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2007年12月17日 (月)

ライト兄弟よりも早く?日本人が空を制す

 

1903年12月17日、アメリカ・ノースカロライナ州で、自動車製造業のライト兄弟が製造したフライヤー1号のテスト飛行が行われ、一度目は12秒だったものの、4度目に59秒・距離260mという記録を達成し、これが世界最初の公開飛行・・・という事で、今日は『飛行機の日』という記念日なのだそうです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

上記の通り、1903年の今日に世界初の公開飛行・・・ライト兄弟が世界初の公開フライトをしたという事になっています。

そうです。
アメリカさんには、ぜひとも、公開・・・あるいは公式とつけていただかなければ・・・

なぜなら、実は、ライト兄弟よりも12年早く、飛行に成功していた日本人がいたのですから。

その人の名は二宮忠八・・・

現在の愛媛県八幡浜市で生まれた忠八は、幼い頃から飛ぶ事に興味があったのか、自ら考案した『忠八凧』なる凧を製作し、それを売っては、貧しい家計の足しにしていたと言います。

そんな彼は、ある日、カラスが滑降する時に羽ばたいていない事に気づきます。

そして思い出した、幼い頃に造り続けていた凧・・・そう、「凧やカラスのように、風を受け止める事ができたなら、空を飛べる事ができるかも知れない」と思ったのです。

さらに、船のスクリューを見て、同時にこれを動かせば前へ行くのでは?プロペラを製作し、聴診器のゴムを使用して動力とし、鳥型模型飛行器を完成させます。

そして、明治二十四年(1891年)4月29日・・・丸亀練兵場にて、わずか10mではありますが、見事!飛行に成功しました。

忠八、25歳の春でした。

しかし、間もなく、日本は日清戦争(6月2日参照>>)に突入・・・

忠八も兵士となりますが、彼は、「この飛行器が完成すれば、必ず戦争に有効であるはず」と考え、上官である長岡外史に、飛行器の開発を相談します。
(ちなみに忠八は、死ぬまで、自らの開発した空飛ぶ機械の事を、飛行機ではなく飛行器とよんでしました)

今度は、ちゃんと人が乗って飛べる4枚翼の本格的な仕様です。

しかし、長岡は、こんな機械は戦争には役に立たないと考え、「何考えとんねん!今は戦争中やぞ!」と怒られてしまいます。

忠八は、「それなら、自力で資金を集めて制作するしかない」と考え、軍を辞めて製薬会社に就職・・・コツコツと資金を貯めながら、新作への意欲を燃やします。

途中、ゴムよりも断然良いという事で、オートバイのエンジンを購入・・・しかし、この間にライト兄弟の初飛行・・・となってしまうのです。

このニュースを聞いた忠八は、おもむろにハンマーを手にし、製作途中の飛行器を破壊!・・・以来、2度と飛行機の研究をする事はありませんでした。

彼の、飛行記録は、研究途中の記録とみなされ、「正式には認められない」という事になっています。

Hikouzinnzyahikoukinohi しかし、大正時代になって、日本国内では徐々にその研究が評価されるようにもなり、忠八は、名誉回復が成ったとばかりに、京都八幡市に航空事故で死亡した人たちを祀る『飛行神社』を設立しました。
(飛行神社への行き方は、HPでどうぞ>)

しかし、しかし、日本人の空への憧れは、これだけではありません。

この二宮忠八をさかのぼること130年・・・あの田沼意次(10月2日参照>>)の頃の天明の時代に、空にあこがれ、そして、空を飛んだ男がいたのです。

備前(岡山県)八浜に生まれた浮田幸吉

当時、瀬戸内海の重要な港であった八浜の船宿・桜屋の息子として生まれた幸吉でしたが、父親が亡くなると、一家は離散・・・親類の傘屋にひきとられた後、次に弟が引き取られていた表具屋で働きます。

この二つの家に引き取られた事が、彼には幸いしました。

天職・・・とでも言うのでしょうか、その素質が開花し、またたく間に腕をあげたのです。

そんな、ある日、お寺にいる鳩を見て、幸吉は無性に飛びたくなります。

早速、竹と紙を購入、傘屋と表具屋で身につけた技術を活かし、2週間で、2mほどの2枚の羽を作りました。

そして、弟たちの目の前で、屋根から飛び降りての飛行実験です。

その時は約20mほど飛びますが、その後急激に落下し、足を痛めてしまうはめに・・・。

しかし、幸吉はめげません。
「さらに、距離を伸ばしたい」と、鳥を捕まえて解剖し、その羽の構造をも研究します。

やがて、天明五年(1785年)8月21日・・・幸吉、29歳の夏・・・彼は、旭川京橋にやってきます。

岡山の夏は、あまり風か吹かないので、風を求めて、この川べりを選んだのか?

それとも、夏となれば夕涼みの客を目当てに露店まで建ち並ぶ最も賑やかなところで、派手にパフォーマンスをやってみたかったのか?

とにかく、彼は、2枚の翼につけられた輪っかに腕を通し、京橋の欄干に飛び乗ったかと思うと、そこから、河原めがけて飛び降りたのです。

月明かりの中を、白く浮かぶ巨大な羽根・・・。
「アレは何だ?」
「鳥だ!」「飛行機だ!」「スーパーマンだ!」
・・・ではなく「天狗た」「幽霊だ」と、あたりにいた夕涼みの群集は大騒ぎです。

「あかん!このままでは・・・」
空を見上げる見物人の真っ只中に落っこちそうになった彼は、何とか向きを変えようとしますが、もちろん、そんな装置はついていません。

あれよ、あれよ、という間に人ごみの中へドッカ~ン。

この時の飛行時間は10秒足らずでしたが、約30mほど飛んだと言われ、その時から彼は『鳥人幸吉』と呼ばれます。

ところが、その後、世間を騒がせた罪で、奉行所から呼び出され、「所払い」を命じられてしまい、彼は、岡山を去る事になってしまいました。

しかし、これも・・・

イギリスの航空界のパイオニアと言われるジョージ・ケイリーが、有人グライダーの飛行に成功する1853年より60年も早い、世界初の飛行という事になります。

う~ん、こういう同胞の先駆者の話を聞くと、なんだかうれしくなってきますよね~。
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