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2008年1月26日 (土)

「風呂の日」なので、お風呂の歴史

 

今更ながらではありますが、毎月26日は、「ふ(2)」「ろ(6)の語呂合わせで、『風呂の日』・・・という事で、今日は「お風呂の歴史」を書かせていただきます。

・・・・・・・・・・・・

現在では、お湯を浴びて身体を洗い、湯船のお湯に入る事を『風呂』と言いますが、奈良・平安の昔から風呂というのは蒸気で蒸される「むしぶろ」の事で、お湯に浸かる湯船のある物は『湯屋・湯殿』と呼ばれる別物でした。

最初は原始的な蒸気浴であったそれが、徐々に発展して、すのこを敷いて密室にした部屋に、お湯を沸かして立てた蒸気を導くというやり方で、発汗した身体は、同じ室内や、隣に設けられた『陸(おか)湯』で流すという・・・まさにサウナ状態ですね。

これに対する湯殿は、湯船があって、そこに入浴するわけですが、当然の事ながら、湯船に燃焼装置を取り付けた物ではなく、お湯を沸かして桶などて汲みこんだり、(とい)などで引き込んだりしていました。

有名なところでは、「東大寺の大湯屋」周防(山口県)「田尻阿弥陀寺の切石風呂」などですが、大小の差はあれ、これらのお風呂は後乗坊重源という人が考案した方式で、湯船用のお湯を焚く、釜の火力をお風呂の室内にも利用した物で、昔の原始的なお風呂に比べて、約半分の薪で済んだ事から「大湯屋の宝」と称され、多いにもてはやされました。

これらの鉄湯船から発展したのが、いわゆる『五右衛門風呂』

あの石川五右衛門が、その形の鉄湯船で釜煎りされた(8月24日参照>>)事から、そう呼ばれるようになりました。

Syoukokuziyokusitu26nohicc いずれにしても、浴室を各自で備える事ができるのは、貴族や武家や寺院に限られていて庶民には到底ムリでした。

しかし、その分共同浴場は古くからありました。

以前、このブログでも書かせていただいた光明皇后(4月17日参照>>)をはじめ、貴族や寺院や幕府が、その徳を誇示する手段・・・いわゆる庶民の人気取りの一環として、貧しい人や病人・囚人に対する浴場施設を建設したりしたのです。

室町時代には、このようなお風呂を「功徳風呂(くどくぶろ)と呼んでいたそうですから、まさに、福祉のために造られたのがお風呂という感じだったんでしょうね。

それでも、室町時代頃までは、もっぱら「むしぶろ」のほうが主流であったお風呂が、しだいに「半蒸半浴場」となり、ご存知のように江戸時代に入って大流行する事になります。

この頃から、お風呂と湯屋の区別も無くなってきます。

そして、有名な『湯女(ゆな)・・・身体を洗ってくれる女性も登場するのです。

身体を洗ってくれる女性と聞くと、「対男性専門」のように思っていまいますが、この頃はまだ男女混浴ですから、別に専門という事も無かったんでしょうね。

ちなみに、この男女混浴だったのは、単に男女に分けて別々の湯船に湯をはると光熱費が倍になるから・・・という理由だけだったらしいですね。

ただし、今、ニンマリした男性陣に申し上げていきますが、それは、私たちが、「混浴」と聞いて思い浮かべるような状況の混浴ではありませんよ。

なんせ、江戸の初めの頃は、下帯や腰巻をして入るのが普通でしたから、残念ながら、それほどのお楽しみはありません。

しかし、何事も徐々にエスカレートしていくのが世の常・・・。

悲しいかな、その気持ち良さから湯女に手を出す者が出始め、湯女は湯女のほうで、湯からあがった後、お酒やお茶の接待までして、あげくの果てには、その肉体をすりよせて大サービスする者も現れ、あの吉原をしのぐ勢いとなってしまいます。

そうなると、当然の事ながら、お上からの禁止令・・・明暦三年(1657年)に湯女を廃止します。

しかし、何事も徐々にエスカレートしていくのが世の常・・・。

悲しいかな、今度は湯の中で女性にいたずら・・・つまり痴漢行為をする者が現れ始め、寛政三年(1791年)に、ついに混浴の禁止令が発令されます。

とうとう、湯屋は入浴するだけの場所に・・・
と思いきや、そうではありません。

湯屋には、その二階に、今で言うところのレストルーム・・・休憩するための広い座敷があるのが常でした。

そう、お色気は無くなりましたが、ここで、顔なじみの者と将棋を指したり、囲碁を打ったり、お茶を飲みながら噂話に花を咲かせたり・・・これが、けっこう・・・いや、実際に風呂に入る以上に楽しみなんです。

ここには、お茶はもちろん、歯磨き粉や膏薬などのくつろぎグッズも売られていますし、時には生け花教室や俳句会なんかのイベントも開かれたりなんかして、まさに庶民の社交場。

ただし、無料ではなく、少々の利用料がかかりました。

しかし、それは、銭湯の入浴料と同額くらいの金額で、当時の庶民にとっても、さほど負担となる額ではなく、むしろ、その金額で楽しめ、果ては江戸で最先端の情報を入手する事ができるのですから、風呂に入らずにそこだけを利用する者もいたとか・・・。

どうやら、このあたりから、私たちの知っている銭湯のイメージ通りのお風呂になってきたようですね。
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記念日・○○の日」カテゴリの記事

コメント

我が家の半径500m以内には銭湯がないです。以前は家の目の前にありましたが、1番近い銭湯は半径500m以上の所です。
「三助」が登場したのは湯女に対する「痴漢行為対策」でしょうか?ちなみに現在の東京で三助と言う人は、1人しかいないそうです。

投稿: えびすこ | 2010年2月14日 (日) 10時40分

えびすこさん、こんばんは~

銭湯・・・少なくなりましたね~

最後の三助は、「贅沢だ~」の缶コーヒーのCMに出て来る人ですよね。

投稿: 茶々 | 2010年2月14日 (日) 18時23分

以前って言うか、もう40年近く前の事だけど、東京の大学時代は、湯船から手桶で湯を汲んで体を洗ったりしても誰にも何も言われなかった。
その後、枚方に半年ほど住んでいた時(いわゆる文化住宅と言う奴で、風呂は無かった)に、はじめて銭湯に行った時、東京式に湯船に手桶を入れたら、こっぴどく怒られた…。
それと、東京では手拭を湯船に入れても、何も言われなかったが、枚方では駄目だった…。(当時の話です)
友人の話じゃ、今は銭湯自体が無くなってしまったと…。
三助と云うより、東京じゃ「垢すり」と言われたおじさん達も、遠い思い出になってしまったのかなあ~。
文中に出てきた五右衛門風呂の「石川五右衛門」…
昨日(12月25日)朝日新聞に、「クリスマスは五右衛門の日 泥棒よけのお札、貼り替え」(http://www.asahi.com/national/update/1225/SEB201212250043.html)って記事が出てたけど。
茶々さんの12月25日には、「五右衛門の日」は無かった。
今度、五右衛門だけじゃなく、昔の盗人、盗賊の類を、書いて貰えるなら嬉しいのですが…

投稿: 夏原の爺 | 2012年12月26日 (水) 19時01分

夏原の爺さん、こんばんは~

石川五右衛門については、処刑された日とされる8月24日>>の日づけで書かせていただきました。
あと、泥棒ネタだと鼠小僧次郎吉>>と、白波五人男の日本左衛門>>も書かせていただいてます…古い記事ではありますが…

投稿: 茶々 | 2012年12月27日 (木) 00時57分

茶々さん、こんにちは。
最近シャワーだけに済ませると言いますか私は一人で入るのが好きなので温泉にあまり行かないです。
でもたまに温泉につかると良いなと思います。
でも風邪が正月から続いて治りません。
多分風呂にゆっくりつかるのは来月以降になりそうです。
ところで五右衛門風呂に小学生のころまで母の里で入っていました。今は懐かしいと思いますが当時は風呂が怖かったです。シャワーも怖くて何故風呂に入らないといけないのかと思うこともしばしばでした。
最後にどういうわけか松の湯は嫌いで入るとしたら竹の湯の低めか梅の湯の高めぐらいでないと駄目です。茶々さんは熱い湯は大丈夫ですか?私はいつも1分浸かると駄目で、温泉でも体を洗う時間の方が浸かる時間よりも長いのです。

投稿: non | 2017年1月28日 (土) 15時57分

でも早く治りたいと思うのと厄年以降ですが何故か体調がよくないです。どこか万病に効く温泉は無いですか?草津は遠いので無理ですが、関西にないでしょうか?
城崎だと高速バスで三宮まで乗り、三宮からはまかぜに乗ったら大丈夫ですし、有馬ならもっと良いです。
本当に病気ばかりして困ったなと思います。
茶々さんはお体は如何ですか?体力は一気に落ちてきてがっかりしています。リハビリもしていますのでなおさらゆっくりできる小さな湯治中心の温泉に行きたいなと思いました。

投稿: non | 2017年1月28日 (土) 16時39分

nonさん、こんにちは~

私は、温度高めの長湯です。

投稿: 茶々 | 2017年1月28日 (土) 18時05分

茶々さん、
私はだいこん、にんじん、ごぼうの話のごぼうみたいにさっさと浴室から出てきます。母親なんか早すぎると言うくらいです。温泉にいても10分で出てきます。
もっともごぼうほど体を洗わないわけでないですが、体を洗うことがメインで温まることは二の次です。
江戸時代のあかすりなんか誰もいなかったらしてほしいです。

投稿: non | 2017年1月28日 (土) 18時55分

nonさん、こんばんは~

「だいこん、にんじん、ごぼうの話」というのがわかりません。
申し訳ないm(_ _)m

投稿: 茶々 | 2017年1月30日 (月) 03時35分

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