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2007年12月15日 (土)

蝦夷共和国の誕生

 

明治元年(1868年)12月15日、榎本武揚らによる『蝦夷共和国』が誕生しました。

・・・・・・・・・・

この日、箱館(函館)一帯は、歓喜の嵐に包まれました。

100発以上の祝砲を打ち鳴らす軍艦は、五色に輝く旗をひらめかせながら岸に並び、陸には礼装に身を包んだ軍人が並ぶ・・・その様子を感激のまなざしで見つめていたのは、旧・幕府の役人・榎本武揚(えのもとたけあき)でした。

思えば、8ヶ月前の4月、新政府は旧幕府側に江戸城の明け渡し、将軍・徳川慶喜謹慎、そして、軍艦の引渡しを突きつけました(3月14日参照>>)

海軍を指揮する武揚・・・勝海舟の説得に応じて、一旦は軍艦の引渡しに応じる姿勢を見せたものの、まだまだ勝機があると考えていた彼は、最新鋭の軍艦・開陽丸以下8隻の軍艦とともに江戸を脱出し、旧幕臣たちとともに、一路、北を目指したのでした(8月19日参照>>)

そして、蝦夷に上陸した彼らは五稜郭松前城を占領し、蝦夷地を平定・・・この明治元年(1868年)12月15日の祝砲は、今ここに、新たに誕生した蝦夷共和国を祝う祝砲だったのです。

蝦夷共和国の誕生に関しては、以前、【五稜郭開城!蝦夷共和国 最後の日】(5月18日参照>>)でも書かせていただいた通り、後の武揚が多くを語らなかった事から、彼の胸の内は謎のままなのですが、若い頃にオランダ留学の経験があり、国際法に通じていた彼らしく、さすが!と言えるやり方でしたね。

維新前後の日本は、欧米の諸外国抜きには考えられませんでした。

蝦夷を占領したは良いものの、イギリスフランスといった国々に、新政府の味方につかれてしまっては、さすがに勝ち目はありません。

武揚は、蝦夷政権の首脳陣を投票によって選出する事で、正当な政権である事をアピールし、いち早く、この蝦夷共和国を、独立国家として諸外国から認めさせています

こうする事で、諸外国は中立の立場を取る事となり、新政府につく事を防いだのです。

それにしても、この独立国家への武揚の思いがどこまでのものであったのでしょうか?

本気で、日本からの完全な独立を考えていたのでしょうか?
もし、彼らが勝利していたら、現在、北海道は別の国になっていたんでしょうか?

ただ、これに関しては、武揚は、自分の国際的な知識や軍事知識を、何の縛りもない蝦夷という新天地で試してみただけだったという見方もあり、また、単に、彼が大好きだった軍艦・開陽丸を、新政府に渡したくなかっただけだという風な見方もあります。

先ほども言いましたように、後の武揚は、この蝦夷共和国については多くを語らず、「ちょっと反発してみたかっただけ・・・」なんて事くらいしか言っていないので、そのような解釈もあるわけなのですが、後日、新政府に提出した嘆願書には、「蝦夷に行ったのは、旧・幕臣の救済のため・・・」と書かれていて、幕府の崩壊で禄がもらえなくなった武士たちの生活を何とかするために、蝦夷地を開拓する計画を立てていたとも考えられます。

そうすれば、あの榎本さんの事ですから、日本から独立した蝦夷共和国の具体的な構想も、すでに、頭の中にあったのかも知れません。

しかし、時代はご存知のように、北海道の雪解けを待って、新政府の猛攻撃が開始され、蝦夷共和国の構想は、武揚の胸の内に納められたまま、歴史の闇へと消えて行く事になるのです。

おりしも、一昨日の夜、たまたまNHKで「新選組!!土方歳三、最期の一日・前編」の再放送をやっていて、またまた、榎本さん、土方さんへの思いが再燃していた今日・・・確かドラマでは、土方さんに共和国の理想など語っていたような・・・昨日はそのシーンは無かったので、後編に出てくるんだったかしら?。

蝦夷共和国誕生の時は、未だ33歳だった榎本さん・・・ちょっと、そのホンネを聞いてみたい気がしますね~。
 

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幕末・維新」カテゴリの記事

コメント

茶々さん こんにちは^^

ご無沙汰しております。
茶々さんの幕末記事を心待ちにしていました♪
榎本さんの思い、いろいろあったのじゃないかなって勝手に思っています。
幕臣達の救済も自分の力を試したかったのも
大好きな開陽丸を渡したくなかったのも、
すべて複合的に絡んでいたのではないでしょうか。
実際に蝦夷では入れ札とかいろいろなことを実践していますし、特に外国との交渉はすごいですよね。
その実力をかわれて、明治政府では外交を担当し、条約締結にも尽力していますしね。

って勝手に熱い思いを語ってしまいました^^
いつも楽しく拝見しています。
また幕末記事もよろしくお願いしますね。

投稿: たまびとルンちゃん | 2007年12月15日 (土) 11時50分

はじめまして。

「土方歳三、最期の一日」は、私の大のお気に入りドラマでこれまでに10回くらい見ています。

総裁選の入れ札は、実際にあったようですね。大鳥圭介は1票という説と榎本の次点だったという説があるそうですが、indoor-mamaさんはどちらが正しいと思われますか?

ドラマでは、新政府軍の「朝陽」が撃沈されたとき、「陽」の字が燃えて海面に浮かぶシーンがありますが、本物が函館博物館に保存されているのを見ました。

歴史は本当に面白いのですね。

はじめて拝見いたしましたが、楽しい情報満載でいろいろと読ませていただきたいと思います。

私の函館紀行をトラックバック致します。

投稿: mr-BJ | 2007年12月15日 (土) 12時41分

ルンちゃん様・・・お久しぶりです。

時間がなかったせいか、幕末期は、学校の授業でも、サラッと通られ、今頃になって勉強中ですが、榎本さんはかなりのデキる人のようですね~。

旧幕府軍でありながら、新政府でのあのポストはやはり、相当なものですもんね。

きっと、共和国に関して、いろんな構想が頭の中にはあったのはないか?と思いをつのらせています。

投稿: 茶々 | 2007年12月15日 (土) 14時02分

mr-BJ様・・・はじめまして、コメントありがとうございます~。

実は、私も、本編の「新選組!!」のほうも一年分、もちろん土方さんのSPもすべて録画して、いつでも見れる態勢なのですが、いざとなると、なかなか・・・。

一昨日は、再放送するなんてまったく知らず、たまたま「何か見るものあるかな?」とテレビをつけたら・・・グッドタイミングで見れましたv(^o^)v

それにしても、山本クンの土方さんは、ドラマ史に残るカッコ良さですよね~。

香取クンも頑張ってはいましたが、横にあの土方がいたら・・・ちょっと気の毒なくらいでした。

あっ、そうそう「総裁選の入れ札」のほうは・・・どうでしょうね。

ドラマでは、榎本さんと土方さんを目立たせるため、かなりダメな人に描かれていましたが、実際にはあんな事はないように思いますので、次点というほうに一票入れときます。

また、時々覗きにきてくださいね・・では・・

投稿: 茶々 | 2007年12月15日 (土) 14時20分

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» ああ、箱館 [病院で働く人の休憩室]
一本木関門、土方歳三最期の地。 訪れる人々によって香華が絶えることはないという。 明治2年5月11日、五稜郭から新選組本陣へ向かった土方は、ここ一本木関門で1発の銃弾に腹部を打ち抜かれ35年の生涯を閉じた。 それにしても、山本耕史さんが演じた土方歳三はかっこよすぎた。 『なっ、何者だ!』 『新選組副長、土方歳三!』 (NHK正月時代劇・新選組!!土方歳三最期の一日:2006年1月1日放送より) 司馬遼太郎さんの小説「燃えよ剣」で歳三の生涯について知り、大河ドラマ「新選組!!」... [続きを読む]

受信: 2007年12月15日 (土) 12時42分

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