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2008年1月27日 (日)

迷宮入り?将軍・実朝暗殺事件の謎

 

建保七年(承久元年・1219年)1月27日、鎌倉幕府・第3代将軍・源実朝が、甥・公暁によって暗殺されました。

・・・・・・・・・・・

正治元年(1199年)1月13日、源頼朝という大黒柱を失った鎌倉幕府(12月27日参照>>)

その第2代将軍は頼朝と北条政子の息子・源頼家に決まりますが、あの日「打倒平家!」を掲げて、頼朝と苦楽をともにした御家人たちにとっては、頼家など、まだまだ若造です。

そこで、同じ年の4月12日・・・頼朝時代からの13名の重臣を「宿老」という役職に定めて、その13人による合議制で政治を行う事になるのです。

考えて見れば、当時としては画期的かつ、実に先進的なシステムです(4月12日参照>>)

しかし、鎌倉幕府にとっては、これが良くなかった・・・。

この合議制によって、将軍のリーダーシップは失われ、常に、力のある御家人の思惑に左右されてしまう事になるのです。

そうなると、当然の事ながら、そのトップの座を誰もが狙うようになり、御家人同士の足の引っ張り合いが発生します。

頼朝の死後、わずか一年で、頼家のお気に入りだった梶原景時を宿老全員で、よってたかって抹殺したのを皮切りに(1月20日参照>>)壮絶な追い落とし作戦が開始されます。

そんな中、ここに来て力をつけてきたのは、頼家の嫁・若狭局の実家の比企氏です。

その状況がおもしろくないのは、初代・頼朝の嫁・北条政子の実家・北条氏

特に、政子の父・北条時政は、この先、北条氏が実権を握るべく、孫にあたる頼家に、幼い頃から将軍となるべき教育をほどこしてきたにも関わらず、嫁にベタ惚れの頼家が、二人の間に生まれた息子・一幡(いちまん)に後を継がせたいと思い始めた事が許せません。

その一幡にすべてを持っていかれたら、それこそ嫁の父親の比企能員(よしかず)に、御家人トップの座も持っていかれてしまいます。

ちょうど、その頃、頼家が重い病気にかかったドサクサで、時政は、政子のもう一人の息子・・・つまり頼家の弟・千幡を、一幡の対抗馬として押し出すのです。

この千幡が、実朝(さねとも)です。

そして、うまい口実をつけておびき出した能員を騙まし討ちにした北条氏は、さらに比企氏を追い込み、一幡もろとも比企氏を滅亡へと追いやり(9月2日参照>>)、まんまと実朝を第3代将軍とし、時政は、その後見人として初代・執権の座を射止めます。

やがて、病状が快復した頼家でしたが、時すでに遅し・・・北条氏によって幽閉され、比企氏滅亡の一年後に暗殺されてしまいます(7月18日参照>>)

その後、有力御家人の一人だったライバル・畠山重忠を倒した(6月22日参照>>)北条氏は、老いた時政に代わって、政子の弟・北条義時が第2代・執権となりますが、この時に、再び事件が起こります。

信濃の住人・泉親衡(ちかひら)が、亡き頼家の三男・千寿丸を奉じて、北条氏を倒そうとしたのです。

しかし、この謀反は未然に発覚・・・しかも、この一件に関与していたとして、有力御家人の一人で、実朝のお気に入りだった和田義盛を、一族もろとも抹殺してしまいます(5月2日参照>>)

最大のライバルであった義盛を倒した事にによって、御家人トップの座を不動の物とする北条氏・・・残る有力御家人は、この義盛の乱の時に、真っ先に相談にのっておきながら、寸前で北条に寝返った三浦義村三浦氏ぐらいになってしまいました。

そんな中で起こったのが、今日の事件・・・実朝暗殺です。

建保七年(1219年)1月27日鶴岡八幡宮に参拝した帰り道、襲われた実朝は、わずか28歳で、その命を落とすのです。

実行犯は公暁(くぎょう)という20歳の僧・・・(2013年1月27日参照>>)

実は、彼は頼家の遺児・・・つまり、長男・一幡と三男・千寿丸の間に生まれた頼家の次男なのです。

父も兄も弟も殺されているわけですから、そりゃ、恨みもつのりますわな。

しかし、この事件・・・「犯人=公暁」「動機=怨恨」であっさりと収まる事件ではなく、推理小説さながらの複雑な要素が絡みあっているのです。

もちろん、実行したのは公暁に間違いないわけですが、果たしてそれが、単独犯なのか?それとも黒幕がいるのか?いるとしたら誰なのか?という事です。

実は、この時、実朝とともに、従者として付き添っていた源仲章(なかあき)も殺されているのですが、本来、ここには、北条義時が付き添う事になっていたのです。

しかし、義時は参拝の直前に、体調不良を訴え、急遽、仲章に、その役を交代してもらっているのです。

それは、ひょっとしたら、事前に、この日、公暁が犯行に及ぶ事を知っていたからではないか?という事です。

北条氏が擁立した将軍・実朝を?・・・と思ってしまいますが、その前の頼家だって、もともとは北条氏の息のかかった将軍です。

「その将軍が、思い通りにならないのなら、いっその事抹殺して、お飾りの将軍を仕立てて北条氏自らが実権を・・・」と考える事も、ありえないとは限りません。

しかも、この日、言わば義時の身代わりとなって殺されてしまった仲章は、もともと後鳥羽上皇に仕えていた人物で、実朝のヘッドハンティングによって鎌倉幕府の役人になったものの、未だ朝廷とは太いパイプがあります。

後鳥羽上皇は、この二年後に、あの承久の乱(5月14日参照>>)を引き起こす人・・・この時から、北条と仲が悪かったのは目に見えていますよね。

つまり、言う事を聞かなくなった実朝を殺すと同時に、うっとうしい後鳥羽上皇の信頼厚い仲章も亡き者にしようと考えた義時が、恨みを抱く公卿を操って暗殺を決行させた?という事です。

しかし、しかし、鎌倉幕府の正史とも言える『吾妻鏡』には、『公暁が犯行を行った時、「義時!」と叫びながら仲章を斬った』と書かれています。

つまり、彼は、実朝の横にいる人物が、義時ではない事を知らずに斬った事になります。

実朝を恨んでいるのなら、北条を恨んでもいるでしょうから、本当の狙いが義時だったかも知れないというのは、当然と言えば当然です。

そして、実朝殺害後、彼はミョーな行動をとります。

三浦義村に会いに行くのです。
そう、あの和田義盛の乱で、北条に寝返って、御家人として生き残った義村です。

彼は、「義村を頼って、次期将軍なろうとしていた」とも言われていますが、そんな公暁は、将軍殺害犯として、あっさりと義村に殺されてしまいます

このことから、ひょっとしたら黒幕は義村で、実朝と義時を殺害するはずが、義時の殺害に失敗し、その事が発覚する前に実行犯の公暁を斬ったという推理も成り立ちます。

とにかく、この義村がすぐに公暁を殺してしまった事で、単独犯かどうかさえもわからなくなってしまうわけですから・・・。

しかも、実朝と義時=北条氏が、目の上のタンコブだと思っているのは、三浦氏だけではありません

北条が大物を抹殺し続けたとは言え、まだまだ御家人は他にもいるわけですから、そうなると、鎌倉幕府に関わる人物の全員が怪しい・・・ひょっとしたら、アガサ・クリスティの小説のように、全員が犯人という可能性さえあるのですから・・・。

・・・にも関わらず、「公卿は実朝の隣の人物を義時だと思って斬った」と書いている先ほどの『吾妻鏡』では、「私的な怨恨による公暁の暴挙」と、単独犯説を主張しています。

果たして、真実はいかに・・・?

いずれにしても、この実朝の死によって、源氏の血統は、わずか3代で途絶える事となり、以後、飾り物の将軍の隣で執権・北条氏が実権を握る事になります。

・・・て、事は、一番得をしたのは北条義時・・・なら、やっぱり・・・って、これぞまさしく迷宮入りです。

*謎が謎よぶ・・・このお話の続きは2009年1月27日の【実朝暗殺事件の謎パート2】へどうぞ>>
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コメント

すご~い!なんてことでしょう。
鎌倉時代を勉強している私にとっては、タイムリーでとても面白い記事です。
あ~、他の歴史好きの方々のように、厚みのあるコメントが出来なくてごめんなさい。
しかし、最後まで、「ほ~!」といいながら読ませていただきました。
ますます、歴史勉強に熱を入れようと決心しましたっ!

投稿: きょうこ | 2008年1月27日 (日) 12時56分

頼朝の跡継ぎですね。将軍は替わりますね。

おまたせの、また、額田王の水着の跡2点を更新しました。

投稿: sisi | 2008年1月27日 (日) 13時37分

■きょうこさん、コメントありがとうございます。

>ますます、歴史勉強に・・・

そんな風に思っていただけるなんて、とてもうれしいです。

投稿: 茶々 | 2008年1月27日 (日) 17時56分

■sisiさん、コメントありがとうございます。

おっしゃる通り、実朝の後は、よそから連れて来られた武士の武の字も無い、飾り物の将軍となってしまいますね。

投稿: 茶々 | 2008年1月27日 (日) 18時00分

源氏ですが、実ともだけは好き!。

投稿: ゆうと | 2012年3月21日 (水) 17時31分

ゆうとさん、こんばんは~

へぇ~、実朝だけ別格ですか?

投稿: 茶々 | 2012年3月21日 (水) 21時08分

なぜならよく勉強してりこうだからです。

投稿: ゆうと | 2012年3月22日 (木) 04時38分

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