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2008年2月11日 (月)

平清盛の異常な出世~天皇ご落胤説

 

仁安二年(1167年)2月11日、平清盛が、左大臣・右大臣をすっ飛ばし、いきなりの3段飛びの昇進で太政大臣に就任しました

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ご存知、平清盛と言えば、平安時代の最後に貴族ではなく、武士として初めて政権を握り、平家全盛時代を築きあげた人です(2009年2月11日参照>>)

清盛の異例の出世の影に、彼の出生の秘密『清盛・ご落胤説がある事は、歴史好きのかたでなくとも、もうご存知ではありましょうが、なにぶん、歴史学という学問の分野では、犯罪と同様に状況証拠だけでは立件できない・・・確固たる証拠がない限りは、それを事実とみなす事はできませんから、あくまで、歴史上の史実としては、清盛は平忠盛の嫡男という事になります。

しかし、この出世ぶりはどう考えても異例中の異例で、『平家物語』『源平盛衰記』にも、清盛ご落胤説が書かれているという事は、鎌倉時代からすでに噂になっていたという事になり、やはり、当時の人から見ても、その出世が異常だった事がわかります。

なんせ、清盛は12歳で、官位・従五位に任命されているのですが、この時、父の忠盛は従四位。

奈良・平安時代は、親の七光で出世する時代ではありますが、これは、どう見ても親を追い越さんがばかりの勢い・・・完全に忠盛の七光では無いでしょうね。

では、誰の七光?・・・つまり、父親は・・・
実は、第72代白河天皇だと言われています。

この、白河天皇が、なかなかのヤリ手オヤジ(失礼<(_ _)>)で、あの保元の乱を導いた人でもあります。

間単に言うと、現天皇である孫・鳥羽天皇の嫁に手をつけて、子供ができたら、孫を退位させ、その孫の子(ホントは自分の子)崇徳天皇を即位させてしまいます。

・・・で、そんな白河天皇が亡くなると、当然、鳥羽天皇はジィサンの子供である崇徳天皇を退位させて、自分の息子・後白河天皇を即位させるのです。

そしてその鳥羽天皇が亡くなった後に起こった後白河天皇と崇徳天皇の皇位争奪戦に武士が関与したのが『保元の乱』なのです。(くわしくは8月26日参照>>)

しかし、保元の乱の時点で、白河天皇は亡くなってるのに、その後の清盛の出世に、白河天皇の影響なんてあるの?
・・・と、思ってしまいますが、それがけっこうあるみたいなんです。

白河天皇は、この時代では指折りの専制君主ぶりを発揮した天皇で、天皇に仕えた藤原宗忠も、その日記に「その威光と権力は西海に満ち、天下はこれに帰服した」と書いています。

先ほども言いましたように、なんせ、息子の嫁ではなく、孫の嫁に手をつける人ですから・・・。

「思い通りにならない物は、賀茂川の水とサイコロの目と比叡山の僧兵・・・」という有名な言葉がありますが、これを言ったのが、この白河天皇なのです。

言い換えれば、その三つ以外は思い通りになったという事ですからね。

ある時、清盛のあまりの出世を妬む者がいたところ、鳥羽天皇がその人に向かって「清盛は身分の卑しい者ではないのだよ」と、たしなめたというエピソードも残っているそうですから、それがもし、本当だとすると、鳥羽天皇も清盛に一目置いていたという事になりますし、やはり白河天皇の隠し子というのが本当だったとしたら相当な影響があったのでしょう。

そんな白河天皇と、清盛の母とおぼしき祇園女御(ぎおんにょうご)と呼ばれる女性の出会いのシーンが『源平盛衰記』に書かれています。

祇園の西大門(八坂神社の楼門)の近くに住む女性が、ある日、水を汲もうと頭に桶を乗せ、共同井戸の前にやってきます。

「着物の裾が濡れてはいけない」と、サッと裾をからげた・・・そこへ、八坂神社へ参拝にやって来た白河天皇ご一行が登場!

そう、白河天皇は彼女のあらわな太ももに一目惚れ・・・なんせ当時は、宮中の女性は昼間の明るいうちに男性の前で十二単の一枚目でさえ、脱ぐなんて事もありませんし、男女間でしっぽりする時は、電気も何もない真っ暗闇ですから、顔すら確認できない状態で致してるわけで、おそらく、ヤリ手の白河天皇でさえ、女の太ももを真昼間に見たのは初めてなのでは?

そんな太もも一目惚れ恋愛で、しかも数々の女性遍歴のある白河天皇なのにも関わらず、祇園女御さんは、ことのほか愛されていたようです。

ただし、この祇園女御というのは、もちろん彼女の本名ではありません。

祇園の近くに、白河天皇が彼女のために館を造り、そこに住まわせていたので、そう呼ばれますが、この女御というのは、正式な地位を現す名称で、勝手に名乗る事はできません。

天皇の寵愛を受ける女性は、その出身の身分によって、「妃(ひ)」「夫人(ぶにん)」「嬪(ひん)」「女御(にょうご)」「更衣(こうい)という位があったのです。

祇園女御の場合は、完全に一般人ですから、本来なら、「女御」どころか「更衣」も名乗る事はできなかったのですが、まわりの人たちが気をつかって、通称・祇園女御と呼んでいた・・・つまり、一般人に通称であれ、女御と呼ぶのは、それだけ白河天皇が、彼女の事を愛していたから・・・という証拠なのです。

ところで、白河天皇が愛してやまない、そんな祇園女御のもとに、毎日、新鮮な鳥を献上する男がいました。

その事が、白河天皇の耳に入る事になったのは、ある偶然の出来事がきっかけでした。

白河天皇は、仏教に大変熱心だったので殺生という物を嫌い、永久二年(1114年)に獣や魚に対する『殺生禁止令』を出しています。

その直後、加藤大夫成家(たゆうなりいえ)という男が、検非違使丁(当時の警察)に呼び出されます。

容疑は「鷹を使って、鳥を捕った」という罪でした。

しかし、出頭してきた彼は、罪に問われているというのに、やたら元気で明るい・・・不思議に思ってその理由を聞いてみると・・・

「いやぁ・・・よかったですわ~。
ホンマ言うと、ちょっと困ってましてん。
ウチのダンナはんに、毎日、ある人んとこに、その日に捕った鳥を届けろって言われてますねん。
けど、狩りって運のモンでっしゃろ?
たまには、捕られへん日もあるっちゅーのに、一日でもサボったら、首斬んぞ!って言われまして、今日は捕れたけど、明日は捕れへんかも・・・どうしょ~って毎日ビクビクしてましてん。
罪、ゆーても、牢屋に入るくらいでっしゃろ?
命なくなるよりは、絶対そっちのほうがえぇですわ~」

この成家という男は、そう、平忠盛の家臣・・・毎日、祇園女御の所に鳥を届けていたのは忠盛だったのです。

この時も、その事を知った白河天皇は、「祇園女御のため・・・」という言葉一つで、あっさりと成家を許しています。

やっぱり、祇園女御への愛でしょうか・・・。

そして、同じ頃、もう一つの事件が起こります。

ある雨の降る夜、白河天皇は、祇園女御の家に行こうと、警固の武士を連れて向かったところ、屋敷の近くで、何やら不気味な者と出会います。

頭部がミョーに眩しく光り、高く上げた両手には、木槌のような物と、鋭く光針のような物を持っています。

「アレは何だ?」
「鬼ではないか?」

と、さすがの屈強な武士たちも、この世の物とは思えぬ怪しさに震え上がります。

そこへ、進み出たのが、未だ20歳の血気盛んな若者・忠盛・・・「私が退治してみせましょう」と、堂々とした態度で近づき、相手を睨みつけ、サッとその腕を掴みました

「何をなさいます~」
と、以外にも相手の怪物はひ弱な声・・・目をこらして見ると、それは、一人の老僧でした。

Tadamoritourou600 寺院に灯明をともそうと、土器に火を入れ、雨を避けるために頭にワラをかぶって、そこで雨宿りをしていたのですが、、雨のしずくに火がキラキラと光り、頭のワラが、これまた雨と炎に反射して、怪しい光を放っていただけだったのです。
(現在、八坂神社の境内に、この時に灯明を灯そうとした燈籠が残っていて「忠盛燈籠」と呼ばれています)

忠盛の勇気に感激した白河天皇・・・その褒美にと、祇園女御を彼に与えたというのです。

人のお古を、貰ってウレシイか?・・・というのは現代人の価値観。

当時は、天皇が寵愛した女性を賜るなんてのは、名誉の極みなのです。

しかも、この時、祇園女御はすでに妊娠中・・・そう、そのお腹の中の子供が清盛だっ『平家物語』は書いています。

その時
「生まれた子供が女の子だったら、私に返せ。
男の子だったら、武士として育てよ」

と天皇が言ったのだとか・・・

やがて、清盛が3歳になったある日・・・天皇のお供をして、熊野詣に出かけた忠盛は、山道の端にヤマノイモがたくさんあるのを見つけ、そのヤマノイモに引っ掛けて・・・

♪芋(妹)が子は 這(は)うほどにこそ なりにけれ♪
「あなたの愛した人の子供はハイハイをするくらいになりましたよ」
と、歌を詠みます。

すると、白河天皇は・・・
♪ただ盛り(忠盛)とりて 養いにせよ♪
「忠盛が養育せよ」
と歌を返し、忠盛は、清盛を正式に嫡男とした・・・というのです。

しかし、さすがに、これをこのまま鵜呑みにするのは抵抗があります。

・・・というのも、祇園女御が応徳年間(1084年~86年)頃の生まれであったと推測される事から、この計算でいくと30代半ばで清盛を出産した事になります。

12~13歳で結婚する当時としては、破格の高齢出産という事になります。

それとともに、近年、滋賀県胡宮(このみや)神社という所から、系図が発見され、祇園女御には妹がいた事が判明していて、最近では、この妹が清盛の母であるという説が有力になってします。

ただし、父親はやっぱり白河天皇・・・どうやら、祇園女御の妹も、天皇の寵愛を受けていたようなのです。

またまた、現代の価値観では、「姉妹で同じ男に?」と思ってしまいますが、当時としては、身分の高い人のところに、姉妹をはじめ、家ごと依存する・・・というのは、よくある事なのです。

あの木曽義仲という源氏の御曹司を手に入れた中原兼遠の一族が、長女を正室に、妹・巴御前を愛妾に・・・っていうのも、それによって一族が出世できるのですから、当然と言えば当然なのです。

・・・で、今では、その妹が亡くなったのが、清盛が3歳の時で、母を亡くした子を、祇園女御が猶子(名義だけの養子)として引き取り、育てたのであろうとされています。

しかし、育ての親とは言え、この祇園女御は、清盛にとって、たいへん良いお母さんだったようで、彼は、自分の館を構える時、母の家に近いからという理由で、西八条を選んだと言われていますし、現在、京都御苑にある厳島神社は、清盛が、母・祇園女御のために、安芸の厳島神社を分社して建立し、後に女御自身も合祀したと伝えられています。

Gosyoitukusimacc 京都御苑の厳島神社

以上、様々な状況証拠を並べてはみましたが、やはり、本当に白河天皇の隠し子だったかどうかは、新たな決定的証拠が出ない限り、藪の中・・・といったところでしょう。

しかし、清盛の異常な出世ぶりを見れば、やっぱり、限りなく黒に近いグレーではないか?と・・・
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源平争乱の時代」カテゴリの記事

コメント

再来年の大河ドラマ・平清盛では「白河法皇御落胤説」を採用するみたいです。若い時代は瀬戸内海でどうこう…とか。調べてみると清盛は今の三重県で生まれたんですね。
果たして配役は誰になるか?
藤原摂関家でも「三段飛び」の、内大臣⇒太政大臣になった人は多分いないですね。

投稿: えびすこ | 2010年11月 3日 (水) 08時44分

えびすこさん、こんばんは~

>清盛は今の三重県で…

私も、くわしい場所は知りませんが、伊勢平氏なので、たぶん、三重県でしょうね。

ご落胤説ですか…楽しみですね。

投稿: 茶々 | 2010年11月 3日 (水) 23時36分

今日の日刊スポーツによると松山ケンイチ君が平清盛役だそうです。松山君は私より年下です。
記事を見た瞬間に、「う~ん」とうなってしまいました。「60代まで生きた清盛を20代の若い松山君がうまく演じきれるのか?」です。心配なのは演技力ではなく、「年齢が若すぎる」と正直言って思うんです。晩年は頭を丸めますが、老けメイクをしないといけないですね。
去年の「天地人」のような、「年齢不詳の主人公」になりやしないかと不安ですね。主要人物の配役もむちゃくちゃになりやしないか、とも心配です。
ここまで来るとどういう基準で、主役を人選するのかと勘繰りたくなります。さすがに朝からマイッタマイッタ(゚0゚)

1972年の「平家物語」の清盛は、当時40歳の仲代達也さんでした。

投稿: えびすこ | 2010年11月 9日 (火) 08時58分

えびすこさん、こんにちは~

>どういう基準で、主役を人選するのかと…

やっぱ、人気でしょう。
松山クンなら、数字取れますww

私も好きなので、たぶん見ます。
年齢差を克服できるかどうか楽しみですね。

息子たちを、誰がやるのか気になります。
特に重衡さん…個人的に好きなので。。。

投稿: 茶々 | 2010年11月 9日 (火) 12時06分

そうですね。カギは清盛の息子達ですね。そうなると松山君より年上の俳優に役が回る事もあるかな?松山君はいろいろな役に順応できる点が長所のようです。やはりネックになる「老化の問題」をクリアできればいいですね。でも再来年に清盛を好演すれば、俳優として「飛躍」する事になるので勝負の1年ですね。ライバルとなる後白河法皇は誰になるでしょうね?
「デスノート」のLのイメージを、卒業するチャンスとも感じます。来年の上野さんの「のだめイメージ」の卒業と同じく。
まだ正式発表がないので「決定」ではないですが。龍馬伝終了前のタイミングで、「内定記事」が出るとは思わなかったです。

投稿: えびすこ | 2010年11月 9日 (火) 17時13分

えびすこさん、こんばんは~

私は、デスノートの前から知っていたので、逆にデスノートの方が、イメージが違って見え、演技、ウマイんだなぁ~って思いました。

上野さんも…SPなドラマでしっかりした女の子をやっていたのが先でしたし、のだめはあんまり見てなかったですし…

でも、ヒットドラマが出ると、そのイメージを払拭するのが大変なんでしょうね。

投稿: 茶々 | 2010年11月 9日 (火) 22時22分

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