つのは、そんなに難しい事なんでしょうかね。
 .

内容が「よかった」と思っていただけましたら
右サイドバーsoonにあります【拍手!!】を・・・
ブログ内の人気ページとしてランキングされます(゚ー゚)
あなたの応援で元気100倍!

人気ブログランキングへ    にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

 

 


|

« 戦国屈指の奇襲戦・厳島の戦い | トップページ | アユタヤの戦士・山田長政は実在したか? »

江戸時代」カテゴリの記事

コメント

田沼意次は
デフレーションの時は
政府がお金を使うべきということを
わかっていたのかもしれませんね

投稿: maria | 2010年1月16日 (土) 23時31分

mariaさん、こんばんは~

景気回復にはクリーンな田沼意次・・・今の政界にいませんかねぇ~

投稿: 茶々 | 2010年1月17日 (日) 01時27分

(´・ω・`)ショボーン残念ながらいませんね~
①賄賂をもらったり少し怪しげな政治家
だけど景気をよくして
国民の生活をよくしてくれる人
②汚職事件とかはおこさないけれど
一向にデフレから抜け出せない頼りがいの無い政治家

どちらがいいんでしょうかね。
私は①のほうがいいと思います。
①のほうが国民の生活を良くするという
政治家が一番やらねばならないことが出来てると思うんです。
別に賄賂を貰わないのが政治家のやるべき事でわないと思うので*

今の政治家の一部(小沢さんとかww)は
賄賂も受け取って景気も一向に良くならない
という最悪的パターン・・・
日本の未来が心配です。
長文失礼しました

投稿: maria | 2010年1月17日 (日) 12時19分

mariaさん、こんばんは~

やっぱ、いませんか~ww

これだけの借金をかかえた日本丸・・・
この先が心配です~

投稿: 茶々 | 2010年1月17日 (日) 21時32分

いっそのこと

茶々さん政治家になってはいかがですか?
(^U^)ノ

投稿: maria | 2010年1月17日 (日) 23時10分

いえいえ、とんでもない
政治は苦手です。

文句だけは一人前ですが・・・(^-^;

投稿: 茶々 | 2010年1月17日 (日) 23時46分

me too ですww
茶々さんはすごいですね
こんなに沢山歴史の人物について!
憧れます(●^∪^)/
私はもうすぐ受験の中3女子です~
面接で尊敬する人物は?
と聞かれたら
田沼さんか、池上彰さんに使用かと思ってて
田沼氏について調べていました!

投稿: maria | 2010年1月18日 (月) 15時57分

mariaさん、こんばんは~

「尊敬する人物は?」
「田沼さん」
なかなか歴史ツウだと思われるでしょうね。

もし、試験官が、田沼さんを、「ただのワイロ政治家だ」と思っていたら、説明が長くなりそうですが・・・

投稿: 茶々 | 2010年1月18日 (月) 19時37分

そうですね!
逆に歴史の先生とかだったら
微妙な知識じゃ太刀打ち出来ませんね。
面接に使いやすい
おすすめの偉人いますか?

投稿: maria | 2010年1月19日 (火) 10時49分

追記:
あと受験で社会の歴史暗記に
てこずっているのですが…
世界史とか(ルネサンスとか)
入ってきてしまったり
明治維新以降は頭が混乱してきます…
歴史を勉強するのに何かポイントとか
あったら教えてください。
すみません。何度も何度も(´;ω;`)

投稿: maria | 2010年1月19日 (火) 10時55分

mariaさん、こんにちは~

そうですね~
私の時代は、「尊敬する人物は?」と聞かれたら、「父です」or「母です」と答えろ!って先生に言われましたが、いまでは、通用しないかも知れませんねww

あと、年号の暗記はくりかえして覚えるしかありませんねぇ~
出来事の流れは、やはり「教科書と年表をよく見る」ですかね。

それと、このブログは、歴史と言っても、学校で習うような事は出てこないので、残念ながら、あまり参考にはならないと思いますよ。

投稿: 茶々 | 2010年1月19日 (火) 11時50分

参考にします!
ありがとうございました
でわ本格的に受験モードで頑張ります!
本当に色々ありがとうございました

投稿: maria | 2010年1月19日 (火) 17時49分

mariaさん、受験、がんばってくださいね

投稿: 茶々 | 2010年1月19日 (火) 20時08分

毎回のアップが楽しみです。
1億ビューに貢献しますよ^ ^。
意次さん、いいね。
なんだか歴史は繰り返す。
やはり、学ぶべきは経験ではなく歴史だね。
茶々さん、講演はやっていらっしゃるの?

投稿: いとうしんいち | 2013年2月23日 (土) 06時29分

いとうしんいちさん、こんにちは~

1億…夢ですね~ww
講演ですか~ 分不相応ですね(*v.v)。

また、遊びに来てください

投稿: 茶々 | 2013年2月23日 (土) 08時35分

なんかこんな風刺がありましたよね。

「白河(定信)の清き流れに耐えかねて、元の流れの田沼こいしき。」…ちょっと違うかな?

松平定信は、白河藩主だったので…。
(8代将軍の孫でもあります。)

定信政権は、前任の意次を〝悪者”に仕立て上げたほうがいいですもんね。

投稿: 鹿児島のタク | 2013年11月27日 (水) 04時06分

鹿児島のタクさん、こんばんは~

そうですね。
松平定信はクリーンのイメージを全面に押し出してましたからね~
でも、結局は、思うように行かなかったですが…

投稿: 茶々 | 2013年11月28日 (木) 01時56分

茶々さん、こんばんは。
ちょっと山田長政の事を調べたついでに来ましたが、田沼にしても山田長政にしてもスケールが大きいですね。かなり悪いことはしたと思いますよ両方ともでも積極財政が経済を立て直すことをよく分かっていました。それに匹敵する現在の政治家は角さんこと田中角栄総理大臣ぐらいでしょう。角さんの日本列島改造がきちんとしたら日本の構造改革になったと思います。徳島県民としては実行してほしかったです。
ところで田沼も定信もロシアとの国交を考えていて、蝦夷地開発、樺太、千島警護を考えていましたが、田沼、定信以降は直弼ぐらいまではきちんとした青写真を描いた老中がいないのが残念です。
時の帝の後桜町天皇に幕府がエカチェリーナの事を伝えたらお喜びなられたと思います。

投稿: non | 2015年8月 1日 (土) 23時45分

nonさん、こんばんは~

山田長政は謎が多すぎて何とも言えませんが、田沼さんは、確かに悪い事もしたでしょうね~
でも、本文にも書かせていただいたように、良い事もしたと思います。

投稿: 茶々 | 2015年8月 3日 (月) 02時16分

茶々さん、こんばんは。
田沼の子孫は大名のままですし、田沼時代はけっこう好景気でした。松平定信の言い分は一方的と言うのは幕府でも認めていたのでしょう。
ところで定信が将軍で、田沼が老中だと上手くいったでしょうか?

投稿: non | 2015年8月 4日 (火) 21時01分

nonさん、こんばんは~

定信は田沼を相当嫌ってたようなので、うまくはいかないんじゃないでしょうか?

投稿: 茶々 | 2015年8月 5日 (水) 02時00分

私もそうなると思いますが、田沼は下手、下手になるので定信が嫌っても田沼はしぶとく生き残るでしょう。
ところで昔近藤真彦が主演の田沼時代のドラマがありまして、河合奈保子が花魁の役を演じた動画を探しているのですが見つかりません。御存じないでしょうか。

投稿: non | 2015年8月 5日 (水) 22時56分

nonさん、こんばんは~

NHK金曜ドラマの『大江戸風雲伝』の事だと思いますので、
NHKからオンデマンド方式で配信されているか、あるいはDVDで販売されているかなど、お調べになるのがよろしいかと思います。

あと、BSで昔の時代劇をやってたりしてますね。

投稿: 茶々 | 2015年8月 6日 (木) 01時39分

大江戸風雲伝ですか。探してみます。
茶々さん、ありがとうございます。
見たことが無いので見てみたいです。
田沼に関する本をあの前後に見まして、田沼は凄い政治家だと思いました。角さんに似ていますね。あの世で角さんと己の運と不運を語り合っているのではないでしょうか。

投稿: non | 2015年8月 6日 (木) 16時25分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/47570/8202579

この記事へのトラックバック一覧です: 賄賂政治家・田沼意次の汚名を晴らしたい!:

« 戦国屈指の奇襲戦・厳島の戦い | トップページ | アユタヤの戦士・山田長政は実在したか? »